17話
推奨BGM 次発装填。再突入!
10月3日19時半過ぎ
沖縄沖数十㌔
森下艦隊旗艦・戦艦長門艦橋
「レーダー反応!距離30㌔、恐らくソ連艦隊です!」
1人の電測員がそう言うと艦長だが少将へ進級した俺、川村恵三は「射撃用意!」と命じる。
俺の命令の直後に、森下司令は僚艦に同じ命令を下す。
しばらくすると8隻の戦艦が有する4門の41㌢砲と12門の36㌢砲が狙いを定める。
各艦25kt。風も凪いでいる。
うん。これなら観測機も弾着の観測もし易いはずだ。
とそう俺が思った次の瞬間『敵艦隊発砲!』と観測機から報告が入ったのである。
「(来たか………)撃ち方始め!」
俺がそう言った次の瞬間、艦橋の前に備わる2基4門の41㌢砲が雷鳴の様な轟音と共にどす黒い爆煙と共に火を噴く。そして艦橋の後方へそのどす黒い煙が流れていく。それは隣の山城を始めとした他の戦艦も同じだ。
数分後、第2邀撃艦隊の艦艇の周囲に水柱が立ち、水柱が崩れてその飛沫が甲板を覆う。
それにしても敵ながら天晴れとしか言えないな…………
俺がそう思うとストップウォッチに再び目を移す。再び射撃命令を下すと41㌢砲は左右の仰角を変え、射撃に備える。
しばらくするとこちらの放った砲弾が水柱に変わり、その水柱が敵艦隊の周囲を覆う。
そして水柱が崩れるのと同時に「交互撃ち方から一斉撃ち方へ変更!撃ち方始めっ!」と俺が命じると再び41㌢砲が火を噴く。とほぼ同時に敵艦もこちらへ火を噴いたのである。
そしてまた数十秒後には巨大な水柱が立ち、崩れては乾かない甲板をまたも濡らす。
偉大な先人や父親たちが戦ったであろう黄海海戦や日本海海戦もこんなのだったんだろう。
俺は東郷元帥を始めとした先人達の戦いに思いを馳せつつ、敵艦隊の方角を見つめる。
台北から北に80㌔。我が艦隊は一斉に会頭し、敵艦隊の頭を押さえ込む事に成功した。
が、敵も敵で高い火力で押してきた。スターリン級巡洋戦艦グロズニイが放った砲弾が扶桑の後部楼閣に命中すると後部楼閣は瞬く間に崩れて第5、6砲塔に覆い被さって破壊する。
「扶桑、第5、6砲塔及び後部楼閣倒壊!」
見張りからの報告を聞いた森下は唇を噛みつつ状況を聞く。
「扶桑はどうしている?」
すると1人の見張りが「扶桑が速度を上げて突出しています」と叫んだ。
当然、森下司令に艦長の俺以下全ての艦橋要員も訝しんだ。が扶桑と護衛の重巡伊吹に松型駆逐艦6隻はどんどん速度を上げて敵艦隊へと向かう。
8隻はソ連水雷戦隊に容赦ない砲撃を浴びせ、特に扶桑は燃えながらも最後の最後、轟沈の瞬間まで15.2㌢砲が火を噴いていたのである。
戦艦扶桑は艦長の北川正太郎大佐以下、1541名全ての乗員が戦死。
ソ連寒帯まで最後まで引かず、壮絶なる最後を遂げたのである。
しかし扶桑の犠牲のおかげで長門以下7隻の突入は成功、スターリングラード級4隻と巡洋艦5隻を一気に近接砲撃戦で撃破し、旗艦含む2隻を撃沈、6隻を大破、1隻を中破させたのである。だが陸奥と比叡に榛名、金剛が多数の30㌢の大口径砲弾や小口径砲弾を浴びて大破するなど1年半の修理期間を要する位の大損傷を負い、長門と霧島も1ヶ月の修理期間を要する被害を被ったのである。が奇跡的に山城は被害軽微で済み、奇跡の幸運艦と呼ばれた。
それ以外にも巡洋艦羽黒に熊野、伊吹と駆逐艦暁や響などの艦艇もこの海に散り、鉄底の海を形成のである。
沖縄沖海戦。ユトランドの数倍にも及ぶ大決戦は両陣営ともに大出血を強いたが、大日本帝国海軍の勝利に終わった。
モスクワ某所では軍責任者数名及びクズネツォフが粛清もしくは左遷され、再び水上艦建造を行う様に書記長が命じたが、一方で満州侵攻の命令も下した。




