30話
1946年2月13日
ハワイに停泊する米戦艦ミズーリ艦上に於いて太平洋条約宣言が最近、友好条約を締結した日米以外に、中華民国と米国以外に同盟国である豪加及び新西蘭に加えて、日本の同盟国タイと日本から独立が決まった台湾の9ヵ国で採択されたのである。
これにより9ヵ国は相互防衛条約を結び、北海道騒乱での敗北後も欧州やアジアで影響力や軍事力の拡大を続けるソ連に備える事になったのである。
この条約により帝国は台湾及びタイに対し、最新鋭の震電戦闘機を18機づつ売却、余剰の3式戦車24台も売却している。更には条約前に契約していた米からの経済援助の為に大和型戦艦7、8番艦を米へ売却、戦費を補填している。
その大和型に米国はモンタナ、フロリダと命名。米国式の装備を搭載した。
一方で史実モンタナ級戦艦は建造中止となったのであるが、それと同時に史実ミッドウェー級も建造中止となり、新たに史実ではキャンセルとなったミッドウェーの青写真とも言えた空母ユナイテッド・ステーツが起工。一応、空軍の妨害はあったものの、ウラジオ奇襲を成功させた次期連合艦隊司令長官と目される山口多聞中将の発表した海空同時攻撃戦術を海軍航空本部が称賛。将来的に登場するであろう戦略兵器の運用母体として空母は最適だとトンプソン大統領も同意し、陸軍航空隊にいたとは言え、海軍の意見を呑み、建造に漕ぎ着けたのであった。
そして1948年。満州騒乱において北京市内の帝国及び英租借の襲撃が発生し、更には朝鮮半島北部でも騒乱が発生。だが北海道動乱の余波もあって帝国にはこれらを押さえつける力は無かったのである。
そしてこの年に新たな物語りが始まろうとしていた。
1948年7月1日
横須賀沖では修理を終え、新型高角砲や対空機銃を備えた連合艦隊旗艦に再度指定された戦艦大和は前日に山口長官を迎え入れると、この日、久々に将旗を掲げたのである。
大和艦内会議所
「おはよう」そう言ったのは山口連合艦隊司令長官だ。
すると連合艦隊参謀長の加来止男中将が「おはようございます。山口長官」と言い、続いて作戦本部長の西田正雄中将が「おはようございます。長官」と続き、他のスタッフも続く。
しばらくして山口は「ラジオによると敵は吉林~黒龍江の周辺を制圧後、青島へ攻勢をかけている様だな…………」と言うとそれに続き加来は「はい。そのようですが、民主政府軍には既に戦闘能力は無く、援軍を待っていると言う状況です」と続き、続いて大和艦長の原為一大佐が「しかし我が帝国も予算不足であり、援軍を派遣しようにも出来ませんよ」と続くと、その事実に山口は頭を悩ます。
しかしすぐに山口は一個海兵団なら派遣可能であり、民主政府軍に対して既に作戦中の米豪軍共々、指揮権を委ねる事も決定し、派遣海兵団が結成された。
そして7月12日、彼らは輸送船数隻に分乗して厦門へと向かったのである。
任務は中華民国の支援。1945年にも行われたが、今回は撤兵の支援である。
輸送船団の中には多数の自走砲や戦車が含まれ、中華民国への軍事支援以外に物資の提供も含まれていたのである。