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夏杯

作者: ベネ・水代

 蝉の合唱が盛りになる頃、懐かしく思い出すものがある。


 喉と胸に残る冷たい炎。じんと頭に広がる豊かな香り。


 カランと氷を鳴らす、あの透明な琥珀色の液体を。




 僕はビールもワインも日本酒もウイスキーも飲む。ただし普段から飲むほうではないし、酔いつぶれるような飲み方もしない。適量で心地よく酔うのが上品な楽しみ方だと思うし、何かちょっとした折に良い酒をじっくり味わうのが好きだ。


 そもそも酒は嗜好品だ。楽しまなければ意味がない。


 たとえ故人を偲んで傾ける杯だったとしても。




 G君という知己がいた。しっかりした考えを持つ男だった。僕らはオンラインゲームで知り合って意気投合し、まじめな話も馬鹿な話もたくさんした。ネット越しでも伝わってくる彼の度量の大きさ、清濁併せ呑むバランスの良さ、多方面に渡る豊富な知識には敬服したものだ。


 彼は酒豪でも呑兵衛のんべえでもなかったが、仕事の関係で誰かを接待したりされたりする機会が多かったらしい。上品な店をいくつも知っていて、美味い酒をじっくり飲むというスタイルも僕と共通していた。僕が近くに立ち寄ることがあれば、良い店を紹介すると約束もしてくれた。


 数年前の夏に、約束は果たされないまま終わった。


 彼の訃報を聞いた時、「とうとう一緒に飲むことができなかった」と寂しくなったのを覚えている。ゲームの話も仕事の話も山ほどしたというのに、なぜか僕にとって彼と酒は不可分の関係だった。




 そのG君がお気に入りだと薦めてくれたウイスキーがある。少しばかり高級な代物。試しに買って外れたらと思うと、手を出しにくい価格帯のものだった。


 実際に飲んでみて、ある意味で後悔した。熟成されたそれは口当たりが良く香りも芳醇で、とても心地よく酔えた。なるほどこれは高額でも納得だ。安いウイスキーでお試しなどするものではなかった。


 彼がいなくなってから二年間、八月には必ずそのウイスキーを飲むようにしていた。


 儀式は三年目からできなくなった。酒が手に入らなくなったのだ。その銘柄は低ランクを除いて在庫が払底したらしく、ネットショップでもかなりの高値がつくようになった。


 現在出荷されている低ランク品は熟成年数が圧倒的に少なく、香りがきつい。一応試してみたが、僕の好みからはだいぶ外れてしまっていた。


 口に合わない酒を無理に飲んだところで、誰も得をしない。名残惜しいがあのウイスキーにこだわることはやめた。今ではその時々に好きな酒で献杯することにしている。


 G君としても、あの酒が手に入らないからと僕が嘆くことを望まないだろう。


 彼ならきっと「自分を肴にするなら楽しい時間を過ごしてくれ」と願う。お気に入りのウイスキーが手に入らないことは残念に思うだろうが、きっと即座に次の酒を薦めてくる。もう悼まなくていい、あの酒は卒業しろとさえ言うかもしれない。




 蝉の声が今から待ち遠しい。


 この夏はG君の墓参りに行って、僕のお気に入りを墓石にかけてやろうと思う。彼のことだから天上の美酒を見つけているかもしれないが、たまには下界の味を懐かしく思うこともあるだろう。


 今おすすめできるのは日本酒、ドイツビール、ドイツワインがそれぞれ数種類だ。ジンならお決まりの銘柄が一つある。この中のどれを持って行こうかと思うと、少しわくわくする。僕らにとって、酒は楽しんで飲むものだから。

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