第三話:遂行の飲食
偉丈夫が父親あるいは祖父、肩車されている「お嬢さん」が孫だと思ったのだが、二人はどうやら主従の関係にあるらしい。二人の掛け合いのような会話を見る限り、どうもそういう風には見えないが、本人たちがそう言うのならそうなのだろう。必要な情報以外は見ない調べない聞かない詮索しない。事件を仕入れてそれを売る、事件屋として身を立ててきた彼としては鉄則といっても過言ではなかった。
今、ショウが欲しいのは町の外の情報だった。先程彼らが口にした「マオウ」という単語にも興味がある。祭で色めき立つ町中、事件はいくらでも転がっているが、魔王に関連する情報を得られそうな機会をむざむざ逃すこともあるまい。
差し当たっては場所の確保だ。先程は屋台に目移りしているらしい主従の主の方の足を止めるために――もちろん比喩だ――お勧めの店だと言ったが、いくらかチェックしている店のどこに連れて行くのが良いだろう。やっぱり女の子なら甘いものか?
「甘いものはお好きですか?」
「と、トウモロコシは甘いものであるからな!」
違うおっさんお前に聞いたんじゃない。あとトウモロコシはスイーツか?
よくわからないが、巨漢の肩にちょこんと腰かけたお嬢さんが人目も憚らずに大爆笑しているので、掴みは上々かと判断。
「おい、おっさん、今のは私に対する質問だろ」
落ちるんじゃないかと心配になるくらい笑い転げた後、ようやく笑いをおさめた矮躯が巨躯の頭頂部を叩いて言った。むう、と唸る大男。
そう言えば名前を聞いていないことを思い出し、私としたことが、と少し焦った。
「失礼、お名前をお聞きさせていただいてもよろしいですか」
「ティー。姓は無い。ただのティーだ。こっちはウマオ」
偽名だ、と、事件屋として培ってきたカンが告げる。だが、今ここでその偽名を暴いたところでお互いに何の得もないことは事件屋じゃなくてもわかるだろう。大事なのは、相手が偽名を使わなければならない立場にあること――たとえばお忍びでやって来た貴族であるとか、大犯罪者であるとか、実は「魔王に関連がある」とか。
与しやすしはきっと童女の方、と思い、見上げるとそこにまったく笑っていない目があり、目が合った。ゾ、と、背筋を走る悪寒。他人を見下す――いや、見定めることに長け慣れた目だ。どう考えても十歳の童女がしていて良い目ではない。この世のすべてを見てきたような、擦れたような焼きついたような、そんな目であった。夜闇の様に黒く暗い。
しかし思わず見入ってしまっていると目が笑んでみせたので、一瞬見間違いか目の錯覚だったのではと自分に言い聞かせたくなる。
違う。
もちろんそんなことはない。
「それじゃあ、ついて来てください。店はすぐそこにありますよ」
結局甘いものが好きかどうかを聞きそびれた、と頭の片隅で考えつつも、ショウは、思考のほとんどをあることに割いていた。すなわち、とてつもなくデカい山にぶち当たったかもしれない、という予感に。
あと、今から行く店にトウモロコシはあったかなということも。
☆
焼き菓子だ。
ガロンの苦手なにおいが店内には充満している。
甘いものがとにかく嫌いなのである。子供の時はそうでもなかったが、眼鏡をかけ始めたころくらいから砂糖の類にすぐに胸焼けするようになってしまった。においを嗅ぐだけでも駄目。同時期、反対に辛いものに目覚めたのでもしかしたらそういう時期だったのかもしれない。
甘ったるい空気にもたれた胃を誤魔化すために、常に持ち歩いている小瓶を開け、煽る。中身はトウガラシの粉末を水に溶かしたものだ。溶かしたというか浮かしたものだが、細かいことは気にしなくとも良いだろう。
店に滞在する以上最低でも一品は何か買わなければならず、苦渋の決断の末購入したトウモロコシを引いた粉で焼いたという焼き菓子にも、別瓶の粉末唐辛子を振りかける。店のメニューの中で唯一生クリームや果物が乗っていないメニューだったのであまり甘くないかと思いきや、ガッツリ振りかけられた粉砂糖という思わぬ伏兵にやられた。正直トウガラシをかけたからといって美味しく食べられる代物ではないのだが、それでもまだなんとか口に詰め込むことのできる味にはなった。不味いが食べられはする。勿体無いことをして申し訳ありません、と、繊細で可愛らしい焼き菓子を、太い指を忙しなく動かして作り上げていく禿頭の店主に心の中で謝る。その鍛え上げられた筋肉は焼き菓子づくりのどこに役立つんでしょうか……?
ともあれ、ついたてを挟んで反対側という最高の位置に陣取る事ができたのだ。怪しい来訪者二人と事件屋と名乗った怪しい男の会話に心置きなく耳を傾けられる。
ガロンはトウガラシの小瓶の代わりに魔導ペンシルと紙束を取りだすと、聞こえてきた会話をすべて書きつけていった。この魔導ペンシルは就職祝いにと父親に買ってもらったもので、魔力を通すと八倍速で書く事ができる優れものであった。安価で世間に出回っている魔導ペンシルは大体二倍から三倍速、専門店に行けば四倍速が手に入るくらいなので、八倍速といえばとてつもない高級品かつ珍しい逸品のはずなのだが、
……家計、大丈夫なんですかね。
父が、また勝手に金を使って! と母に怒られる姿が思い浮かんだが、良く考えたらこの前帰省した時もこんな感じだった気がする。
まあそれはそれとして、だ。用意してあった紙束は言葉通りの意味ならただ単に世間話をしているとしか思えないような会話で埋まっていくみたいである。よくよく考えてみれば先輩たちには、昨夜、町の巡回をしてきますと言って出て来たきり連絡を取っていないので、日没までに詰所に戻らなければサボりと思われてしまう。早めに来訪者二人の正体をはっきりさせてしまいたいものだが――
――お二人は、どうしてこの町へ?
――遊びに。おいおじさん、もう一つ頼んでいいか。
――構いませんよ。よく食べますね、美味しいですか?
――超ウマい! ……あ、おい、そこの店員! これとこれ、えっとそれから、これとこれとこれ、あとトウモロコシの。
――おい貴様、もうトウモロコシはいらんぞ! 三つで勘弁してくれ!
――は、なんで? おっさんお前、トウモロコシが大好きなんだろ。
――だからそれはせ……す、好きにも限度というものがある! あと、一つ頼んでいいか、とか言っておきながら貴様今五つくらい頼まなかったか!?
――いやいや、構いませんよ。育ち盛りなんですから。そのかわり、ちゃんと残さずに食べてくださいね。
――わかった! お前、良い奴だな!
会話を聞いているだけでも胸焼けしてくるようだ。
若干従者への同情と同調を覚える。苦労してるんだろうなあ、と。
その時であった。
「おい、兄ちゃん、悪ぃんだけど、席が埋まるから、食べ終わったら空けてくんねえか」
背後、ついたての向こう側にいる従者ほどではないが鍛え上げられた体の店主。焼き菓子を主にして生菓子やら何やら、とにかく甘いものを、それも見た目にも可愛らしく盛り付けて売っている。
なんですかこの店内の筋肉率、と、ガロンは戦慄を禁じ得ない。今、己の周囲三百セン以内に従者、対面の男、店主と、実に三人もの歩く筋肉がいる。
飲食関連ならどう考えても猟師だろ、と思わずにはいられない。食材調達の場面から飲食関連に含んでしまうのはいささか広義過ぎると思うかもしれないが、
……この人は獲った獲物をその場で食べるタイプです、きっと。ええ。
もしそうなら食材というかその場食料調達というか、とにかく野性的過ぎる。
ともあれ、せっかくの席を譲るつもりは毛頭ないので、
「すいません、このトウモロコシの、もう一つ追加でお願いします……」
苦渋の決断であった。
☆
むしろ食べるのは、小さい方だった。
だぼっとした服に隠れて見えないが、ショウは、目の前の「童女」はかなり華奢だと踏んでいる。腕の細さで勝負するなら、それこそ隣でとうもろこしの焼き菓子を機械的に口に運び続けている隣の従者の筋骨隆々の腕の十分の一くらいだ。
体も小さい。椅子に座っても机から見えているのは鎖骨辺りから上のみである。
一体どこにこれだけの量の食べ物が消えるのかと、不思議でならなかった。
というか先程から、なにか質問するたびに彼女が新しく注文するため、このままでは何の情報も得られないまま、馬鹿にならない昼食代を払わされる羽目になる。ちょっと計算してみた所、すでに五千王国銀貨を越えようとしていた。五万王国銅貨である。一般人の平均昼食代が五百王国銅貨であるのでちょっと経費で落ちそうもない。
……つまり自腹……!
ショウは己の頬を汗が伝うのを感覚した。
「あの、そろそろ、お話を……」
「そうだった。いや、これだけ奢ってもらったんだから、ちゃんと話すぞ。ただ、そうだな。ちょっと、ここでは都合が悪いから、場所を変えたい」
ショウから見て右手、ついたての方を見ながら彼女は言う。誰かが座って何かを食べているらしく、ティーが言葉を発した瞬間、吹き出すような音が聞こえた。続いて咳き込む音も。どれだけ急いで口に詰め込んだのだろうか。案外警吏なんかが巡回のわずかな隙間を縫って昼食を摂っている最中だったのかもしれない。
眼前、顔の右半分を覆っていた前髪を口元が露出するぎりぎりの範囲まで持ち上げ縛っていた紐を解きながら、童女が言う。口周りには白いクリームや苺のソースなどが付着していた。口調がどこか大人びたところがあるので、こういうところを見るとやはり年相応だと思うのだが、前髪が汚れるのに気付いたらしく小さく舌打ちしてから紙で拭ったのを見て、どうにも実年齢が掴めなくなってしまった。
「貴様、まだ食うつもりか……?」
「うるさいな、おっさんがいるせいで燃費が悪いんだよ」
……場所を変えるというのはもしかして「河岸を変える」という意味だったのでしょうか……?
だとするなら怖すぎる。主に、自分の懐事情が。
「こ、この店が気に入りませんでしたか?」
あれだけ食べておいてそんなことは無いだろうとは思いつつも、一応聞いた。ショウは答えのわかりきった問いなんてと自分でも思ったが、しかし他の店へ行って改めて食べ始められるのも困りものだったので、一応聞いた。どうしてもほかの店でも財布をさせられるのが嫌だったので、聞いた。
支払金額は七万八千王国銅貨、銀貨で七千八百である。千銀貨が七枚と百銀貨が八枚。かなり後ろ暗いアルバイトでも一日でこれだけ稼ぐのは難しいのではなかろうか。ショウの月収の実に五分の一に迫ろうかという金額である。
☆
目の前の事件屋は気に入らなかったのかと聞いたが、まさか全然、そんなわけがない。ティーは大満足であった。甘いものなんてほとんど食べなかったし、というかむしろ屋敷にいる時は草と肉と水しか口にしていなかったし、「甘い」という味には非常に楽しませてもらったのである。
だからティーにとっては、目の前の男の質問は非常に不本意なものであった。
「いや、この店の品は全部制覇したから、他のとこに行こうかと思ってさ。私は今度は辛いものが食べたいな。あ、ウマオはトウモロコシ」
「貴様我には普通のものを食べさせぬ気だな……!」
「黙れウマ――あ、すいません、お会計いいですか」
「貴様あああ! そこで区切ったら我がまるで馬あああ!」
魔王が元気になった。大好物のトウモロコシをいっぱい食べられて嬉しいらしい。
ティーは焼き菓子をついたての向こうに持っていった帰りの店員を捕まえ、机の上で嵩張っていた領収書を見せた。視界の隅で慌てて事件屋が財布を取りだすのを尻目に、懐から一王国金貨を一枚取りだして店員に渡す。
「王国金貨一枚でよろしかったでしょうか? それではおつり、二千二百王国銀貨になります」
昨夜親切な宿屋の店主にお金の使い方を教えてもらった甲斐があった。昨日までの無知な私とは違うのだ、とティーは若干得意げに振り返る。振り向くと少し驚いたような表情を浮かべたショウがこちらを見ていた。
「よ、よろしかったので……?」
「あ? なにが」
「その、王国金貨なんて払ってしまって……その、普通王国金貨が一枚あれば大体一週間くらいは旅行できるんですけど、路銀の方は……」
なるほど、こちらの懐事情を心配してくれているらしい。
たださすがに、昨日泊まった宿屋の店主にお金の使い方及び価値を教えてもらった以上、七千八百王国銀貨などという大金を払わせるのも忍びなかったのだ。単純にお金を使いたかったというのも多分にあるのだが、ティーはそのことは考えなかったことにして、口を開く。
「まあ、そうだな、そんなに心配してくれるなら、次は安いところがいいかな。塩辛いものが食べたい」
「それなら、私の知り合いのやっている店がありますが……いや、今度こそはこちらに出させてくださいね」
「うん、まあ」
☆
ティーの肯定を横で聞いていて、魔王は、
……多分こうは言っているが、どうせ現地に言ったら自分で金を出すのであろうなあ……
と思っていた。
少年が大量の王国金貨を所持しているのは知っているので、別に道中の金に困ることはしないと思うのだが、恐らく目の前の事件屋は望むような情報を得られないのだろうなあとも思っている。情報の提供の代わりに昼食を奢るという己の言によってティーに散々に連れまわされ、しかし結局振り回されただけで終わる未来が目に見えるようだった。
まず第一にして、魔王とティーは、二人が邂逅した場所からまっすぐこの町まで歩いてきたのであって、外の情勢について詳しくは知らないのだ。精々知っていることがあっても、目の前の事件屋とその情報の量・質ともに大差ないはずである。まあ話せないことを除けば別であるがな。
話せないこと、すなわち自分たちの正体だ。これがあるから、ティーは先程からのらりくらりと質問をかわし続けているのだろう。そして事件屋から離れず離さないのは、この町の店を効率よく回るため。
魔王は事件屋に同情したくなった。
1王国銅貨=1円=0.26台湾ドル(2015/3/21現在のレート)
1王国銀貨=10王国銅貨=10円=2.6台湾ドル(2015/3/21現在のレート)
1王国金貨=10000王国銀貨=10万王国銅貨=10万円=26041.14台湾ドル(2015/3/21現在のレート)
物価は大体今の日本と同じかちょっと安いくらい。
紙幣は無く、それぞれ一王国○貨、十王国○貨、百王国○貨、千王国○貨が存在します。実際いっぱい持ち歩くと重いんじゃないですかね多分。僕は金銀銅とか大好物なんで(鉱物だけに)大丈夫ですけど――すいませんしょうもないこと言って。




