杯ノ九百八十三
頬を這い上がる火照りが瞳まで届く前に、月紫はがっちりと瞼を閉じる。それから…顔をこんなにも真っ赤にしていれば、さぞや暑かろう…掴んだ彼の左手をヒラヒラッとさせ、顔を扇ぐ。
取り分け、耳朶の熱っぽさが気になるらしい。『振り回していれば、言い訳の一つでも出てはこないか』と期待するかの如く、執拗に耳元へ近づけて…、
「あらっ、静馬、貴方…手が震えているじゃないの。」
と、彼の手先が、寒さで小刻みに震えているのに気付いた。
静馬は目の痛みに、二、三度眉を跳ねさせながら…。だが口の端は緩め、感心した様な口振りで月紫に語り掛ける。
「…へぇっ。『足元の窪みも聞き分けられる』ってのは、やっぱり、はったりじゃなかったんだな。」
『そこまで解る癖に、どうして…。手を震わせている原因があんたに握られている事だと、解らない』。そういう野暮な発言は割愛。静馬もなかなか、『解ってきた』な。
しかし、瞼を閉じたままでは、月紫の目敏さまで気が回らなかった様だ。
彼女が単なる『夢見る乙女』であれば、宛がわれた貝殻に…軽く握られた彼の左手に、ただただ耳を寄せていたのだろう。文字通り『夢中』で、さざめく血潮と、波の音に聞き入っていた事だろう。
そんな純粋さは、当の月紫だって望むところに違いないが…。数十年の眠りの内、聞き続けた自分のうわ言が耳にこびり付いて…とっくの昔、勘ぐり屋に成り果ててしまった。
「静馬、ここで、『聞き分けられる』、『はったりじゃない』…そう言うってことは、『やっぱり』…見えているわね。…いいえ、見たわね。」
「な、何が…だよ。」




