「湊本洸丞」
ぼく、桂木恵太は、どこにでもいるような中学三年生だ。社会人に聞けば、「あのころはラクチンだったなあ」と口を揃えて言いそうな、そんな高校受験に焦っている、どこにでもいる中学三年生。季節は冬で、クラス全体が緊張と焦りに包まれる、そんな時期だった。そんな時期のことだった。
「なあ、桂木。明日さ、ゲーセンで遊ぼうぜ」
友達の森田は推薦を取っているため、受験はもう終わったようなもので、いつもこうして、ぼくを遊びに誘ってくる。恐らく、この男には周りというものが見えていないのだ。自分の受験は終わったから、他人も良いんじゃない、というような、自己中心的な思考をしているのだろう。
「残念だけど、明日は塾なんだ。ごめんね」
「ちぇ。付き合い悪いぜ、恵太くんよ」
「森田も少し、勉強をしたらどう」
「推薦取ってるし。推薦取ってて不合格だったやつ、一人もいないらしいし。もう、終わってるわけ。理由がなけりゃ、勉強なんてやらねえよ」
「なるほど。キミはそういうやつなのか」
「な、なんだよ、悪いかよっ」
「勉強は大切だよ。受験が終わっている、というのは勉強をしない理由にはならないよ。学ぶということは、それだけ視野が広がるということなんだ。周りの景色も変わってくる。モノの捉え方も変わってくる。勉強して損になるもの、というのは、時間くらいしかないよ。だからやっぱり、勉強は大切だ」
「わけわかんねえ。恵太って、つまんねえな」
「そうかい。キミが言うなら、そうなんだろうね」
もう、森田がぼくに関わることはないだろう。そう思うと、やっぱり少し、寂しかった。
塾の帰り、二十二時ごろのことである。道路で奇妙な老人を見かけた。酔っているのか、その足元はふらついており、独り言であろうその言葉には、明確な意味が感じ取れなかった。
「魔法陣が、ぐる、ぐる、ぐる。一周廻って、また戻り、またまた戻り、アナタの許へ。切っても切れない紅い糸、道路でばたりと、あらアナタ」
背筋が凍るようだった。心底恐くなり、自然と早足になった。去り際にちらりと、白髭を生やしたその老人を見てみると、煩いほどだった独り言は言っておらず、口を開いて、じっと、ぼくのほうを見つめていた。老人の目には光が宿っておらず、また、ぼくの何かを見たがっているような深刻で険しい顔つきに、余計恐怖を感じ、駆けるように逃げた。
「お待ちくだされ!」
老人が怒鳴り声が聞こえたが、無視して逃げた。
翌日の放課後、家に戻ると、昨日の老人が黒いスーツを着て、玄関に佇んでいた。ぼくが近づくと、心の底から嬉しそうな笑顔を見せ、言った。
「お帰りなさい、待っていましたよ」
何がどうなっているのか、頭が追い付かなかった。友人さながら、挨拶をするべきなのか。逃げるべきなのか。警察に通報するべきなのか。
意味不明だったが、一言も言葉を発さないのも不自然だろうと、妙な意識が働いて、遂に言葉を掛けてしまった。
「何の、用事ですか。ぼくに何か、用事が、あったりとか」
「ははははは! 用事、と言うような大層なモノはございませんや。兎にも角にも、名前、経歴、全て調べさせていただきました。桂木圭太くん、アナタ、母親がどういう人間だったのか、憶えているかな」
「母親は、いません」
「なるほどね。それじゃあ、湊本洸丞、という人物を、知っているかな」
「あ、はい。真理教の教祖ですよね。大量虐殺をして、死刑になった、あの」
「ほう。よく知っているね。死刑が執行されたのは、キミが産まれて間もないころだろうに」
「何故か、父親によく聞かされたんです。この男だけは、許してはならない、って」
「ははははは! そりゃそうだ。何せ、大量虐殺犯、だものね。はは、はははは。それじゃあ、いまは父親と二人暮らし、なのかな」
「いえ、父親も、いません。『毎月、百万円が振り込まれるから、これからはそれで生活しなさい』と、言い残して、他界しました。それ以降は、一人暮らしをしています。どこから来ているのか判らない百万円を使って」
「ほうほう。そういう場合、普通ならば親戚が引き取ってくれるんじゃないのかな」
「‥‥‥誰も、引き取って、くれませんでした、ので」
「その理由、自分では解ってる?」
「いや、何も、」
「キミは相当、辛い生き方をしたのだろうね。今日から、私と暮らさないかい? キミの母親も、それを、いや、何でもないや」
「イヤですよ、そんな。今日会ったばかりなのに、どうして」
「まあ、そうだよね。うんうん。それじゃあ、私は失礼するとしよう。さようなら。また会おう」
言い残し、老人は右手を振りながら、そそくさと去った。
新章、とでも言うのでしょうか、とにかく、新しい語り部でスタートです。