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33話

1949年1月6日

ルーデル大佐は戦火の中で厚い友情を築いた江草隆繁中佐と共に奪還後初めて訪れた北海道の某地で戦死した江草爆撃隊に所属していた隊員(戦友)の妻を名乗る女性と知り合い、ルーデルは彼女の事情を察すると彼女の出身地、小樽で隠居することを決めたのである。一方、バルクホルンら他の独義勇兵は帝国の誇る豪華客船出雲丸もしくは橿原丸で帰国の途についたのであった。

1月21日

朝鮮半島において南北政府軍が衝突。太平洋条約宣言に伴い、山辺武男首相とトンプソン大統領は南側の支持を表明した。

とは言え、帝国は陸海軍共に北海道紛争後の緊縮財政により、1925年以前のレベルで、即応態勢にあったのは練習戦艦である長門・伊勢型と霧島以外の大型艦は高雄型重巡4隻と那智及び練習重巡衣笠だけで、後は利根型は主砲3基撤去と引き換えに米国製の中射程ミサイル(RIM-162テリア)の搭載とヘリ格納庫の増設(利根)及び拡大(筑摩)の為に一時的に戦線を離れており、最上型は最上及び三隅は退役し、重巡熊野はブラジルへ、鈴谷はスペイン、伊吹は豪州へ売却されていた。

そして駆逐艦も多くが保管状態に措かれ、戦没を免れた初春型の初霜と若葉、白露型の時雨、五月雨は練習艦へ変更され、朝潮型は松型戦時量産駆逐艦の代替として日本海上保安局(JBSG)に引き渡し、残ったのは秋月型駆逐艦2隻に陽炎型の陽炎、不知火及び黒潮と準同型天津風と島風に就役直後の最新鋭の大型駆逐艦紫陽花級の紫陽花のみであった。

更には大和級戦艦は1948年12月以降、水密区画の封鎖(モスボール)処置に措かれ、1番艦大和は江田島の海軍第1船舶保管施設に、武蔵は佐世保、伊豆は横須賀でそれぞれ保管してあったが、それに対して信濃は横須賀で保管準備工事中だったので、急遽それを中止して現役復旧工事に入った。

とは言え大艦巨砲主義が世界の各地で貫かれているとは言っても平時に於ける巨大戦艦の役割など砲艦外交以外に価値は無い。ましてや帝国は経済復興の最中であり、莫大な運用コストが求められる大和型を常に現役に置いておくのは無理がある。

だが、朝鮮半島が陥落(に親ソ政権が成立)すれば神聖な帝国の土地に再び土足で連中は踏み込むだろう。そして信濃はそれを防ぐ最後の砦であるのだ。

1週間後には信濃は見事なまでに行動可能な状況となった。

戦線に復帰した信濃は南政府の最前線となり、快進撃を続ける北政府軍のひしめく蔚山方面へ向かったのである。


2日前、1月26日

この日も小松飛行場から帝国空軍深山及び連山戦略爆撃機が羅津方面爆撃の為に飛び立とうとしていた。

「行って参ります!」

そう深山へと乗り込む乗員たちが言うと見送りの恋人、家族、友人などに手を振る。

見送る人たちは予科練や加藤隼戦闘隊の歌を盛大に歌い、爆撃機の乗員たちは彼らに敬礼しつつ機体を滑走路へ進める。


そして飛び立った後も爆撃隊へ歓声を送り続けていた…………

爆撃部隊が北部朝鮮政府軍の最新鋭戦闘機によって壊滅する事など知らずに。

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