プロローグ
流血の北海道
1945/2/18
日独同盟、対米開戦を回避した帝国に戦禍が襲ったのである。
北海道北部の雪原を進む多数の機甲師団があった。その車両には赤い星が描かれていた。
そしてその上空に多数のMig-3とYak-3戦闘機の護衛の元イリューシュン攻撃機や双発の米国製爆撃機B-25が飛翔していた。
旭川市内
「友軍はまだか!?」
そう言ったのは帝国陸軍旭川守備隊指揮官の田原宏少将だ。
「はっ、千歳からの援軍がもうすぐ到着します!」
通信士官がそう報告すると田原は「そうか」と呟いた。
と次の瞬間、上空を一式陸攻が通過し、敵占領地域へ向かう。
「さて、我々も行くとするか!皆、靖国で会おう!」
田原がそう言うと部下たちはハイっと叫び愛車を前へ進める。
そして護衛戦闘機共々攻撃隊は蹴散らされ、守備隊も後を追う様に全滅したのである。その事は帯広防衛の任に就いていた池田末男少将にも伝わり、彼は自らが最後の防衛線の最前線にいるのを改めて気づいた。
釧路市沖
戦艦陸奥艦上
『来ました!敵機甲師団です』
測距場から観測員が伝声管で報告すると、艦長の村原正大佐が「砲撃開始!」と叫ぶ。
しばらくすると41㌢砲が火を噴き、41㌢榴弾がソ連機甲師団へ向けて飛翔する。
旗艦である陸奥に続いて比叡、扶桑の主砲も火を噴く。
そして上空では陸奥らが護衛している空母翔鶴から飛来した紫電改戦闘機に護衛された流星攻撃機や雲龍型空母の彗星爆撃機が機甲師団攻撃の為もぬけの殻となった市街地へ向かう。
市街地上空に入るとソ連側のYak-3戦闘機が我が攻撃隊に対する妨害を開始する。
当然、護衛の紫電改もYak-3及びMig-3戦闘機に空戦を挑む。
激しい空戦が展開される一方で艦砲射撃も続いていた。
そして3/14、北海道は根室~札幌間がソ連軍占領下に落ちた。
スターリンの目標はここに自らの傀儡政権を建国する事、帝国はこれを全力で阻止しなければならない。山本五十六総理に決断は迫られた。
同日、戦艦武蔵司令室
「小沢さん、作戦は失敗しました。やはり敵はあの独軍機甲師団とやりあっただけあって強大ですね……………」
そう言うのは栗林陸軍大将だ。
「はい、その件は存じております。私も支援が上手くいくとは最初から思っておりませんでした。ですから陸軍さんも本土防衛には全力を尽くせるでしょうか?」
栗林大将に対してそう言ったのは連合艦隊司令長官の小沢冶三郎大将である。
かろうじて函館は陥落せずに済んだが、釧路攻撃作戦でソ連航空隊の攻撃で空母翔鶴が中破、戦艦扶桑が小破していた。
もっとも艦砲射撃によって独ソ戦を生き抜いた多くの猛者が所属する師団を壊滅させたので戦術的には勝利と言えたが。
しかし破竹のソ連軍の進撃は続き、遂に牡鹿半島までソ連軍は迫りつつあった!!
この物語は帝国軍人達の1945年2月から翌1月までの1年に渡る北海道動乱の記録である。