他界窓口の順番が回ってくる
一ヶ月ほどして、担当編集者の立花さんと、また、先月の喫茶店で打ち合わせをしていた。
立花さんは珈琲を二杯頼んだ。長いこと話すつもりなのだろうか。何を。やはり、先月の殺人未遂事件だろうな。
「早速だけどさ、また、殺人未遂事件の被害者になったんだってね」
「ええ。まあ」
「ははは。えらく落ち着いているなあ。宮崎先生、実は自分から殺人未遂に遭遇しよう、とか思ってないよね」
「いえ、そんな。わざわざ死にかけるなんて、そんなこと」
「ふーん。あのね、困るんだよ。前に言ったかもしれないけど。宮崎先生の小説、まあ、売れてないけどさ。あ、そういえば。先月のあの小説も、全然売れてないよ。でもさ、売れてないにしろ、やっぱり大事な作家さんなんだよ。わかるかな」
「はあ。わかります」
「これ以上殺人未遂とか、もう、こっちもさ、宮崎先生の小説を出版するの、やめたくなるよ。というかさ、狙われちゃってるんじゃないの。ははは」
「ははは」
「笑えないんだけど、これ」
「はあ。わかります」
「それじゃあ、新作のプロットとか、あるかな」
「一応、書き上げてきました」
「え。プロットを、だよね」
「いや、本文を書きました。今回はプロットとか、ありません」
「へええ。それじゃあ自信とか、あるのかな」
「ええ。まあ」
「ははは。それじゃあお手並み拝見、といこうかな」
「では、印刷してきます」
「待たせるなよ。はは」
おもむろに席から立ち上がり、そして喫茶店の隅にある、コピー機で立ち止まり、印刷を始める。ちらりと振り向くと、立花さんは、珈琲を二杯、頼んでいた。
ボクと初めて出会ったときのような、実に嬉々とした表情を、五年ぶりに見せていた。いつもなら一ヶ月で本文まで書き終えるなんて偉業、ボクには到底成せないから、余程筆が進む内容なのか、そう期待しているのだろう。
今回の新作は、正直、ボクとしても、かなりの手応えを感じていた。
小説家の主人公が、二度の殺人未遂の末に、人間に醜さを覚え、最終的には自殺をする、といったような内容であった。ほとんど自伝だったが、それゆえに売れるのかもしれない、そんな気持ちで書いた。
出来上がった一五○ページ以上の紙束を、どさりと机に置いた。反動で少し珈琲が零れたが、そんな些細なこと、立花さんは気にしていない様子だった。
一杯の珈琲が、ボクの側に置いてあった。飲んでいいよ、という、立花さんなりに、お礼のつもりなのだろう。これで酷評を食らったら、どうなるかわかったものじゃないが。
「早速読ませてもらおうかな。ははは」
「お願いします」
二時間が経っただろうか、そんなときに、立花さんが、珍しく我を忘れていたようで、大声をあげた。
「すごいよ、これ! なるほどね、自伝を持ってくるとは思っていなかった。うんうん、リアルに描写できているよ。無駄じゃなかったんだね、殺人未遂は。『プロ小説家が自伝である殺人未遂事件を書く』、売れそうだよ。あはははっ」
「ありがとうございます」
「宮崎先生、やればできるじゃん。これ、ひょっとしたら、ベストセラー、いけるんじゃない」
「ありがとうございます」
「驚いたなあ。まさか宮崎先生がねえ。これ、すごいなあ」
「ありがとうございます」
「うんうん。これなら早速、出版できそうだ。編集長にも推しておくよ」
「ありがとうございます」
「はは。それじゃあ、ここらへんで失礼しようかな。珈琲はオレが払っておこう」
「ありがとうございます」
慌ただしく店を出た立花さんを見ながら、深く息を吸い、そしてボクも立ち上がった。いつもの、新作を書かなければという焦りが、びっくりするほどなく、酷く落ち着いていた。
ボクの頬は、自然と緩んでいた。
深夜だった。新作が編集部でも好評だったと立花さんから報告を受け、夜食を摂る姉に、そのことを伝えた。
「へえ。売れるといいわね」
「売れたら助かるんだけれどね」
今までの小説の酷評具合を知る姉は、「弟が書く小説の中では好評だった」と解釈をしているのだろう、あまり喜んではいなかった。
珍しく夜食を残した姉は、席から立ち上がり、そして机に置いてある寝間着一式を持って、シャワールームへ向かった。
何というか、不自然だった。
思えば、このときから姉は、決行することを決めていたのかもしれない。だからこそ、どうなってもいいように、シャワーを浴びたのかもしれない。
シャワールームから出てきた姉は、湯気が立ち昇る身体を拭きもせず、ボクのほうへ歩き出した。
そして、どさり、と、ボクを抱いたまま床に倒れ、次いでボクの首を掴んだ。緩みなく、少しずつ力が強まって、遂にはボクの口から泡が噴き出るほどに深まった。
「ぐ、あっ。どっ、したんだ、離してぐ、れえ」
「ごめんなさいね。これしかないの。だってアンタの××は×××なのだから。多くの人間に××を×って、そして××をしたの。偶然にも××になってしまった。それで少しずつ、自分に××があるのではないかと×い始めてね。×××を立ち上げて、×を×××。だから×××××××よ」
彼女は言った。
「××を××××、私も×××。だから、××してね。××して××××」
最期に、彼女は言った。
「×××××」
完結、なわけですけれど。一応。
とはいっても、やはり謎が解けなかったという読者がほとんどだと思いますので、短編小説みたいなのを続けて、少しずつ謎が解明されていったらなあ、と思います。
お付き合いいただければ幸いです。