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31話

1948年8月13日

杭州市内

「状況は?」

前回の戦闘(満州戦役)で試作1号車が喪われ、それ以外でも国内のごたごたで生産が間に合わず数少ない7式戦車に乗る西住大佐が無線にそう聞くと観測機(三式連絡機)から『はっ、敵はものすごい速度で南下中。もうすぐ市内へ侵入してきます!』と報告が入ると躊躇う暇無く西住は即座に命令を下す。

「各車、砲撃用意を整えろ!友軍(中華民国軍)にもそう伝えろ!」と叫ぶ。

そして退却を開始し始めると上空を爆装した多数の4式戦闘機(疾風)が通り過ぎる。

しばらくすると川の対岸から爆炎が上がり、橋が落とされる。

更に中華民国へ貸与された14㌢及び15.2㌢自走榴弾砲が対岸へ向かって火を噴き、更なる爆炎が上がる。

だが全ての橋を落とせた訳でも無いので、ドンドン敵はこちらに迫って来ていた。

無論、上空では3式、5式戦闘機(飛燕とその改良型)4式戦闘機(疾風)がLa-1CG戦闘機と空中で死闘を交えていた。もっともこちらのパイロットの中には東部戦線の激戦を勝ち抜いたゲルハルト・バルクホルン少佐が義勇兵として参加しており、それと並んで日ソ戦争のエース小林照彦少佐など腕利きが多く参加していたので制空権は確実に握れるであろうと言われているが心配は大きい。

他にも上海沖に展開していた第3航空戦隊の空母雲龍から飛び立った流星21型による対地支援が行われ、敵の侵攻速度は少し下げる事に成功したが、あくまでスピードの低下程度だった。故に強力な敵の攻撃でこちらの兵士の死傷者数が増えるばかりであった。

一応、重巡洋艦那智と衣笠が支援射撃の為に2日以内に到着するらしいが、それまでにここ(杭州)が陥落してしまうだろう、と西住は不吉な予感に苛まれていた。そしてその予感はすぐに現実のモノとなった。

ある中華民国軍の歩兵が大声で叫んだ次の瞬間だった、その歩兵は肉片と化したのである。

更に帝国陸軍の歩兵も火達磨になり、助けを求めていた。

「撤退だ!これ以上、犠牲者が出たら話にならん!」

西住がそういうと彼は自らが率いる戦車大隊を後退させ、更に一緒に行動していた中華民国軍に対しても撤収を命じた。


この決断のお陰で犠牲者は最低限で済み、反撃の為の戦力保持に一役買ったのである。

そして北海道騒乱で姉妹艦を喪失した重巡那智と衣笠からなる第4艦隊第4戦隊が到着。2隻の重巡洋艦による圧倒的な沿岸部の陣地制圧能力こそ期待した通りであったが、南京方面から共産軍の攻撃は続いていたので相手のほうが優勢。


だが厦門から広州への中華民国政府の撤退作戦は何とか成功。

中華民国政府が持っていた重要資料や貴重な宝物は帝国陸軍から同国陸軍へ貸与された輸送用の特殊潜行艇、まるゆ数隻によって持ち出され、共産軍が制圧した厦門の旧総統府は完全に藻抜けの殻であった。


そしてその翌日、重巡衣笠及び那智が厦門市沖へ到着。厦門南西の民国軍の定期的な野砲による射撃と呼応して主砲3式弾による艦砲射撃を加え、数で優る共産軍を威嚇した。艦砲射撃の効果は兎も角、相手に対する心理的な効果は絶大であった。


だがそれでも四川など内陸部は次々に陥落。沿岸部は帝国陸海軍の支援もあって、やや中華民国優勢であったが、もはや全面陥落は時間の問題であった。

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