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杯ノ九百三十四

 「それと忘れちゃいけないのが、程よい厚みの唇。そして、その奥に控えた…出しゃばりな二本の牙だな。」

 喋り切るまでは…喋り切るまでは…と、微かに頬を震わせつつ、真剣な顔で物語る、静馬(しずま)。むすっとした口元に隠れた彼女の牙を、見え見えの冗談で誘い…。ここぞとばかり、含み置いた笑みを解き放つ。

 大した(えさ)…もとい、好餌(こうじ)が付いている訳じゃない。のみならず、垂らされた糸の先にある釣り針まで彼女の、『二本の牙』を借りている始末。…さあれども、情の深い、彼を『可愛くて仕方ない』と思っている吸血鬼なら、食いついてしまう。

 釣られた月紫(つくし)の、口の端も吊り上がる。…静馬はそう期待したのだ。

 湧き水の音で惑わされないよう、息遣いに、シャツの胸の浅い振幅に意識を配る。吐いて、吸って、吐いて、吸って…それから、小さく口元を綻ばせる、月紫。

 焦ってはいけない。まだ、放り込んだ『皮肉』に食いついたとは限らないからな。

 静馬がまた、口の端をひくつかせると…ほら、やっぱり、油断大敵…。まるで見えない『思惑の糸』に気付いているかの如く、彼の心の琴線(きんせん)を揺らすかの如く、ふぅっ。悩ましげな吐息を零して、月紫が微笑みを引っ込めた。

 「勇雄の意見は、私に掛けた言葉は聞くに及ばない…みたいな事を言って置いて…。しっかり、参考にしているじゃない。」

 前髪がない分、一際目立つ。静馬曰く『細すぎずくっきりとした眉』の間に皺を寄せ、紫色の眼光が鋭さを増す。

 その冷たい光線に喉元を(えぐ)られ…。思わず静馬が、

「いっ。」

 口の端を吊り上げたそのままの形で、唇から声を漏らした。

 望みの品物を与える代わり、声を奪う。

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