杯ノ八百九十
苦汁を絞り出すかの如く、一層力が籠る眉間。もう薄目すら開けてはいられない。
彼の苦しげにも見える面持ちへ、月紫は伏せたまつ毛を撫でる様に。
「静馬…。」
寂しそうな声。瞼を持ち上げて盗み見るまでもなく、どんな顔をしているのか解る。
だから静馬は…やっぱり、ちょろい男の代表だな。口の端をまた皮肉っぽく吊り上げ、軽やかに笑みを浮かべた。
「あんたには敵わないな。」
一言に深く、思いを込めて…、
(胸を抉られたのはあんたで、埋め合わせをしないといけないのは俺なのにな。)
瞼を閉じたままで、薄皮に包んだままで伝えきれない分は、右目を開いて、もう一度だけ、
「敵わない…。」
胸のつかえごと吐き出したら…さぁ、彼らしく、ユーモアたっぷりに行く番だ。半分ほど覗いた右の瞳で、訝しそうに、月紫の顔を見据える。
「『血に飢えています』と言わんばかりの牙震わせて…それ見せられたら俺の、『嫌らしい目付き』なんて形無しだ。参った、参った。」
そう投げ遣りに、多少芝居っ気が強いのには片目を瞑り…。とにかく、静馬は難しい台詞を言ってのけた。
すると、どうなるか。言うまでもないが、彼の右目に満足感あふれる口元が映る。そして、小さな唇は、チラリッ、チラリッと牙を見せつけながら…声にならない声でこういうのだ。『あーあっ、言ってやんの。私の為に言ってやんの』。
静馬はそんな笑顔を、『はいはい、そうですよ』とあしらう様に右目を閉じる…含み笑いで…。これを見た月紫さん、負かしっ放しでは女が廃ると、咳払いを一つ。
「まっ、当然ね。目配せ一つ、表情一つ作らせても、年季が違うもの。けれど、静馬の顔だって、悪くはなかったわよ。」




