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ヴィラン・ユンハース始動

作者: 直斗

王道ファンタジーを目指しました。

 一


 真っ黒な泉に波紋が広がる。

 黒い水の上で、たった一人の男性が一心に月の光を浴びていた。わずかに手を広げ、空へと顔を上げている。その視線の先には、ちょうど南中した巨大な満月が浮かぶ。

 真っ黒で重たいローブを身にまとい、蓄えられた銀の髪。不気味な老人と言えるその外見は、誰もが畏怖と畏敬の念に掻き立てられる事だろう。

「さぁ、始めよう」

 誰に言うでもなく、彼はしわがれた声で彼自身へと語りかけた。天の月を愛でるように、そっとと垂れていた諸手を天へと掲げる。彼が行おうとしている事を感じ取ったのだろうか、木々はざわつき、獣が鳴き始めた。

「聖なる月の光。黒き力に蝕まれ、深淵より深淵を。黒き泉より呼び起こす……」

 黒い泉は彼を中心に、さざ波たち始める。同時に、ゆっくりと月が欠けはじめていた。まだ明るかった周囲も、少しずつ陰りゆく。

「次元と次元を超越せし旅人よ。いざ我らが世界へ……」

 巨大な満月は先ほどまでと大きく変わり、細いリング状のものと成り果てていた。皆既月食を起こしたそれは、彼を中心に湖面にも映りこむ。円上の五か所から伸びる五本の光、それは互いと互いとを結び、一つの細い星の図を描いていた。

 黒き泉の中から巨大な目が覗き込む。その瞬間に彼は、全身を青色の炎に包まれた。これまでに体験したことがない、超自然的であり超人工的な力の奔流。元々高い魔力を有していた彼自身ですら、圧倒的な力にバランスを崩しかける。

「すばらしぃ……」

 壮絶な力を手に、彼は思わず呟いた。今の彼の力が有れば、一国を滅ぼすことくらいは容易であろう。だが彼は別段、破壊の力を欲していたわけではなかった。思わず下ろしてしまっていた両手を掲げ、呪文の続きを詠唱し始める。

「いざ我らが世界へ、歓迎いたそう」

 詠唱が終わるとともに、水中の目が消えた。代わりに赤黒い月から、何かがこちらに飛来してくるのが分かる。青白く輝く炎のようで、それは上下左右にふらふらとしながら向かってくる。遠くて見えない、だが彼にはそれが何かを理解できていた。

「おぉ、ようやく。ようやくだ……」

 青白いそれは、ふわりと彼の元に舞い降りた。つい先ほどまで星の内の一つ程度だった物が、今では一人の女性の姿をしている。うっすらと半透明に輝くそれへ、彼はそっと手を伸ばした。

「エリーゼ、エリーゼなのだな」

 無作為にその身体を明減させながら、それは小さく頷いた。赤黒い月、それは徐々に本来の明るさを取り戻してゆく。

「会いたかったぞ。ずっとずっと……」

 少しずつ明るくなる周囲に反し、彼女の身体はより透き通っていくのがわかる。彼女は差し出された彼の手をそっと、実体のないその手で触れた。

 ほとばしる魔力の潮流が、彼から彼女へと伝ってゆく。彼を包み込んでいた炎は消え、同時に存在しているのかいないのか曖昧だった彼女の姿は、より一層その場に存在する確固たる物となっていた。彼の魔力により、実体を取り戻した彼女を強く抱きしめる。

「ザン……」

 何十年も閉じていた口を一生懸命動かして、彼女は彼の名を呼ぶ。その声は極めて小さく、それでいて弱弱しく。いつかまた消えてしまいそうでありながらも、しっかりと彼の耳には届いていた。

「ザン、ねぇ。お願いがあるの」

 皆既月食が終わり、月光が彼女らを照らし始める。手と手を握り、向かい合う二人を渦巻く風が包み込む。水面に映っていた魔法陣は消え、月は完全に元の姿と成り果ててた。

「なんだって聞こう。なんだって叶えよう」

 頬を伝う彼の涙が彼女の身体に触れ、消えた。黄色い月光が、生気のなかった彼女を人本来の色へと変えてゆく。

「あのね、私のお願い。それは――」


☆☆☆


 おやつ時特有の日の光が、のんびりと窓から差し込んできている。温めたミルクを一口飲むと、俺は口を開いた。

「で、魔王アレクサンダーってのはどこまでヤバい奴なんだ? 」

 たっぷりと髭を蓄えた朗らかな男性、普段は樵を営んでいるのが俺の父親である。彼は自分のミルクに砂糖を入れると、かき混ぜながら話を続けた。

「魔王アレクサンダー。奴は私の攻撃を一切受け付けなかった。いや、再生した、と言うべきかもしれない。死んだはずのエリーゼがあの場にいたんだ。もしかすると私たちが知らない、死者を蘇生させる魔法なのかもな」

 彼は一気に飲み干すと、その空になった大きなマグカップをテーブルへと叩きつけた。響くその音に、暖炉の火が揺れた。

「奴を切り裂いた瞬間だった。ローブから黒い魔力に似た何かが溢れてきたのだ。その時だよ、私の右腕を失ったのは。」

 ぶら下がっている空っぽの右袖が、どこからともなくやってきた風に連れて行かれそうになる。一人の女性が彼の袖をつかむと、なびかないよう結び上げた。

「オランさん、まさか貴方は……」

 何かを危惧するかのように、彼女は彼を見つめていた。

「心配らんよ。何も私は、こいつを魔王討伐に向かわせるだなんて言っておらんのだしな。だが、魔王の軍勢に皇軍は完全に手をこまねいているらしい。自分の身を守るためにも、この話は知っておいて損は無いだろう。それはヴィランだけではなく、ヤクシャ、お前にも言えた事だ」

 俺は一気に残りのミルクを飲み干すと、椅子から立ち上がった。壁に立てかけてあった剣を腰に巻きつけ、鞘から取り出し刃こぼれがないかを確認した。常日頃から手入れを行っているため、今も一切の刃こぼれは無い。金属特有の光沢が、覗き込む俺自身の顔を写しあげている。

「ヴィラン、できる事ならお前にそれを使ってほしくはない。だがな、何かを守らざるを得ないときは迷わずそれを振るえ。お前には俺自身が直々に、剣と魔法の両方を叩き込んだのだからな」

 先ほどまで差し込んできていた日の光が、急速に陰ってゆく。穏やかだった森の様子も騒がしく、それでいて暗い物へと変化を遂げていた。

「この感じ、まさか!」

 オランは慌てて窓へと駆け寄ると、いつか見たその光景に言葉が出ないでいた。かつて、魔王アレクサンダーと対峙した時と同じ。彼の鋭い直感が危険だと激しく警告していた。

「ヴィラン、今すぐここを離れろ。奴らだ。魔王の行軍が始まる」

「馬鹿野郎! 俺も一緒に戦わせろ!」

 オランによって強く腕を掴まれた俺は、引きずられながら奥の部屋へと連れてかれていく。必死にその手を振りほどこうとするが、彼の力にはかなわない。

「ヤクシャ、手を貸せ。ハイパーリンク術式を使う。お前たち二人は先に安全なところへ行くんだ」

 家の中で最も奥の部屋に、あらかじめ描かれていた円形の魔法陣があった。もがく俺をヤクシャに預け、親父は俺たち二人を魔法陣の上へといざなう。

「いいな、こいつが起動するまでに三十秒ほどかかる。それまでの間俺がしっかりと守ってやるからな。じっとしていろよ」

 家のドアが壊される音がした。周囲を何者かが蹂躙しているのが、ここからでもわかる。

「オランさん! 貴方は?」

 ドアノブに手をかけたまま、親父は立ち止まる。わずかな時間を置いて、彼は振り向くことなく答えた。

「大丈夫だ。俺一人なら俺自身で転移魔法がいつでも使える。時間まで守りきったらあとから行くさ」

 それだけ言うと彼は、ドアの向こう側へと走って行った。それから術式が起動するまでの時間、本当に地獄だった。どこからか火の手が上がり、何度も聞こえる爆音が恐怖を感じさせた。初めこそは一緒に戦うと暴れていた俺も、この時になって初めて戦う事への恐怖を感じたのだ。


「以上が、私の魔王討伐精鋭部隊へと志願する理由でございます」

 皇帝の前に跪きながら、俺はこれまでのあらましを全て伝えた。あれから約一か月、親父は俺たちの前に姿を現さないでいる。ハイパーリンク術式も完全に破壊されたのか、家へと向かうこともできない。きっと親父は生きているはずだ。俺は絶対に探しに行きたい。

「ふむ、主は学校に通ってはおらぬ。知能の面で少々不安は残るが、魔王軍と接触し生還した、主の父親の過去、これら二つを鑑みるに主ほどの適任者はいないといえるだろう」

 皇帝は頬杖をついていた手を離し、跪く俺へと近づいた。同時に、近づいた従者の手から宝石が散りばめられた剣を手にすると、俺の額へと切っ先を向ける。

「汝、皇国が為にその魂、捧げる覚悟はあるか」

「はい」

「汝、いかなる場合を持ってしても、民を助ける覚悟はあるか」

「はい」

「汝、この世界に平和をもたらす覚悟はあるか」

「――はい」

 皇帝は無言で頷くと、俺の顔の前で素早くバツ印を描いた。抜かれた刀身を鞘に戻すと、片手で垂直に持ち替えた。

「よろしい、主が覚悟このバルクルスがしかと受け取った。表を挙げよ」

 俺の親父と同じくらいの年齢だろうか。彼の深い茶の瞳に、光が灯るのを感じた。

「主が誓い、この剣に。いつ何時も誓いを忘れぬよう、主に授けよう」

 俺は両手で鞘を持ち、そっと立ち上がった。とても重たい。それは責任であり、命であり、期待でもあるのかもしれない。

「ここからは第二皇軍軍団長バンドレッドに任せよう」

 謁見の間を後にした俺は、バンドレッドに連れられて回廊を歩いて行く。いつかの森の平和な日常を思わせる明るい庭園で、集まる小鳥が囀っている。

「君は偉いな」

 唐突にバンドレッドが口を開いた。腰に下げた二本の剣がぶつかり合い、音を立てていた。

「なぜです? あぁは言った物の、本当の目的とは違うところがあります」

 薄暗い階段を上り、塔の中の高い部屋へと案内された。

「私は君のように強くはない、たった一度魔王の軍勢に敗走して以来このざまさ」

 彼はたった一つの机の前に座ると、ペンを走らせた。

「ヴィラン・ユンハース17歳、ここに第二皇軍軍団所属魔王討伐精鋭部隊隊長の就任を認める。ここに君自身のサインを」

 渡されたペンを手に、自分の名前を殴り書きにする。いよいよだ、まもなく親父を探しに行けるのだ。

「君は今から隊長だ。軍団長である私の下につくものとなる」

 確認するのかのように、彼は俺にそういった。しっかりと合わせられた彼の目が、俺の心を覗いているかのようであった。

「ヴィラン隊長に特殊任務を命ずる。魔王アレクサンダーを討伐せよ」

 差し込む陽の光が、俺の剣を照らしていた。絶対に親父を見つけてやる、その覚悟を胸に敬礼をささげる。


 これが俺の真っ黒な冒険の幕開けだった。


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