杯ノ九百六十八
『こんな切り替えし』があるのは致し方ない。
どこに目を付けているのだと責める様な、紫色の眼差し。具体的には、半目よりもやや欠けた三日月型の目付き。
彼がどう俯こうと、口元に湛えた薄笑いが消えるまで、月紫の睨み目が地平線に隠れる事はないだろう。
現れたばかりの朝焼けの様に屈託のない笑みを浮かべ、静馬が返事をする。
「あんたは両目がない状態でも、暗闇の中を歩けるのか。こけたり、天井やら、壁やらに頭をぶつけたりしないでさ。」
…早速だが訂正させて頂く。これは返事でなかった。…答えですらなかった。
静馬は問い返して、さっさと瞼を閉じる。瞳を爛々(らんらん)と輝かせる彼女を独り、置き去りにして…。
こうなったら、意地でも目を閉じまい。その意気込みで瞬きまで我慢して、月紫が呟く。
「それくらいは問題なく、歩けます。周囲で反響する音さえ聞こえたなら、自分と壁の位置関係、天井の高さも…あと、泥濘があるとか、足元の窪みも大まかになら感じ取れるわ。」
「ほぉっ…。」
思った以上の、目がなくても『見える』解答。まぁ、彼女が続けるであろう言葉を思えば…多少、話を盛っている可能性もあるが…かなり達者に歩けるのは間違いなかろう。
障害物になりえるものはない。『案外』と彼が漏らした声を耳にして、月紫はそう思ったのか。歩調を速め、語り掛ける。
「心配しなくても初めから…洞窟を出るのに、手を引かせようとは思っていない…。」
「いや、それは俺が困る。」
「えっ。」
キョトンッとして、尻餅付くかの如く瞼を落とした、月紫。反対に静馬は目を見開き、さも可笑しそうな声で、
「夢物語じゃないぞ。」




