杯ノ九百九十九
『引っ掻いてやろう』としていた時に比べれば、妙に委縮してしまった月紫の悪気。ただどうしても、摘める程だけでも、不満を彼に解ってもらわなきゃ気が済まない。
しかしそうなると、『捨て台詞』を一工夫する必要が出てきた。…でなければ、格好が付かないからな。
静馬の頬に寄せた右手を開き切る、月紫。そうして指先まで思案を広げながら、少しずつ彼の温もりをかすめとっていく。どうやら、これが良かったらしい。
瞼の縁に籠っていた熱が引き、多少なりと、目の痛みが楽になったのだろう。静馬は小さく安堵の吐息を漏らして、固い笑顔を解した。
「ふぅっ…人心地ついたところで…。『訊きたい事』だけどな、『あんたはどうして、俺が吸血鬼に成ったと思ったのか』…は、一先ず置く。『どういう理屈から、俺は吸血鬼に変わるのか』…も、興味はあるが、とりあえず後回しにしよう。それより、何より、俺があんたに訊きたい事は…あんた、どうして、『吸血鬼に成るから血を吐き出せ』と言わなかったんだ。一体全体、何をそんなにも躊躇ったんだ。」
この問いかけに、声を漏らす事も出来ず…。月紫は頑なな唇の分まで、紫色の瞳を見開いた。
まるで逆光を受けたかの如く、翳された小さな右手が、暗闇に沈む。静馬はそんな彼女の焦点の中で、口に残る塩辛さを飲み込んだ。
「人間だった俺が、突然、吸血鬼に成ったとしたら…それはえらい事だよな。言い出し辛い『気持ち』も理解できる。けど俺は、人間止めて、『吸血鬼を食べる生き物』に成っていたんだろ。そこから何に変わろうと、大差ないって…人間に戻る様な場合以外はさ…。まっ、そうは成らなかったみたいだが…。」




