杯ノ九百二十六
「まさか、あんたの口から、こうも痛烈なのが聞けるとは…。あんたをほっぽり出して、逃げ出さなかった甲斐があったな。いやーっ、本当、長生きはしてみるもんだ。」
馬鹿に上機嫌。…と言うより、『馬鹿な奴』を気取ったニヤケ面。感心している様でいて、冷やかしている様な口振りも、鼻持ちならない。
奥歯を噛み締めて、睨み目の一つも聞かせてやりたいところ。だがそこは、グッと堪え…肩に乗せた右手も軽く浮かせ…月紫が穏やかに尋ねる。
「静馬の生き甲斐になるなら、どんな事であれ、嬉しいわ。けれど、私には思い当たる節がなくて…何と言って喜んだら好いのかしら。」
気付いていない事を誤魔化す為、悩ましげな声色で『気付いていない』振り。そうして惚けた言葉遣いをしていると…段々、腹立たしさが増してきた様だ。表情を変えず、ジワジワと右手を浮かべていく、月紫。
彼女の気も知らず、静馬はさも面白そうに口の端を吊り上げ、
「『思い当たる節がない』…流石は、血生臭い人魚姫さま。だんまりの決め方も一味違う。それとも、『皮肉』の言葉だけは奪わないでくれた…気が利く『海の魔女』に感謝すべきか。」
「ひっ、皮肉っ。」
声が引っくり返ると同時、上に向かっていたはずの月紫の右手が、ゴンッ。天地を失ったかの如く、細い肩へ落ちてきた。…それも、かなりの威力で…。
当然、彼女の小さな身体は再び、右へ傾いて、
「おいおいっ、題材が題材だから、芝居も劇的になるのは仕方ないが…。もう少し腕力は抑え気味で頼む。あんたの骨格だと、どこが折れたり、外れたりするか分かったもんじゃないし…だいたい、子供の頃の俺がこんな熱演を見せられたら…間違いなく、泣きべそ書いているぞ。」




