「南無阿弥陀仏」
老人と会話をしたあの日から、二日が経った、その日の放課後、教室に残ったぼくを、森田が殺そうとした。
教室に残って本を読んでいたぼくだったが、森田と二人きりになったところで、突如として筆箱に入っていたカッターを取り出し、ぼくに一突き、腰に刃が突き刺さり、血が溢れた。
「お前を殺せばさ、有名になれるんだよ。なあ、頼むよ。友達じゃないか、おれのために死んでくれよ」
「痛い、やめてくれ、痛いんだ、本当に痛いんだ、酷く痛むんだ、やめてくれよ、森田、友達だろう」
「う、うるさい。その口元をカッターで抉り、二度と喋れなくしてやるぞ」
「どうしてだよ、犯罪者として有名になったところで、そんなもの、誇れるわけがないだろう」
「まさか。そんな馬鹿な真似、絶対にしない。気づいていなかったのか、自分の罪に。恵太くんよぅ、お前を殺せばおれは、英雄になれるんだ」
話が通じない。彼は、いわゆるサイコパスだったのだ。そう考えないと、とても頭の整理ができなかった。
職員室だ。職員室に逃げよう。教員に助けてもらおう。このまま森田と同じ部屋にいて、なおかつ生き残るなんて、そんなもの、土台無理な話なんだ。
「お、っらあ!」
手元に置いてあった鞄を手に取り、それを勢い良く森田にぶつける。ダメージ、なんてものは当然与えられないが、しかし、視界を塞ぐくらいならば出来るはずだ。
走れ。走れ。頑張れ、ぼく。ぼくは強い。ぼくは速い。彼は弱い。彼は遅い。追いつかれるわけには、いかない。
「待ちやがれ、クソッタレッ!」
手を伸ばした彼は、地面に倒れた。恐らく手を伸ばしすぎて、足腰が負担に耐えられなかったのだろう。良いぞ。好機だ。逃げろ。逃げろ。
階段で急カーブ。階段は三段飛ばしで、跳ぶ。職員室のある、二階に辿り着いたならば、すぐに左折。このまま職員室へ。
「頑張れ、ぼく、頑張れ、ぼく、頑張れ、ぼくっ」
目前に職員室。扉を、開け──
「──‥‥‥誰も、いない」
恐ろしいほどの殺風景が、ぼくの視界には広がっていた。無数に置いてあるプリントとは裏腹に、肝心の人間が、一人もいない。
マズイ。マズイ。マズイ。捕まる。捕まってしまう。殺されてしまう。森田の足音が、聞こえた。
「っ、どうしたよ、恵太くんよう。頼みの綱だった職員室に、誰もいなくて驚いたのかよ。そうさ、そういうことなのさ。職員ですら、お前の死を望んでいるんだ。先生方はよう、お前の入学、拒んだらしいぜ。でもそれだと、人権問題が関わってくるからな。だから、嫌々ながらも、お前を入学させた。でもなあ、本当は死んでほしかったんだ。だからこっそりと、おれが今回の計画を伝えた。喜んで賛同してくれたよ。どうだい、恵太くんよう。悔しいかい、恐ろしいかい、走馬灯でも見えているのかい」
「い、や、だ」
「何だよ、もう認めちまえよ、自分さえいなければ、皆が幸せになれるんだぜ。ならいっそのこと、世界のために死んでみようとは思わないかい」
「死にたく、ない」
「そうかい。けど、残念だった。南無阿弥陀仏だ、さようなら」
森田が駆けてくる。ぼくの許に。ぼくの目前に来て、そしてカッターナイフを、ぼくの腹部に向かって。
「う、が、あ、ああ、あ、あぁ‥‥‥」
血が溢れる。どこかの血管が途切れたのだろう、ある一瞬を境に大量の血が噴き出た。
嘔吐が止まらないときのように、口を大きく開き、閉じない口から声が漏れる。そして、徐々に無くなる意識に抵抗など出来ずに、とある瞬間に辿り着いたとき、ぷつりと、視界が真っ暗になった。
ラーメンの玉子を、海苔で包んで食べるとすごく美味しいので、ぜひ試してみてください。