26話
1945年11月
名寄市郊外
「まったく……………」
そう池田末男少将が愛車7式戦車の車長席で言った次の瞬間、ソ連戦車から砲撃が近くに着弾、彼らの戦車や他の戦車を揺らす。池田はすぐに「右から敵さんの御出座しだ!各車戦闘準備!」と叫び、他の車も右に砲塔を向けて戦闘に備える。
「撃てぇー!」
池田がそう叫ぶと4式、5式、そして池田の7式戦車の主砲が火を噴いて反撃に移る。4式及戦車はドイツのIV号戦車並みの性能故にT-34に大きな損傷を与えられないが、76㍉戦車砲から長8㌢高角砲用に開発された3式徹甲榴弾が放たれる。
この砲弾は徹甲弾が装甲を貫くと中で散弾が破裂し、敵戦車を焼き払うと言う仕組みで、そのお陰で多くのソ連戦車を撃破出来たが、こちらも大なり小なりの被害を被り、多数の戦死者が出たのである。
だがしかしこの砲弾のお蔭で帝国陸軍は性能の劣る3、4式戦車によってソ連戦車に勝つ事ができたとも言えたのである。
そして同じ日、帯広上空には加藤隼戦闘隊の隊長の加藤建夫少将率いる多数の4式戦闘機が4式重爆撃機を護衛すべく奪還直後の千歳基地から飛来。
帯広から南下しようとするソ連軍戦車師団に対して6式飛行爆弾による飽和攻撃を開始し、それと同時に帯広の制空権を確保することに成功したが、ソ連側の濃密な対空射撃は多くの銀河や飛龍攻撃機を撃墜し、それと同時に多数の隊員が戦死し、優秀な陸攻乗りが戦死したともいえたのである。
ともかく昭和20年12月までに帝国陸海軍は多大な犠牲を払い遂に名寄以北及び網走~根室半島のラインまでソ連軍を駆逐する事に成功、あと少しで北海道奪還となった。だが、冬の気候はソ連に味方して戦線は膠着状態となり、根室の沖合に再度ソ連艦隊が展開するのを助けたのである。
昭和21年1月21日
20日に横須賀から出港した艦隊は旗艦である戦艦長門に戦艦山城、霧島、大雪、重巡愛宕、高雄、鳥海、摩耶と軽巡矢矧と駆逐艦初霜、霞、若葉、時雨、雪風、浜風、天津風、島風、松風の18隻と誘導弾巡洋艦酒匂と秋月型3隻に護衛された空母赤城と加賀の連合艦隊の稼働出来る全てと言える艦艇で構成された第1遊撃打撃艦隊が8隻の海防艦や哨戒艦の護衛の元、根室沖へ北上していた。
この艦隊は聯合艦隊いや、帝国海軍が出せるすべての戦力を投入したに等しく、大きな損害を被れば帝国海軍どころか帝国の海運も壊滅するのである。
さて、話は艦隊に戻るが、この艦隊の司令は連合艦隊司令長官の伊藤整一大将であり、次席指揮官は戦艦霧島に座乗する第1艦隊司令西村祥治中将だ。
最終決戦に臨む長門ら各艦の後部マストに非理法権天の幟を掲げていた。
艦隊前衛部隊
旗艦・駆逐艦松風
『こちら電探室。2時の方角に反応が増大!敵勢艦多数!』
「了解!やはり来たか…………各科、砲雷戦に用意!」
そう艦長の清水好雄中佐が言うと双眼鏡で2時の方角を見つめる。同様に第11駆逐艦隊司令の小田辺尚三大佐もその方角を見つめ、砲弾の装填を終えた主砲はその方角へ向けられる。
敵は恐らくヴェールヌイ級駆逐艦。戦前に帝国がソ連向けに建造した高性能駆逐艦だ。
「目標との距離は?」
清水がそう言うと電探室からは『1万9千!』と入り「良し、1万5千で射撃を開始する」と言い、艦橋内の電探表示盤を再度確認する。
そして…………「撃ち方始め!」と清水が叫ぶと3基6門の12.7㌢砲が火を噴く。するとソ連駆逐艦も発砲し返したのである。
「衝撃に備えっ!」
艦長がそう言うと次の瞬間、清霜の右舷に水柱が上がる。
そして敵艦左舷にも水柱が上がり、両雄互いへ発砲を行う。
そして…………
「弾ちゃーく…………命中、命中です!」そう観測員が言うと小田辺は「よくやった」と続く。
そして暫くすると敵弾が至近へ着弾したかと思いきや………
物凄い衝撃が艦を揺らして、閃光と爆煙が目の前を覆い、防弾硝子を割り、窓枠を歪ませる。
艦橋へ入り込んだ爆風は一瞬にして17名の艦橋要員を即死させたのである。
松風の前部砲塔や艦橋は炎上していたが、それでもなお後部砲塔は火を噴き続けていた。
そして…………炎上する松風に最悪の事態が遂に襲い掛かった。
炎上する松風への集中攻撃は続き、遂に膝を屈した松風の艦中部でドンっ!と言う音がすると松風の艦橋と第1煙突の間にある第1魚雷発射管が巨大な火球に包まれ、瞬く間に船体が引き裂かれたのである。
松風の随伴艦である風と霞、島風が反撃に転じ、2隻の駆逐艦を撃沈、1隻を大破させたのである。だが、ある駆逐艦が沈没間際に放った魚雷が島風の船尾に直撃。舵機室や推進装置を破壊したのである。
すぐに霞と浜風が島風の救助を行おうとするが、5分もしない内に敵艦隊の本体が現れ、霞と浜風は曳航を断念。自らの意志で残る者を除いて退艦した。
スターリングラードなどからの熾烈な射撃はすぐに島風を浮かぶ溶鉱炉へ変え、霞と浜風に収容された島風の乗員と2隻の乗員は悔し涙を流しつつ、主力との合流を目指した。
長門艦橋
「……………皇国の荒廃。この一戦にありか」伊藤大将がそう呟くと俺、川村恵三少将は「この戦いは日本海海戦。いやそれ以上に皇国の運命がかかっています」と続くと伊藤司令は頷く。
その数秒後には長門の41㌢連装砲に山城、霧島の36㌢連装及び大雪の同3連装砲が力強く火を噴き始めたのである。
遂に日ソ紛戦最後の海戦の幕が切って落とされ様としていた。
そしてこの戦いに敗れればそれこそ、帝国はソ連の軍門に下るという事になる。
…………のちに日本海、ユトランドに岩手と並ぶ四大海戦と称される根室湾沖海戦の幕が切って落とされたのである。