第十八話 一宿一飯は、渡世人にとって生涯の恩
僕はサンザ、組織『ロメロ』に所属する魔法使いだ。
今日はギルドマスターのヤオウに頼まれて、素鴨の酒場『パアナ』にババンボという武闘家を訪ねに来ている。
素鴨の街は長年、商工会の依頼でモンスターを撃退しており、冒険者を統括するギルドのない空白地だった。
しかし国王が魔王軍の活動が活発なので、最後の砦と呼ばれる外苑部の村と街に、必ず一つギルドを設置するように通達があった。
そこでヤオウは街一番の冒険者である武闘家、元ロメロの構成員のババンボをギルドマスターに、組織化してはどうかと考えた。
僕は、それを武闘家に伝えにきた伝令役だ。
「ヤオウさんの考えはわかったが、俺はギルドマスターなんて柄じゃない。サンザにはご足労かけたけど、この街には、この街のやり方がある」
「でもババンボが旗揚げして素鴨の地回りを組織化しないと、他の街のギルドが組織拡大に手をあげるかもしれない。それにギルドの空白地には当面、中央の騎士団を駐屯させる話もあるんだ」
「内側の連中は普段、外苑部の治安なんて気にも留めないくせに、なんだって今さら騎士団を動かそうとしているんだ?」
僕は酒場のカウンターで、隣に座ったババンボにヤオウの伝言を伝えたが、ギルド旗揚げには後ろ向きだった。
そもそも国王の通達だが、外苑部にギルドのない集落は、小規模な村を除けば街は素鴨だけで、通達がここを狙い撃ちにしたのは明白だ。
「中央は王塚の街が地図から消えたことで、難民流入で人口が増えた池梟の村を街に、駒米、畑端、西月暮里の三村の行政区を一つの街に統合したいのさ」
「この際だから、二つの街に囲まれた素鴨の街にも、内側から目が届くギルドを設置したいんだな」
「大規模集落で、ギルドがないのは素鴨だけだからね。中央は、猫の首に鈴を付けたいのだろう」
ババンボは『虎の間違えだ』と、エールを一気に煽って酒臭い呼気を吐いた。
「姥捨て山、不浄の土地、そんな忌避地だった周辺を開発したのは博徒や娼婦たちだ。ここが街になった今でも住人のほとんどが老人で、働いている商工会の連中も博徒や娼婦なんだぜ」
「そして街を自衛しているのは、商工会に雇われたババンボたち冒険者……ババンボが、商工会の顔色をうかがうのはわかる」
まだ魔王軍の支配が国に及んでなかった頃、素鴨から池梟にかけては大きな処刑場があり、魔王軍の包囲網が狭まる中、国有地だった処刑場が民間に払い下げられた。
しかし忌避される土地柄、移り住んだのは老人や博徒に娼婦たち、街中は老人の娯楽施設や温泉に墓地、違法カジノに娼婦館が立ち並び、路地に入れば飲み屋と連れ込み宿屋ばかりが目立つ繁華街である。
魔王が現れてから国の法律も有名無実化されたが、それでもこの街の無法ぶりには目を見張るものがあった。
「流れ者の俺を拾ってくれた商工会には、一宿一飯の恩義がある。それに俺がギルドマスターになれば、ロメロを辞めた意味もなくなる」
「え、僕はてっきり、ババンボが自分のギルドを持ちたくてロメロを辞めたと思っていたよ? 違うのかい」
「それは、辞める口実だ。俺は組織の構成員にはできない、でっかいことがしたくてフリーになりたかったんだ。だから、ここで組織人に戻るのは、わざわざロメロを辞めた意味がない」
「商工会の雇われ冒険者として生きることが、ババンボの言うでっかいことか?」
ババンボは二倍目のエールも飲み干すと、僕に振り返って『魔王の首を取ることだ』と世迷事を口にする。
酔っ払いの戯言だとしても、バカバカしくて笑えない。
この国の人間の生存域は、魔物の侵入を防ぐ外苑部『最後の砦』の内側にある国王が住む都心のみ、中つ国、ナメリカ、ノーロッパ連合国だって似たような状況で、世界のほとんどが魔王軍に支配されている。
魔王を倒すためには最後の砦を出て、魔王軍の支配地に点在する村や街を取り返す必要があるものの、魔王の支配地に進軍している騎士団でさえ周辺の街一つ取り返せない。
一介の冒険者が、魔王軍の親玉である魔王を倒すなんて夢物語だ。
「ババンボ、それは不可能だよ。つい最近、君と同じように酔狂なことを言う医者と商人に会ったけど、そいつらはエチカの現状を知らない異世界人だった」
僕は無謀な夢を口にするババンボを説得して、素鴨でギルドを旗揚げするように言った。
魔王を討伐するなんて子供のような幼稚な夢は、現実に生きる僕ら大人が口にしたらいけない。
僕らは外苑部に組織を作ってモンスターを撃退して、対処療法的に抗うのが最善なんだ。
壊れかけた人間の世界だけど、ここから抜け出して死ぬことはない。
「この世界にも、漢がいるじゃねえか」
「そうですね」
ババンボの向こう側、カウンターテーブルの先に白い異国の服を着た色眼鏡の男と、手にした錫杖を肩に乗せた魔法使いがいた。
彼らは魔王討伐を口にしたババンボに『酒を奢らせてくれ』と、話の続きを聞かせろと言った。
「お二人が誰か存じませんが、僕はババンボと大切な話をしています。申し訳ないけど、横から口を挟まないでくれませんか」
白い服の男は、ババンボを押し退けて僕の前に立った。
ここは素鴨、無法の街であれば、彼のような柄の悪い連中にも絡まれる。
だが男の放つ威圧感は、博徒や女を買い漁るゲス野郎の虚勢とは違う。
色眼鏡の下の鋭い目には、数多の死線を越えてきた冒険者の凄みがある。
「俺にもあんたが誰かわからねえが、漢が語る夢より大切な話があるとは思えねえな。こいつが魔王のタマ取るって話より、権力の犬になれって話は大切なんかい」
「あ、あなたは、いったい何者なんですか!? べつに僕は、権力に屈しろなんて言ってませんよ。このままでは、素鴨の街が国や余所者に好き勝手されると言ってるんだ」
憤った白い服の男が、カウンターテーブルを殴りつける。
「だからてめえの組織の親分は、てめえの息のかかったババンボに組を持たせて、兄弟盃を交わして素鴨を傘下にしようって腹だろうが!」
本当に、こいつ何者だ。
何を言っているのか、まったく理解ができない。
「すみません。うちの連れは、ちょっと酔っているみたいです」
白い服の男を止めに来た魔法使いは僕に頭を下げており、少しはまともに話せそうだ。
「いいえ……あなたはまともそうですね。あなたたちは、いったい何者なんですか」
「ええと、勇者と遊び人? そんなことより、聞き捨てならないことがあります」
「なんですか」
「あんた、さっき『酔狂なことを言う医者と商人に会った』と言いましたが、その医者と商人が異世界人って話は真実ですか」
「あ、もしかして勇者と遊び人……あなたたちも異世界人なの?」
白い服の男、異世界からきた勇者は僕の襟首を掴んで顔を寄せた。
「俺は富田寅吉ッ、魔王を倒すために召喚された勇者クレイジータイガーだ! 魔王がなんぼのもんじゃい!」
寅吉の怒号に店内が静まり返り、客が腰を浮かせて注目する。
ババンボは千鳥足で彼と肩を組んで、凝視する僕を鼻で笑っていた。
異世界人は魔王の恐ろしさを知らないから、魔王討伐なんて酔狂なこと簡単に口にできるんだ。
でも僕は勇者の雄叫びに、なぜだか心が震えている。
こいつら異世界人なら、もしかしたら魔王を倒せるんじゃないかって。