32話
国を平和を護るのは何か?
それは平和憲法ではなく軍人に警官や空港や港湾職員、税関の職員である。
1947年8月21日
広州市内
その日、中華民国の鄭亮商総統は山本総理の特使で、駐中華民国帝国海軍武官である吉川潔大佐と会見していた。
「あなた方のおかげでここまで撤収出来ました。しかし現在、手薄となっている海洋防衛の為にも鄭波の僚艦として共産軍との戦闘で喪失した寧波に代わる巡洋艦を提供して頂きたいのですが…………」と鄭総統が言うと吉川は「それなら我が国の鹿島型巡洋艦を提供しましょう。この船は練習艦なので商船構造ですが、軍艦構造で建造する事も可能な上に安価かつ練習艦なので様々な武装や電装品を搭載する事が出来ます」と言うと鄭が「ふむ、練習巡洋艦でも悪くないですね…………どの様な武装を装備しているのでしょうか?」と聞き、吉川は「15.2㌢連装砲1基と同76㍉砲2基に40㍉連装機銃4基。それに最新鋭の6式垂直離着陸機2機です」と続くと鄭は「それでよろしい。ありがとう吉川君。海軍大臣を呼べ、この鹿島級の発注書を書かせろ!」と言うと吉川は「こちらこそ感謝します」と続き、彼は退出していった。
その第2次中国大陸戦線は9月1日に重慶~武漢~台州のラインで共産軍と中華民国・大日本帝国軍との間で膠着し、こちらも向こう側も既に多くの将兵たちが死んだので、米ソ提案の停戦条約が締結されたのである。
もっとも帝国に経済的な余裕は無く、ソ連と人民中華国政府も中国南部よりどちらかと言えば鉱物資源の豊富な朝鮮半島に対して興味を示し、満州系の林軍平を首班とする朝鮮人民政府を樹立。無論、日米もそれに対しての対抗策として朝鮮民主政府を樹立したが、選挙で選ばれた同政府の首班である金鳳軍が帝国に対し批判的で、日ソ紛争で困憊気味の帝国に対して謝罪と賠償を要求して来るなどますます帝国を取り巻く状況は複雑怪奇なモノになったのである。
無論、朝鮮半島・中国大陸情勢が不安になってくるので帝国は震電戦闘機用の新型兵装の開発も進めており、1947年8月には主翼下に装備する無誘導の対空ロケットを開発。翌月にはケーブル誘導式の短射程ミサイルの開発にも成功し、格闘戦に不向きと言う事もあったものの対爆撃機用に採用された。
海軍も秋月型の発展型と言える防空駆逐艦、紫陽花型駆逐艦の設計をこの時期に開始し、陸軍もドイツ製戦車を発展させた7式戦車のプロダクトモデルの採用を決定。ドイツ軍の技術者を呼び寄せて整備方法などを取り入れたのである。
そして1949年、山本総理勇退。彼は後釜として山辺司法次官を任命。
山辺はそれに伴い総理大臣に皇居にて任命、晴れて総理大臣へなったのである。
そして彼は山本と副総理だった野木原の意思を継ぎ、まずは陸海軍の統合化を山口多聞海軍・栗林忠道陸軍大臣とともに押し進め、空軍も設立。初代空軍参謀総長に加藤健夫陸軍中将を任命、作戦本部長に加来止夫海軍中将を任命した。
山辺は他にも国防省を設立、陸海空軍の統制をそこが行う事とし、更には文官が国防大臣を務めるシビリアンコントロール制度も確立するなど、司法省出身の手腕が発揮され、他にも国家安全保安局など陸奥事件の経験も生かした政治能力を発揮したのである。