11話
5月下旬某日、戦線の降着状態が続く中、ソ連欧州艦隊がスペインの沖を抜けたと言う情報を南雲海軍長官は在京英西両国の大使館付武官から聞いたのである。恐らくその来冠までにかかる時間は4、5ヶ月だろう。
釧路沖
駆逐艦2隻の喪失と3発の魚雷が扶桑に命中したが、ソ連の魚雷艇を何とか退けた扶桑らであったが、ソ連占領下の帯広の飛行場から多数のMig-3とYak-3に護衛された独ソ戦時大量に購入したB-25爆撃機が多数飛来したのを旗艦扶桑の21号電探が捉えたのである。
艦隊司令の阪匡身少将はすぐさま「通信士、翔鶴以下空母に対して迎撃部隊を上げるように命じろ!」と言うと扶桑艦長の加藤憲吉大佐は「対空戦闘、主砲3式焼散弾用意」と命じる。
そして翔鶴らの紫電改と烈風、それに流星が迎撃に向かう。
紫電改に搭乗する翔鶴飛行隊兼艦隊戦闘機隊長の鴛淵孝大尉が「翔鶴・天城隊は戦闘機を、雲龍・葛城隊は爆撃機を狙え!」と命じると、『了解』と3つの航空隊の隊長が答えた。
しばらくするとソ連機を捉えた帝国海軍機は増槽を投下し、日ソ両国の戦闘機が入り乱れて空戦が始まったのである。
とは言えソ連戦闘機も激しく抵抗し、鴛淵自身3機の撃墜を記録するが自らも落とされかけ、翔鶴第2戦闘飛行隊の坂井三郎少佐に助けてもらっていた。
帝国海軍航空隊と農労赤色空軍機には大きな性能差が遭ったのでソ連機の多くが撃墜出来たのではあるが、我が方は烈風7に紫電改5と流星6を喪失。烈風3が着艦出来たとは言え、損傷が激しくその後、破棄せざるを得なくなった。
そして70機近いソ連軍爆撃機の内47機が戦闘機隊の包囲網を突破し、艦隊へ迫る。
それらを撃破すべく扶桑の放った3式弾は十数機を一挙に破砕するが、30機ほどを魚雷発射圏内への侵入を許してしまう。
主砲射撃を終えた扶桑や全機発艦済みの雲龍型空母の葛城と天城の12.7㌢高角砲や高い防空火力を有する大雪と駆逐艦照月の長10㌢砲は火を噴き敵を迎え撃つが、その一方で空母翔鶴と雲龍は航空巡洋艦最上、三隈、重巡青葉、衣笠のと駆逐艦大波、春月を護衛に従え、航空機収容に備え離脱する。
B-25は早速、扶桑に対して航空魚雷を投下すると扶桑左舷で対空戦闘中だった駆逐艦望月に命中、望月は瞬く間に轟沈。
更に陸軍揚陸船神州丸にもソ連機の魚雷が命中し、航行不能に陥り、多数の負傷者が発生したが、幸いにも人員の多くは揚陸済みであった。
そしれ扶桑に命中した3発目の魚雷は不発に終わり、最初の2発で船首と左舷に少し浸水が発生した以外に被害が起きる事は無かったのである。
しかしこの戦いで帝国海軍陸戦隊が乗る多数の輸送艦1号や2号が撃沈されてしまい、上陸隊の人数は予定の3/5となってしまい、本来より遥かに少ない人員での上陸となり、もしここでソ連軍の増援が来れば再び釧路は陥落し、再度奪還出来たとしても多大な犠牲を払うだろうと山本総理、野木原副総理と陸海軍の名将である栗林、小沢両大将は理解しており、各自新たな作戦を練っていたのである。
陸上では陸海軍の将兵が奮闘したおかげで、札幌の奪還と岩見沢での戦線降着状態が続き、海上では10月にソ連の大艦隊がマラッカ海峡を抜けたと言う報告が英大使館から入ったのである……………
連合艦隊旗艦・大和艦橋
9月末日に武蔵から大和へ再び連合艦隊旗艦が入れ替わると、2月に就任した現艦長有賀幸作大佐から同郷で前山城艦長の浜村清次郎大佐に変わり、有賀は軍令部へ出向したのである。
そして司令も関東防衛局長に指名された小沢治三郎大将から軍令部の副総長だった伊藤整一大将へ入れ替わり、いよいよ決戦ムードとなってきたのである。