杯ノ九百四十二
彼の大きな手を引っぺがそうと、掌の間に指先を押し込んで、苦心惨憺。
吸い付く様にピッタリッと重なった互いの手を、爪で引っ掻きながら…。だがしかし、そんな痛み以上に、『静馬の手を払い除ける』という行為は、辛いものであった事だろう。
それだから、静馬の発言を聞いた時には、
「えっ。」
と、驚きの声を漏らしつつも、どこか安堵している様だった。
荒い息を、二度、三度と吐いて…月紫の表情にも平静さが戻ってくる。この面持ちを見れば、彼女も理解しているのだ。
何よりも、彼の申し出を爪弾きにする不自然さが…。そして、『自分は隠し事をされている』と…静馬に気付かれてしまっていたのを、冷たい頭の中で理解している。
「けれど、そんな場合じゃ…。」
明らかに言い淀む声を、掌の隙間から逃げ出そうとする指を、彼が捕まえてくれるかも知れない。挟んで隠してしまえるかも知れない。彼女のそんな期待は、素気なく、すんなりと、引き抜かれた。
去り際に爪を立てる事すら出来なかった細い指。二人でそこに視線を落としながら…静馬が再び、提案する。
「『一刻の猶予もない』んだろ。ちゃんと、聞いている。だから一言で、『吐き出さなきゃならない理由』を教えてくれ。ただし、言葉はしっかり選んでくれよ。大事な判断材料だし、それに…これで俺も、結構、傷つき易い方だからさ。」
冗談めかして笑うその声に、ビクッ。繋いだ手から引き抜いたばかりの人差し指が、微かに震えた。
静馬は握った左手を一息に緩めて、言葉を継ぐ。
「まぁ、『俺の意志なんて関係ない』と…あんたがそう思うのなら、力尽くでやってくれ…。拒もうとは思わない。俺も解っている。」




