第四話:飲食の節穴
犯罪というものは、頭を使って計画的に行わなければならない。
だから組織化する。社会的に後ろ暗いことをして生計を立てたり、趣味にしたりしている者達が、所属することで情報の共有を円滑にし、かつ縄張りの競合が起きないようにするための反社会犯罪組織。特に何か大きいことを為そうというわけではない。それこそ現行の王政国家転覆などがやりたい輩は、皆革命軍に行く。この組織はあくまで、万引きや置き引き、食い逃げ押し込み強盗空き巣、強姦放火恐喝殺人など、王が発布した王国法に真っ向から反発する、いわば犯罪者たちが所属するためのものだ。崇高な使命を掲げているわけではない。
男が所属しているのも、そんな組織の一つであった。犯罪組織は一つしかないが、その中にもたとえば万引きを専門にする連中等が徒党を組んだ流派や派閥というものが存在したり、そもそも名前だけ所属はしているものの一匹狼だったりと、厳密に言うとほとんど複数の組織があるようなものなのであった。
そんな組織が存在する理由は、先述の通り「縄張りが競合しないこと」が第一に挙げられる。たとえば万引きを専門、あるいは主な犯行とする人間たちが所属するコミュニティには、誰がどのあたりを縄張りにしているかというのが一目でわかる地図があるという。そこに所属する人間達は、他人のテリトリーを侵さないことを誓約させられるのだ。協力を仰いで複数人での犯行はもちろん別として。
専門コミュニティの中には、組織により早く入った者の方が縄張り争いにおいて優先されるという決まりがある以外に、上下関係というものは存在しない。年功序列は個人の価値観の問題だ。
「ご注文はお決まりですか」
「……これ」
しかし各コミュニティにも上が存在する。組織を立ち上げた幾人かの人間が運営する統括委員会である。この委員会の存在だけは絶対であった。組織に一度所属した以上、この委員会に逆らえば迅速に始末される。殺人を業とするコミュニティの人間が一人行方不明になっているらしいが、恐らくそいつは委員会に楯突いてしまったのだろう。新参者だという話だった。
男はつい十日ほど前に送られてきた手紙の内容を思い出す。
『魔王が死にました。以降の犯罪行為を当面の間禁止します』
簡潔な文面。相変わらず署名の無いそれは、実は魔物から送られてきているという噂もあったが、真偽のほどは誰にも分からない。それどころか、委員会がどんな「奴ら」によって構成されているのかもわからなかった。
これと同じ書は、組織に属するすべてのコミュニティに送られているようだった。もちろん異議を唱える人間も少なくない数居たし、手紙に書いてある「命令」を無視した人間も何人かいたらしい。
……そいつらは、みんな姿を消した。
男の所属するコミュニティにも文句を言う人間は大多数いたそうだが、置き引きやスリなどがメインの、他人を肉体的に傷つけることのない犯罪者がほとんどであったため、委員会に逆らうことを是とした構成員はいなかった。
注文したセーマが机に運ばれてくる。マメを挽いて淹れられた、暗灰色で苦みのある飲み物である。特段好物であるだとか、そういうわけではなかったのだが、この店で一番安かったので頼んだ。百王国銅貨二枚。店で飲むにしてはかなり良心的な値段である。祭という店内の回転速度が重要である今日この日、たった一品、飲み物だけを注文した客、つまり男にも、嫌な顔一つせず笑顔を向けてくれる店員には好感を覚えた。
「ここはなんの店なんだ?」
「焼き料理がメインの店ですね。ポッティ焼きという他の店では味わえぬ珍味がオススメです。……ここだけの話、裏メニューなんですよ。知ってる人間もあまりいません」
親子だろうか。十歳くらいの少年を引き連れて、三十代くらいの厳めしい男がそんなことを話しながら店に入ってきた。男が座っている奥まった席からだと、入口の状況が良く見えるのだ。ついでに言うと、通りに面した店内に入って来ない客用の支払い・商品受け渡し口、及び厨房の様子も同じ方向を向いているだけでよく見える。おまけに入口もすぐ近くであった。
男はアイスセーマを口に含む。
「おい、我はもうトウモロコシは口にせぬからな!」
そして噴いた。
咳き込む。慌てて駆け寄ってくれたやたら愛想の良い男の店員に布をもらい、丁寧に礼を言う。少年と男に続いて怒鳴りと共に店に入ってきたのは、やたらと丈の短い半袖短パンに身を包んだ、天井に頭が閊えそうなくらいの筋肉だったのだ。
……ど、どう考えても変質者……!
男は内心で動揺を隠せない。もしかしたら組織の変質者コミュニティに属してるんじゃと一瞬考えかけたが、よく考えなくともアレは犯罪とかじゃなくて生き様なんだろうなあ……
周囲が何も言わないから大丈夫なのだろう。アレは関わったらダメな種類の人間なのだ。
なんとなく目を離せないでいると、少年と筋肉はカウンター席に着いたようだった。店内を見渡せる位置に座っている己の目と鼻の先、左手側である。少年の父親らしき男は先程の愛想の良い店員と話し始めた。
「お待たせしました」
カウンターに並んで座る筋肉と少年。少年がこちらから見て手前に座っている。
対称的な二人であった。
分厚い手袋に口元まで覆う布、顔の右半分を隠す前髪。紙よりも大理石よりも処女雪よりも白い、もはや血が通っているとは思えないほど白い肌とは対照的に、その身を包む衣服の類はすべて黒に統一されている。その服装のセンスはともかく、布も仕立ても高級そうで、また、夜闇よりも黒い髪はかなり丁寧に手入れされているようで縮れ一つ無い。
その少年がなんの目隠しにもならないくらいに体積のある中年くらいの男。焦げ茶の髪を後ろに撫でつけてある。同色の目の嵌まった彫りの深い眼窩の周りと眉間にはくっきりとした皺が刻まれていて、歩んできた年季を思わせた。しかし一分の隙もないくらい鍛え上げられた体はなぜか貧相な半袖短パンに押し込められている。
どう見ても貴族の息子とその従者でしかなかった。従者はちょっと怪しくも思うがさておき、ということは、にこやかな方、目の細い店員と話し込んでいる男はきっと取引相手とかそんな感じなのだろう。こちらはどう見たって貴族には見えなかった。先程は少年とは親子なのかと勘違いしたが、近くで見ればどう見ても違う。
「ポッティ焼き? ってのを、二つくれ」
少年がおもむろに口を開く。ポッティ? なんだそれは。野菜か? 聞いたことのない名前だ。どうもメニューにも載っていないようである。もしかするとなんらかの隠語なのかもしれない。男は金の匂いを嗅ぎ取った。素早く少年と筋肉に目を走らせる。手荷物の類はなにも持っていないのか? いやそれどころか、「武器の類も携行していない」ようである。
となれば狙うは、
……財布だ。
スリならむしろ置き引きよりも得意とすら言える。
「構いませんが、どこでそれを聞いたんですか?」
「俺が教えたんだよ」
にこやかな店員が聞き、その傍らに立った三十路くらいの厳つい男が答える。
メニューとしてはあるようだ。ただ、それが品物であるかどうかはまだわからない。もしかしたら自分は今、裏取引の現場などに出くわしているのかもしれない。犯罪を遂行するには頭がいる。頭を何のために使うのかというと情報の収集と処理のためだ。男は一言も聞き漏らすまいと、耳をそばだてた。
と、その時である。男の眼前に、二つの人影が立った。いつの間にか移動していたらしいにこやかな店員が、背後に長身の男を連れている。
「失礼、相席を了承してくれませんか」
言いつつ、こちらの同意を得る気はないのか、すでに椅子を引いている長身の青年。貴族らしき少年たちの情報収集に躍起になっていたせいで、接近に気付かなかったらしい。メガネをかけた細身の男は、すでにその長身を椅子と机の間に滑り込ませている。
男は、目の前の眼鏡を追い払おうとして口を開きかけ――
『私は北門門番第三班所属、ガロン・スチュアーテスと申します。捜査協力のため、この席を替わっていただくか、相席を認めていただきたいのです』
差し出された紙束に書かれた文字を見て、絶句した。
北門門番第三班。つまるところ、憲兵や警吏、治安維持隊が目の前に座ったということであった。
☆
二つ目のトウモロコシの焼き菓子を頼んだ瞬間、少年の方が店を出ようと言った。あわてて焼き菓子をキャンセルしようとしたが、もうすでに焼きあがっていた。逃げ道が無かった。
そうしてどうにか焼き菓子を胃袋に詰め込み、気合で一行を追ったガロンは、交差点の角にある店に彼らが入っていくのを見た。
……もし今後出世して中央に行くことがあれば、甘味禁止令を出します……!
重たい腹と焼けた胸を我慢しながら、これも仕事なのだと自分に言い聞かせて歩を進める。今度はどうやら水で溶いたコムギ粉に色々な具材を混ぜて焼いたものの店のようで、ひとまず安心した。焦げたような匂いが充満していて、それが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃいませ。申し訳ないんですが、只今満席となっていまして……」
店内を見渡す。なるほど、確かに盛況のようだ。カウンター席も、先程少年と従者の二人が座って完全に埋まってしまっていた。しかしガロンの眼鏡は、その少年からついたてを挟んで反対側に、一つ空いた椅子があることを見逃さない。
「カウンターの隣の席、あそこにいる男とは知り合いなんです。相席にしてくれませんか」
それでしたら、と、頷いた、眼が線のように細い店員の後について店内に足を踏み入れた。懐から取り出した紙束に、捜査協力をしてくれるよう、という風なことを書くのも忘れない。
「失礼、相席を了承してくれませんか」
長い前髪を中央で分け、左の房を耳にかけたまだ若い男が先客だった。鋭く尖った鉤鼻がなんとなく神経質そうだと思わせる。ガロンは目算した。自分と同じ年くらいだろうか、と。
先程書いた紙を男の目の前に置く。
紙には「私は北門門番第三班所属、ガロン・スチュアーテスと申します。捜査協力のため、この席を替わっていただくか、相席を認めていただきたいのです」と記してあった。
何か言おうとしたのだろうか、開きかけた口を男が一瞬迷うようなそぶりを見せた後、閉じる。
……驚かせてしまったでしょうか。
「いえ、貴方にご迷惑をかけるつもりはありません」
「お、俺はもうか、帰るから! だから――」
男が堰を切ったような勢いで、むしろつんのめりながら発した言葉に反応して、隣のついたての向こうで少年がこちらを向いた。それを見ずに感じて、ガロンは立ち上がりかけていた男の両肩を掴んで座らせる。指を一本顔の前に立て、静かに、の合図。
この男が騒いで目立ち、少年たちに自分の存在がバレる様ではならないのだ。彼には申し訳ないが、しばらく協力してもらうことにする。
注文を取りに来た店員にセーマ、と短く告げて、ガロンは机の角に紙束の背を預けた。一応巻き込んだとはいえ、一般人である目の前の男には書面が見えないように。
☆
帰ろうとしたら引き留められた。しかも眼前の眼鏡は紙の束を机の上に広げ、何事か書き始めたではないか。
拙い、と、脳内で警鐘がガンガン鳴り響いている。背筋を冷たい汗が伝う。
「あ、あの、すいません、急用を思い出してしまったので……」
「まだセーマがほとんど残っているではありませんか。こちらのことは気にしないでください、遠慮はいりませんよ。お邪魔させてもらっているのは私の方ですので……」
ちら、とこちらに視線を向け、眼鏡の男が言う。そして再び紙にペンシルを走らせる作業に戻った。
……拙い……この男、足止めしてきた……!
自分を逃さないつもりなのだ。恐らくセーマを飲み干してみせても、なにがしかの理由を付けて自分を引き留めようとするに違いない。もう、逃げ道はないのだ。大人しく縄を打たれるしかないのか……と、男は諦めの境地に入る。掴まれば余罪も全部見つかるだろう。ということは何年も、下手をすれば十何年も牢屋で禁固だ。これがそれまでで最後の一杯になるかもしれないと、開き直って逆に穏やかな気持ちでセーマのカップに口を付ける。良いマメを使っているのか、口に入れた瞬間広がる芳醇な香り。さらっと喉を通り過ぎていき、あとにしつこさを残さない。思わぬところで出会った至高の逸品に思わず涙が一筋、零れ落ちる。
ふと店の外の通りに目線を向けると、大通りを大勢の人が行きかっていた。あの中にも、自分と同じように組織に属している人間が何人かはいるのだろう。でもその中に、警吏と相席でセーマを嗜んだ奴はいないに違いない。刑務所では精々武勇伝として語ってやろうじゃないか……
「ご注文のセーマです」
「あ、ありがとうございます」
男の店員が盆に乗せたセーマを持ってきた。しかしガロンと名乗った男が通路側に陣取っているせいでどうしても机の上に置けず、結局、ガロンが直接受け取る。
その時に。
ガロンが持っていた紙束の上の方が折れて机の上に乗り、逆さまの文字が目に入った。
セーマを受け取ったガロンがすぐに紙束を起こしてしまったが、こちらが見ていたことには気付いた様子は無い。
男の見間違いでなければ。
紙束に書かれていたのは、男に関する報告書なんかではなく。
――これは……何の肉だ? カーニンしか食ったことないからわかんねえ。
――貴様、もっと食わねば成長せぬぞ。
――え……そ、そんなもん食っていいの……? 大丈夫なのか……?
――ふむ、味と食感は完全にクァーリーであるな。脂身が多い獣であるはずだが、この肉はさっぱりしている。
隣、ついたてを挟んだカウンター。そこに座る貴族の少年と筋肉が発した言葉のみが、時系列順に書き連ねられていた。
店員達や三十代の男の発した言葉は書き記されていない――警吏が会話を盗み聞きするような真似までしているということは、もしかすると貴族なんかじゃなくて、もっとヤバい奴らなのでは、と、再び脳内で警鐘。同時に、紛らわしいことをしてくれた眼鏡には腹が立ってくる。男は、いつも脇腹の辺りに忍ばせている短剣を意識していた。
今朝届いた組織からの手紙を思い出す。
『今日の正午以降、犯罪を解禁します。今までの犯罪禁止命令、皆様のご協力を感謝いたします』
時刻はちょうど、正午に差し掛からんとしていた。
セーマ:暗灰色で苦い飲料。マメを挽いて淹れる。
カーニン:全身を羽毛で覆われた鳥の仲間。オスには立派なトサカがあるが、メスに比べて肉は硬く、卵も産まないため、ヒナの段階で「破棄」してしまうことが多い。また、メスの産む卵は大変色々な料理に使用されており、もはや毎日の生活に欠かせないと言ってもいい程。例えば焼き菓子にも入っているし、ポッティ焼きにだって入っている。なお、無精卵での使用の方が多いため、少ない有精卵作りとヒナを産ませることのみに限局され、ますますオスの需要が減っていく……
ポッティ:黒っぽく硬い赤い殻に身を包んだ甲殻類。水辺に生息する。また、蝙蝠のような筋張った羽根を持っているが、残念なことに生きている姿は確認されておらず、飛ぶ能力があるのかは不明。足は複数本あり、大きなはさみも持っている。なお、加熱すると黒い殻は赤っぽく変色する模様。クァーリーに似た味がする。正式名称はヌルポッティ。
クァーリー:本来野生のものであったが、人間が飼いならし家畜化。野生でいる時に比べて体毛も薄くなり、基本的にはピンク色に近い肌色。また、野生のものと比べて家畜化されたものの方が脂肪分がさらっとしている。野生のものは野生のもので引き締まった肉と濃厚な脂が楽しめるが、これは人によって好き嫌いが分かれる。また家畜化されたものは「ぶーぶー」と鳴くようになったことから、実は高度な知能を発達させていて、人間に囲われるようになったことに不満の声を上げているのではないかという説もあるが当然真偽のほどは不明。
※飲食店のシーンは実は同じ文芸部の子とコラボしようって話をしてて、なんとか擦り合わせようとしたんですけど、僕も向こうの子も癖のあるウチの主人公と魔王を上手く扱えないみたいで、コラボなのにまるで別物じゃね? ってなってしまいました。なので、あくまでお互いのキャラがゲスト出演してるだけのごく簡単なコラボなんだぜ! って言って逃げ切りたいと思います←
自分の中だけで書くならまだ手綱握ってられるんですけどねえ……
多分次話で第二章は終わると思います(というか第四話で終わらせるつもりだったのに……!)




