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TERENT  作者: よめはら
2/2

Shine 2

 僕は、夕暮れのひまわり畑がこの世で一番恐ろしい光景だと思う。山の端から鋭く差し込んでくる太陽の光から目を逸らすかのように、畑一面に植えられたひまわりたちが地面を向く。昼間は熱心に太陽を見つめ続けていたというのに、夜は太陽がいなくなってしまうとわかった途端に、視線を逸らしているように見えたその光景が、幼いころの僕にはひどく怖いものに見えた。それには心理的な理由もある。はじめて夕暮れのひまわり畑を見た時、それがはじめて雄助さんに僕は養子であるということを伝えられた日だったということだ。動揺して村中をめちゃくちゃに走り回り、疲れてたどり着いた先がそこだった。自分の母親は雄助さんの妹で既に死んでいて、実の父親とは音信不通。雄助さんは本当の父親ではない。それならいつか、僕のことなんてどうでもよくなるかもしれない。雄助さんがいなくなって、一人になる。じゃあその時、誰が僕のことを見ていてくれるのか。そんな思いに至った時、太陽から一心に目を背けるひまわりを見て、僕の中で恐怖の感情が爆発した。僕はいらない子かもしれない。誰も僕を見てくれない、見つけてくれない。

「どうしたの?どこか痛いの?」

 優しい声と、僕の頭を撫でる温かい手のひら。太陽の光に照らされたその顔は、他でもなく僕を見てくれていた。それが、その時の僕を何よりも安心させて、まだ幼かった僕はその人の胸でわんわん泣いた。まわりがどんどん薄闇に包まれて、やがてひまわりたちが見えなくなっていく中で、その人の穏やかな笑顔だけが、くっきりと僕の目には見えていた。優しく僕の背中を叩きながら、「大丈夫、大丈夫」と言ってくれた。そう、そんな感じで。…いや、ちょっと強い。いや、だいぶ強い。強い強い、強すぎるよ上総さん…!


「ばんかお兄ちゃん!いつまでねてるの、起きてってば!」

「ぐっ…!」

「あ、やっと起きた!」

 背中の上に感じる圧迫感。ゴロリと無理やり仰向けになって顔の上にあった枕をどけると、背中の上から退いた幼女が得意げな顔でこちらを見下ろしているのが目に入る。

「もう八時なのに起きてこないから、あづさがとくべつに起こしてあげたんだからね」

 お礼は?と言いたげな顔でこちらを見ている健康優良児な小学三年生の梓に、僕は起きたてでぼーっとしたまま、「ありがとうございます」と反射的に言っていた。年上のプライドなんてものはない。古臭い扇風機の弱弱しい風では飛ばしきれない蒸し暑さをだんだんと身体が感じはじめて、ようやく頭がまわり始める。

「ばんかお兄ちゃん、まだ変なねかたしてるんだね。まくらを頭の上にのせてねるなんて、ばんかお兄ちゃんしかしないよ」

「うん、そうだね。梓はしないほうがいい」

「言われなくてもしないもーん」

 ふん、と鼻で笑いながら梓が言う。完全に下に見られている。少し前までは「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言いながらしょっちゅう僕に引っ付いてきて可愛らしかったというのに、いつの間にかずいぶんふてぶてしくなってしまった。時は残酷だな、と身体を起こしながら考えていると、梓はさっさと立ち上がって玄関のほうへ歩いて行く。どこに行くのか聞こうと僕が口を開いたのと同時に、くるりと振り返った梓が先に言葉の弾丸を僕に撃ち込む。

「お兄ちゃん、またママのゆめ見てたでしょ。ママの名前よんでたよ」

 ど真ん中命中。狙いを外さずに、僕の心の中の後ろ暗い気持ちボックスに大穴を開けた弾丸によって、中に入っていた罪悪感が一気に流れ出ていく。梓は自分の母親に邪な気持ちを持っているという、彼女からしてみれば気持ち悪いことこの上ないであろう僕の執念深い初恋を察しているのか。もしそうだとしたら謝ることしかできない。いや、そうでなくても梓には謝るしかない。小学三年生の前で土下座する図が脳裏に浮かんで、ますます梓の中の僕の変質者メーターが上がる予感しかしない。

「ふん…。わたし、モリーさんのとこにいるから。早くきてよね」

 僕が罪悪感の海で溺死しかけているうちに、肩よりも長いさらさらの黒髪をなびかせながら、梓は若干力強く部屋の扉を閉めて出ていってしまった。あれは絶対怒っている。間違いなく軽蔑されている。以前から僕に対してだけ当たりが強いのは薄々感じていたが、やっぱりバレているのかもしれない。ただでさえ女の子の扱いなどわからない僕にとって、しばらく一緒に生活することだけで十分荷が重いのに、そこに人間として軽蔑されているというメガトン級の重荷まで付いたら、もう生きていける気がしない。このまま本当に溺死したいと思いながら、僕は布団の上でしばらく頭を抱えていた。

 とりあえずこれ以上梓の機嫌を損なわないことが、今僕にできる最善だ。マイナス思考気味なのをどうにかしろと雄助さんにも言われていたし、くよくよ悩むことはやめよう。そう自分に言い聞かせながらなんとか立ち上がって、自分の分と当然のように放置されている梓の布団をたたむことに専念する。無造作に開けられているカーテンの間からは、容赦なく夏の日差しが入り込んできていて、じりじりと皮膚を焦がしていく。こんな日差しを浴びながら寝ていたから、あの夢を見たのだろう。何度か繰り返し見る夢で、初恋の人、そして梓の母親でもある上総さんとはじめて会った日の夢だ。あの日のことは、多分一生、忘れられないと思う。もしかしたら僕の脳も、僕にあの日を忘れさせないように定期的にあの夢を見させているのかもしれない。願ったりかなったりだな、と思いながらリュックサックを漁って着替えを取り出す。梓を背中に背負っている間、体の前側にまわしてリュックサックを背負っていたおかげか、動いてみると変な筋肉痛を起こしていることがわかってきた。これは引きずるな、と思いながら薄手のシャツに袖を通したところで、僕ははたと動きを止めた。

「モリーさんって誰だ」

 ここまでに十分は経過していることから分かるように、僕は朝が苦手だ。


 慌てて着替えを済ませて部屋を出て、隣の部屋に向かうと、部屋の前には大林という表札がかかっていた。モリーというから外国人をイメージしていたがどう見ても一般的な日本人の名字である。梓が隣の部屋ではなく違う部屋に行ってしまったという可能性もあるが、下の階には管理人さんの部屋か昨日の金髪の女の人の部屋しかない。雄助さんから聞いている名前は純日本人なものだが、万一管理人さんが外国人で日本語がわからないなどという地獄絵図が展開されるようなら、問答無用で梓を連れて村に帰ろう。固く決心しながら、とりあえずここの人の国籍を確認しようと呼び鈴を押した。

 中からはすぐに「はーい」という男の人の返事が返ってくる。そのイントネーションに若干の違和感を覚えているうちに、ガチャリと勢いよく扉が開く。出てきたのは、すらりとした高身長の黒髪の男の人だった。男の僕でも思わず気をとられるくらい、雑誌に載っているモデルの人のように格好良い。この人がモリーさんなら、ハーフの人なのかもしれない。

「あらやだ、かわいい子!」

 数秒前の前言は撤回する。ハーフじゃない。ハーフだとしても血の問題ではない。性別がハーフの人だった。昨夜に引き続き、初めて目にするタイプの人に僕は完全に及び腰状態である。

「でも貴方、男の子よね?櫻子チャンは女の子二人って言ってたはずだけど…。あ、そっか」

 顎に手を当てたモリーさんに顔を覗き込まれている間、僕は何の反応も返せない人形に成り果てていた。朝が苦手だからという理由だけではなく、頭が真っ白だった。

「貴方も私のお仲間なのね。最近はやりの男の娘ってやつかしら?確かに女の子と間違えちゃうくらい可愛いわ~」

「え…あの、僕は…」

「まー、ボクっ子キャラなの?あざといけど、すっぴんでそれだけ可愛ければ許されちゃうのかしら」

 言われていることの半分も理解できていないが、何か盛大な勘違いをされていることだけはわかる。なんとかしたいが、何を正せばいいのかもわからない。初めてコロンブスと言葉をかわした先住民族もこんな気持ちだったのだろうか。口を開けたり閉じたりすることしかできない生き物と化していると、部屋の奥からトタトタと足音がして梓がひょこりと顔を出した。

「ばんかお兄ちゃんは男の娘じゃないよ、モリーさん。ちょっとかみの毛が長いだけ」

「あらそうなの?やだ、ごめんなさい!私ったら早とちりしちゃって」

「でもよくお兄ちゃん女の子にまちがわれてるし、気にしなくていいと思う」

 梓がこの部屋にいたことに対する安心感と、モリーさんがやはりこの人であったことに対する驚きと、自分には全く理解できなかった話を梓が当然のように理解していることに対する悲しみという入り乱れまくった感情は僕のキャパシティを超えていて、さっきたたんだ布団を広げてその中に逃げ込みたくなってきていた。とりあえず女の子だと思われていたということでいいのだろうか。生来の女顔と肩より少し長いくらいの髪のせいで、女の子に間違われることは数えきれないほどあったため、今更もう何とも思わない。その意思も込めて、僕は曖昧に笑みを浮かべておいた。

「さあさ、気を取り直して中に入ってちょうだい。事情は櫻子チャンから聞いてるから、まずは朝ごはんでも食べましょ?」

 モリーさんが僕の肩に手を回して、部屋の中に招き入れてくれる。咄嗟に「そこまでしてもらうわけには…」と言おうとして、部屋の奥に見えるテーブルでクッションに腰を下ろして、梓が平然とトーストを咀嚼しているのが視界に入る。ナチュラルに初対面の一応男性の部屋で朝食を摂っている彼女のメンタルの強さが欲しい。

「紡サンね~、もうちょっとしたら帰ってくると思うのよ」

 大人しく梓と並んでテーブルの前のクッションの一つに座ると、部屋に入ってすぐのキッチンに立ってフライパンを準備しながら、モリーさんが声をかけてくる。程よくクーラーの効いた室内は僕たちが一晩借りた部屋と全く同じ間取りで、入ってすぐにキッチンとトイレ、その奥にベッドとテーブルの置かれたあまり大きいとはいえないものだ。昨日も思ったが東京の一部屋はこんなに狭いものなのだろうか。田舎の無駄にだだっ広い畳の間に慣れてしまっているためか、手を伸ばせば大体のものに手が届く部屋の様子が珍しくて、ついしげしげと部屋中を見まわしてしまう。

 落ち着いた色合いの家具とカーテン、ベッドカバー、と目が行ったところで、ベッドの上の布団で視線が止まる。よく見ると布団がわずかにではあるが、上下に規則的に動いている気がする。もしかして誰かが寝ているのでは、と思っていると、キッチンのモリーさんと目が合って、意味ありげな微笑みを返された。…これは高校一年生にはまだ早い世界だ。もっと言えば小学三年生は知らなくていい世界、いや知っていてほしくない世界だ。まだ梓にはプリキュアに夢中な穢れなき小学生でいてほしい僕は、彼女がベッドに気が付かないくらいトーストを食べることに集中してくれるよう願った。

 しばらくして、モリーさんがトーストと目玉焼きの乗った皿とアイスティーの入ったグラスをそれぞれ二つずつテーブルに運んできた。後ろ手でキッチンとリビングを隔てる襖を閉めながら、僕の前に腰を下ろす。

「はい、簡単なものでごめんなさいね。ヨーグルトもあるから後でよかったら食べてちょうだい」

「いえ…すみません、わざわざ作っていただいて」

「そんなに気にしないで。貴方たちがお腹を空かせている横で、私一人でバリバリ朝食を食べる気になんてなれないだけよ」

 ひらひらと手を振りながらモリーさんが笑う。この人も強烈な個性の人ではあるけれど、とても優しい人だと思う。モリーさんにも日を改めて菓子折りを持ってお礼に来ないといけない。

「そうだ、まだちゃんと名乗ってなかったわね。今更だけど、私は大林守一。皆にはモリーとかマリリンって呼ばれてるから、そう呼んで頂戴」

 トーストを片手にモリーさんがにっこり笑いながら言う。ああなるほど、だからモリーなのかと納得してしまったが、何かが根本的におかしいことに数秒後に気が付いた。しかし、この状況であなたは男性なのになんで女性の名前のあだ名なのですか、なんて聞くのはハイレベルビビりな僕には無理な話なので、あえて気づかなかったふりをする選択肢を選んでいた。

「では、モリーさんで。…あ、僕は瀬川晩夏です。この子は川澄梓といいます」

「あら、貴方たち兄弟ってわけじゃないの?」

 モリーさんが驚いたように僕たちを見た。確かに、傍から見たら少し年の離れた兄弟のように見えるのかもしれない。

「ちがうよ!あづさはばんかお兄ちゃんみたいにぼーっとしてないし、泣き虫じゃないし、ねかたも変じゃないからぜんぜんにてないし、兄弟なんかじゃないよ!」

 そんな僕のほっこりした気持ちを梓の大声の否定が徹底的に潰していく。確かに、自分の母親のことが好きな男と兄弟扱いされるのは嫌だろう。ああ、これはもう梓にバレている説が濃厚になってきた。

「あらあら、そうなの。まあそうだとしたら、ますます珍しいお客さんね」

「あの、紡さんを訪ねてくる人って多いんですか?」

 昨日僕と梓が泊まった部屋のことを、女の人が客室として使っていると言っていたことからも考えて、梓を見て微笑むモリーさんに尋ねてみた。

「そうね、多いわよ。まあ大体、女絡みだけどねー」

「女…?」

「ここまで押しかけてきて、紡に会いたい、会うまで帰らない!ってごねる女が割といるのよー。中には紡の隠し子だっていう子供が来たりしたこともあったわ。最近はいちいち突き返すのがもう面倒くさくなって、空いている部屋を貸し出して、そこで好きなだけ紡が帰ってくるまで待ってもらうようにしてるの」

 いい迷惑よねー、と言うモリーさんに、そうですね、と返しながら、僕はここにやってきたことを今までで一番後悔していた。昨夜の女の人の言葉に覚えた違和感は、あの人が僕たちのことを管理人さんの女性問題絡みで来たと思って話していたことに対するものだったのだろう。高校生の養子とはいえ息子と、恋人の小学生の娘を預けるのに、もっと適切な人はいなかったのか。痛いくらいに感じる梓からの視線に耐えるのが辛い。本当に村に帰りたい。ここに来たのも元はと言えば雄助さんの勝手にしぶしぶ従っただけだし、帰っても文句を言われる筋合いはないのではないか。駅員さんと昨夜の女の人とモリーさんに菓子折りを渡して帰ろう。帰って一人静かに、初恋の痛手を慰めることに専念しよう。そう本気で思い始めた矢先、ガチャンと扉が開く音がして、続けて男の人の声が聞こえた。

「守一、悪いなー、俺のお客さん来てるって?」

「あら噂をすれば、ね。遅いわよ、紡サン!」

 こちらに向かってにっと笑った後、襖を開けながらモリーさんが男の人に声をかける。ドタドタという慌ただしい物音の後、くたびれた白シャツにジーンズを履いた男が、くしゃくしゃの茶髪の頭を掻きながらリビングに入ってきた。少し疲れたような顔で無精ひげもあるが、雄助さんよりもだいぶ若く見える。

「いやー、ちょっとたて込んじゃって。お待たせしました、えっと…」

「…あなたが、鈴成紡さんですか?」

 僕はいつもよりも言い方がつっけんどんになっていることを感じながら、へらりと笑っている目の前の男の人に問いかける。雄助さんの知り合いで、このアパートの管理人さんで、そして僕と梓がしばらくお世話にならなければならない人。そんな鈴成紡という人物に対しての僕の評価は、今まで会ったどんな人よりもマイナスからのスタートとなった。


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