35話
ちなみにこの世界ではF-104については米空軍の不評を買い、生産中止になったので帝国空軍は代わりに意外と格闘戦性能に優れたF-106を購入している。
1949年1月28日
蔚山沖
戦艦信濃甲板上
前後の艦橋の測距儀と共に3連装で前2基後1基の計9門の46㌢砲塔が左へと旋回し、射程を延ばす為に仰角を高める。
そしてその直後、雷鳴にも似た耳を裂くようなゴォーンと言う轟音と共に火山の爆炎に似た砲煙が甲板の上を覆う。
信濃艦橋
「……………す、すごい」
そう爆風と轟音による衝撃を感じた俺、小滝祥一中尉が呟くと砲術長の国原直人大尉が笑いながら「これが信濃の力だ!」と呟く。そしてその数秒後だったさっきまで盛んに砲撃を繰り返していた人民政府軍の陣地が一瞬にして跡形無く消え去った。
いくら敵とは言え惨い、連中も何が起きたかわからないまま消えたなら幸せだろうが、時限信管式の三式弾は敵陣地の真上で炸裂し、多数の弾子をばら蒔いて時間をかけて敵を焼き払う。
とは言え俺は自らの出身地、名寄を共産主義者に踏み潰され、陸軍士官の兄を始め、警官の友人やかつての自宅を失っているので慈悲を与える事はないが。
信濃の砲撃は快進撃を続ける北部政府軍にとって最初の本格的敗北になったのである。
無論、この2日前には援南政府軍の主力たる米軍は北部政府軍や人民中国、ソ連軍が得意とする人海戦術に対して、B-29を用いたある"戦術"で対抗し、それが失敗に終り、その勝利故に人民政府は調子付いていた。
その戦術は跳梁跋扈するMiG戦闘機を排除せねば不可能であって、日米国防協定によって沖縄へ配備されたF-86は余りにも数が少なく、かと言って帝国空軍の震電では多数配備されている小松や百里からだと航続距離が足らないので米空軍は決意を固めてB-29と護衛にF-80戦闘機を伴い作戦を実施したが、結果は護衛のF-80共々B-29隊は壊滅し、早朝の帝国空軍の二の舞となったのである。
この結果、日米両軍は大口径砲を有する巨大戦艦による艦砲射撃や最新鋭戦闘機を出し惜しみ無く投入したのである。
2月2日暁前
前日に大被害を出しつつも初期型震電と米空軍のF-86が制空権を抑え、それと同時に帝国海軍の伊400級潜水艦搭載の6式飛行爆弾による奇襲が実施され、羅津空港及び同地の兵舎や機材を破壊。中朝共産軍の兵士を多数死傷させたので富嶽爆撃機は迎撃機を恐れず羅津上空に侵入出来たのである。
「照準調整と爆弾の準備は済んだか?」
部隊指揮官の野中五郎大佐がそう聞くと武器担当士官が「完了してますよ」と答える。
だが共産軍迎撃機は先日壊滅させたので大丈夫と予想していたが、そうでは無かった。
『レーダー反応あり!敵機来襲!』
警戒レーダーの電測員がそう言うと野中は「各機、高度2万まで上昇!」と叫び、酸素マスクを口に付けて機長なので自ら操縦桿を握る。そして機体は事実上の上昇限度である高度2万mへと向かう。
無論、機銃で応戦しながら上昇するも何機かはMiGに食われて高度を落としていく。だが囮となった両機のお陰で8式滑空爆弾が富嶽から次々と切り離され、朝鮮半島人民政府軍の陣地へと放たれていく。
一方で、野中は墜落していく僚機からの通信を聞くたびに心中で(申し訳つかない………)と思いつつも冷静沈着に命令を下す。
結果として最新鋭の富嶽であったも24機中6機が撃墜され、結論としては爆撃機による護衛なしの爆撃は危険であると言うのが判明し、爆撃機は運用戦術を大きく変えたのである。
それと同時に戦闘爆撃機の研究も大きく進み、例えば米国ではB-29を凌駕するペイロードの持主であるF-4戦闘機は史実よりはやくロールアウトする事となって日英西にドイツなどでF-86の後継として導入されたのである。