第一章1 『奇妙な依頼』
ーーある人物を護衛してほしい。
そんなありふれた依頼を持ってきたのは、「組織」の幹部を名乗り、顔を赤いローブで覆った随分と不審な男だった。正直ここ最近の生活には困っていなかったし、そんな怪しい奴からの依頼なんて突っぱねても良かったのだが、目もくらむような大金を前払いで出すというもんだから、ついつい二つ返事でその話に乗ってしまったのだ。
「ここがエストの城下町か……」
ソンジュ大陸の東端に位置する小国エスト。国土は小さいが豊かな土壌を持ち、穀物は豊富で国民達の暮らしも比較的豊かな部類だ。そこに今回の依頼の護衛対象がいる、「預言の子」と呼ばれているらしい。しかし依頼主と護衛対象には面識がないというのだから奇妙な話だ。
「おい、兄ちゃん。ここじゃ見ない格好だな」
人気のない暗い路地を堂々と歩いていると、ふいに声をかけられた。目を向けると、如何にも悪人という面をした三人組が道を塞ぐようにして立っている。やれやれ、どの町にもこういう無鉄砲な輩はいるらしい。
「この道を使うなら、俺たちゴルゴン一味に通行料を払いな!」
恰幅の良い男が腕を組んで叫んだ。他の二人もそれに同調するように笑みを浮かべている。随分と平和ボケした間抜けそうな顔をしている。
「おい、ゴルゴンゾーラだかモッツァレラだか知らんが、ハムチーズにされたくなかったらどいた方が身のためだぞ」
こんな気持ちよく晴れ渡った気分の良い日に、誰だって嫌な思い出は作りたくないだろう。
「てめぇ、兄貴をバカにしやがったな!」
小柄な下っ端が甲高い声を張り上げた。別の細身の下っ端は、懐から取り出したナイフを構える。
「ケチャップも足してやろうか?」
笑いながらそう答えた瞬間、ナイフを構えていた下っ端が飛びかかってくる。
「うらぁッ!」
喉元に迫ってきたナイフの切っ先は足を半歩ずらしてかわし、体勢が崩れてがら空きになった胴体に膝蹴りを叩き込む。この程度の相手なら魔唱を使うまでもなさそうだ。
「この野郎!」
恰幅の良い兄貴分の男が目前で拳を振り上げていたが、これも上体をそらして難なくかわした。伸びきった腕を掴み、円を描くように回すと勢いそのままに飛んで行く。
「くっ!」
そして空中から降ってきたナイフを器用に掴み、前方へと鋭く投げた。
「ひぇっ」
飛んで行ったナイフが小柄な男の頬にかすり、レンガの壁に勢い良く突き刺さる。狙った箇所からは3ミリ程度のずれといったところか。
「続けるなら、次は手加減できないけど?」
できる限り爽やかな笑顔を浮かべたつもりであったが、三人は恐怖に顔を引き攣らせると「覚えてろよ〜!」という捨て台詞を残して去って行ってしまった。
さてと、人探しへと戻るか。彼らの敗走をにこやかに見送った後、細い路地を抜けると大通りにある市場へと出た。野菜や果物に肉はもちろん、武器、装飾品…ささやかな魔導具なんかも売っている。ここで装備品を整えるついでに「預言の子」について尋ねることにしよう、幸い依頼の前金のおかげで懐は温かい。
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「おい、兄ちゃん。傭兵だろ? 見てけよ」
市場を歩いていると、露店の店主に声をかけられた。腕まくりをした大男が愛想の良い笑いを浮かべている。
「よく俺が傭兵だって分かったな」
「入国するときに得物を取り上げられたんだろ? それに佇まいを見りゃ分かるぜ」
店先にはブロードソードやハンマーはもちろん、珍しいものではククリやハルバードなんかも並べられている。
「へぇ〜、品揃えも悪くない」
「まぁな。ここで出店をやっちゃいるが、商業区の方じゃ上客向けにもっと珍しい武器も卸してる」
なるほど、よく見ると他の露店の店主に比べて身なりもしっかりしている。おそらく日中はこの市場で商売し、夕方以降は騎士や貴族などを相手に取引しているのだろう、随分と働き者のようだ。
試しに店先に置いてあったロングソードを手に取ってみる。刃先は滑らかに研磨されており、握り心地も悪くないようだ。品質は上々といったところだろう。
「おっさん、これはいくらだ?」
「あぁ、それなら500オアルだ」
500オアルは金貨5枚分だ。一般的にはパン2つで銅貨1枚の1オアル、宿を一晩借りるなら銀貨1枚の10オアルが相場である。つまりこのロングソード1本で1年分の朝飯代、もしくは1月半の宿代となりえる。
「随分とぼったくるんだな」
「バカ言え。他の店に比べりゃ価格は二倍だが、質は十倍だぞ」
たしかに店主の言っていることは一理ある。実際今まで色々な剣を触ってきたが、露店に置いてあるものでここまでしっかり作られた剣は中々目にしない。それに半年は生活に困らない分の金も持ってきてある。
「分かった、買うよ。ついでなんだが、預言の子って知ってるか?」
そう尋ねると、途端に店主の顔が強張った。周囲に慎重に目を配らせた後、ゆっくりと顔を近付けてくる。
「……兄ちゃん、エストの人間じゃねーのにどこでそれを聞いた?」
「その辺を歩いていた子供が口にして母親に怒られてたから、何のことかと気になったもんでね」
無闇やたらと依頼のことを話すつもりはない。ともかく、この店主は預言の子について何か知っている様子だ。
「そうか……預言の子ってのは、スラムの道端で花を売ってる小娘のことだよ」
小娘? ってことは、依頼主の言っていた護衛対象は少女なのか?
「いいか。この町の連中の前で、無闇にその言葉は口にすんじゃねぇぞ」
店主は顔をしかめている、どうやら預言の子と呼ばれてる奴はこの町じゃ厄介者らしい。
「あぁ、忠告ありがとよ」
金貨を5枚渡すと、店主は「兄ちゃん、気をつけろよ」と囁く。こんな平和そうな国で、何か気をつけることなんてあるのだろうか? 市場を出てスラム街へと向かう坂道を歩き出す。活気豊かな城下町の上で、空は青く晴れ渡っていた。