第三話:手順の放棄
「おい、そろそろ起きろおっさん」
魔王の首を落とし、蘇生することで股間の痛みを消す。無茶苦茶な内容だが、ティーは実行した。
聖剣を抜き、蘇生魔法をかけて魔王の首を繋げる。いくら切れ味がなくたって、この質量の物体を首を支える骨と骨の間を縫うように突き込めば、絶命は必至である。
目の前で魔王が、まるで朝の目覚めのように目を開いた。体は仰向きに変えてある。彼我の体重差が四倍ではきかないくらいあるので相当な労苦であったが、まあそれくらいは手のひら大の石と聖剣で梃子の原理だ。柄を魔王の体の下に入れ、刃に思いきり飛び乗れば、石を支点として魔王の体が回転する。もちろん石にも硬化付与の魔法式を打ち込んであった。今は地面にその九割を埋めている。
「体の調子はどうだ」
「あまりよろしいとは言えないな」
額に手をやりながら、魔王。
「我は回復魔法を、と言ったのに、まさか殺されるとは思わなかったぞ……」
言外に滲むのは怒りというよりはむしろ当惑とか困惑とか、そういった感情のように思われる。ティーは逡巡した後、取り繕うように言った。
「痛みがなくなったんだからいいだろ」
「むう……」
手を叩く。そのままでいいから、聞いてくれ。私には、説明義務がある――そういったティーの顔を、魔王は仰ぎ見た。
「疑問に思ったらその都度質問してくれ。遠慮はするな。台座造りに協力してもらう以上、私はお前のことを最大限に尊重する」
「……一応聞くが、拒否権は?」
魔王が億劫そうに口を開き、言葉を寄越してきた。
対しこちらは、考えもせずに、ほとんど反射で答えている。
「あるわけないだろ。魔王は世界を滅ぼさんとし、勇者はその魔の手から世界を救う。おっさん、お前の世界崩壊が破れた以上、お前は次代の魔王を倒すために協力しなければならない。私に説明の義務があるように、おっさんにも次の魔王から世界を救う義務がある」
☆
次代の魔王が誰になるかは知らない。魔王は、魔王として、ある日突然、この世に生を受けるからだ。しかし、自分が魔王である以上、次の魔王というのは自分の身内みたいなものではないか?
依然横たわったままの魔王が少年の方を見上げてそう口にすると、目の前の少年は視線を避けるように地面に胡坐を掻いて座った。魔王の頭上の方角、体を思い切り逸らさなければ視認することのできない位置取りに不安を覚えるが、それ以前に体中を苛む倦怠感が指一本動かすことさえ妨げる。しばらく寝ていれば回復するとは思うので、今は一刻でも早い体力の回復に努めることにする。
「身内、というか、ぶっちゃけた話、お前、死んで転生して生まれ変わっても、次の魔王はお前だぞ」
「……はっ」
「いや、私さっき、お前は輪廻転生の輪から離れてるって言ったと思うけど、お前は、いつの時代も、魔王として転生を繰り返すんだよ――」
頭痛。
いきなりやってきた、頭を絞り上げんとするかのような激しい痛み。それは、少年の言葉とともにもたらされた。
『それなら私は……魔王、魔王でいい。私が、魔王を……』
「ぐ、なんだ……?」
割れそうな頭の痛みの中で、聞き覚えのない、されどどこか懐かしさを覚える声が反響する。
目の前の少年は口を噤んだようだった。この不可思議な状況の説明手である少年が黙ることに対して、今はそれでいい、そう思う。彼が口を開くごとに、言葉を発するごとに、その一音一音が脳を絞めつけ歪ませるのだ。
『お前には辛い役目を背負わせることになる。すまない…………よ』
脳内で再生される声にひときわ激しい異音が混じり、頭痛が激しくなった。
掻き毟るような異音でほとんど声はかき消されてしまっていたが――自分はなぜか、この時、声の主が言った事を、言ったであろうことを、知っていた。
『すまない……、我が娘よ』
これは。
魔王が、まだ人間であった時の、記憶なのだ。
☆
やっと「思い出し始めた」みたいだな、と、頭を抱えて呻き声をあげる魔王を前にしたティーは思った。
記憶の凍結が解凍されかかっている状態の魔王には何を言っても通じないので、ティーの口は閉じられている。しかし、その固く引き結ばれた口元は首元を分厚く覆う布に隠れて誰からも見えることは無い。
……まずは、何から話せばいいだろう。
魔王が記憶の解凍にもがき苦しんでいる間に、説明の順序を考える。
まずはやっぱり、これからの予定だろうか。
……私と魔王は、これから「ある場所」を目指す。その「ある場所」がどこなのかは行ってみなければわからないが、次代の勇者を待ち構えるに相応しい場所である。
思考。
整理。
目的地たる「ある場所」へいつ辿り着けるかは誰にもわからない。そこがどんな場所であるかも、いつだってわからなかったものだ。気付いたら、そこにいた。気付いたらそこが、その「ある場所」なのだ。
……こんな説明で大丈夫かな。た、たぶん大丈夫じゃないかな。
続いて、とティーはさらに思考を重ねた。
その「ある場所」に辿り着くまでに、魔王には、この世界を好きになってもらわなければならない。この世界を二度と滅ぼそうなどと思わぬように。
そもそも聖剣が刺さるべき台座というのは、たった一人の勇者以外には抜かれず、かつ勇者の資格を有するただ一人には確実に抜かれなければならないシロモノなのである。
台座に「成り果てても」、魔王は魔王、破滅というその本質は変わらない。ゆえにこそ、魔王の意識を改革せねばならないのだ。
要するに、次の魔王に世界を滅ぼされないように、然るべき勇者にのみ聖剣が渡るように自発的に協力したくなるよう、魔王にはこの世界を好きになってもらわなければならないと、そういうことなのだ。
動きの止まった魔王に気付き、ティーは、言葉を放つ。
「おいおっさん、思い出したか? そうだな、まず、自分の名前を」
それに対して返ってきたのは、ティーの想定していない、
「……いや、先程眠っていた記憶が蘇ったことは分かったが……、我が、元々は人間であったかもしれず、そして、娘がいたらしい、ということまでしか思い出せなかった」
という言葉であった。
☆
頭痛は、やって来た時と同じように、唐突に消え去った。分かったことは二つ。
一つ。自分は人間であったらしい。
二つ。自分には娘がいたようだ。
その二つ以外に思い出せたことは何もなく、朧気ながら自分には封印されている記憶が眠っているということがわかったきりである。
そう言うと目の前の少年はあからさまに落胆したような表情を浮かべたような気がしたが、しかし露出しているのは左目の周辺だけであり、実際にそのような表情を浮かべたかどうかは魔王には判別できなかった。
よくわからないうちに、言葉を放つ。取り繕おうとしたのかもしれなかったし、少年の落胆を確かめたかったのかもしれない。とにかく、魔王は、問いを発したのだ。
「我は……人間、だったのか?」
☆
その問いに対するこちらの答えは沈黙。
ティーは、この問いに対して答えられる言葉を持たなかった。
答えることはできる。しかし、答えられないのだ。
これだとまるで意地悪な言葉遊びのようで、結局なんの意味もない言葉が足踏みしているように思われてしまうため、より正確を期すとすれば、
「その問いに対する答えはある。私は知っている。でも、今、おっさん、お前にこれを話したところで余計に混乱させてしまうと思うので、言えない。言わない――」
となるが、喉まで出かかった言葉をティーは嚥下する。まだほとんどどころかほぼ全部の記憶を取り戻せていない魔王に真実を告げても、混乱を深めてしまうだけだ。過去の記憶から、魔王の記憶は無理に解凍するのではなく自然に思い出していくのを待った方がいいことも分かっている。
ゆえに、ティーは、話を逸らすという方向に舵を取った。
「その問いに対する答えはお前自身の中にある。私と旅をしよう。聖剣台座を建設する場所になりそうなところまで、あてのない旅を。お前の亡骸がこの女神の大地に還り、聖剣が勇者を待つ眠りにつくまでには、お前は必ず、すべてを思い出す。私が保証する。伝説の勇者の剣が刺さっている台座を代々造り続けてきた職人としての私が保証する。絶対だ。これから始まる旅は、最終目的こそ台座造りのための殉職にすぎないが、過程はなんだってなにをしたってどこに行ったって、自由なんだ。最終的に無事に魔王が死に、私が台座を造ってさえいれば、道中はおっさんの記憶を巡る旅をしてもいい。面倒だというならここなら台座を造れそうだと思う場所まで食い倒れ紀行をしてもいい――」
目前、魔王が横一文字に口を引き結んでこちらの言葉の続きを待っている。
「なんなら、今頃王城付近で目を覚ましているであろう勇者に仇討ちをしに行ってもいい。私は勇者側の人間でもなければ、魔王側の人間でもねーからな」
まるで見ているかのように、と自分でも思うが、あながち間違いでもない。魔王に聖剣を突きたてた後、力尽き倒れた勇者はティーが王城まで運んでおいたのだ。
実は魔王が死んでから、ティーが蘇生するまで、一週間が経過している。
「あくまで私は、この世界の味方だ。中立でもねえ。だから両方を殺すという選択肢も持てる」
どうする、魔王。
一旦間を開け、少し多めに吸う。その時にできた隙に口を開きかけた魔王を遮り、ティーは、更に言葉を放った。
「私と一緒に食い倒れ紀行か、勇者暗殺旅行か、どっちがいい? お前はもう世界のために世界を滅ぼさなくていい、つまり自由なんだ。『生まれて初めて』の自由だぞ。何がしたい? なんでもいいぞ。然るべき台座の場所が見つかるまでなら、いくらでも、気が済むまで付き合ってやる」
地面に座り込んでいる魔王に手を伸ばす。分厚いグローブに包まれた右手だ。
それを、グローブをはめたティーの手よりも大きい魔王の素手が掴み、握る。ティーは渾身の力を込めて魔王を起き上がらせた。そのまま右手を握り合った状態で、再び、ダメ押しでもするかのように言葉の刃を放つ。
「おい魔王。お前の世界は何色だ? 世界は、お前が見ている以上に、色とりどりで綺麗だぞ」
魔王を口説き落とすことのみに傾注しすぎて、もろもろの説明をすっ飛ばしてしまったことに遅ればせながら気付いてしまったが、それはまあおいおい、道すがら、道中話せば良いだろう、とティーは自己完結する。
正直魔王がこれで首を縦に振りさえすれば、勝ちみたいなものなのだ。今は戻らなくとも、台座となるまでには、必ず記憶は戻る。例外など存在しない、十割の「必ず」だ。今この場で魔王を逃がしさえしなければ、ティーにとってこの場は「勝ち」と言えるのである。
「私が、この世界が楽しいということを教えてやる。この世界は壊すには勿体ないものなのだとわからせてやる。どうだ魔王、破格の待遇だぞ。望むなら三食昼寝だってつけてやる」
真正面から魔王の焦げ茶色の瞳を睨み付けた。しかしまだ、魔王は首を縦に振らない。もうひと押し、あと一押しでいい。なにか、魔王にとって魅力のある提案は――
「……お、お前が望むのなら……その、わ、私を好きにしてもいいぞ」
「い、いらんわ!」
食い気味に魔王のツッコミが入る。自分を犠牲に――意を決した発言だったというのに魔王め、乙女心のわからん奴だ。ティーは心の中でわけのわからない思考をしていた。どうしても魔王を口説き落とさなければならないという圧力がティーの思考を捻じ曲げてしまった結果だともいえる。
しかし結果としてだんまりを決め込んでいた魔王の口を開かせることには成功したのでまあよし。ティーは自分に言い聞かせた。
「とりあえず今はまだ返事はしなくてもいい。いきなり台座にするために体を寄越せなんか言われたら確かに応なんて答えられるはずもないと思う。だから、ひとまず返事は保留という事にして、どっか町に行こう」
「町……?」
「いや、お腹空いたからさ」
女神の名前は何となくコーランに似てるなって感じ……つまり適当です←
コーランってそもそもなんでしたっけ、ヒンドゥー教の経典……的な……奴……?(うろ覚えどころか




