杯ノ八百七十八
「それにしても、『甘く味付け』とは…よくぞ、言ってくれたよな。人の味覚を改造しておいて…水すら美味しく頂けなくなった俺に…。」
「うっ、それは、予期しない事態…いいえ、憂慮すべき事ではあったのだけれど、仕方がなかったのよ。死の際にあった静馬を救うのには、時間がなかった。他に打つ手がなかったのよ。…まぁ、本当を言えば…私の友人が恋人を『吸血鬼を食べる生き物』に変えた事は、あまりに、昔の記憶で…咄嗟には、細かいところまで思い出せなかった。…それは、正直、貴方の生き死に関わる決断を、冷静な心でしなかったと…反省はしています。けれど…今までにもう、さんざん許しを請うたのだもの。第一、間違いおかした訳じゃないのだし…こればかりは、幾ら嫌味を言われたって、謝りませんからね。」
ここのところのやり取りでは、静馬に主導権を握られっ放しの、月紫。勿論、年長者の余裕で、『あえて、勝ちを譲ってやる』…と言う『気持ち』も、あるには、あったのだろう。だが、しばらく大人しくさせていた『生来の負けず嫌い』が、頭をもたげ始めたらしい。
決意の強さを示すかの如く、一層強く鮮血を跳ね飛ばす左手。静馬はそんな彼女の、武者震いを眺めつつ、
(症状は『手足の震え』…か。まるで、老人みたいな…いや、年相応のありさまかもな。)
言わずもがな、口に出すべきではない台詞。そして、それだけに…口に出してみたい、悪戯心を刺激する台詞。
今回は、月紫の意気込みを前に、妙な気も長持ちしなかったか。大人しく返事をするべく、静馬が口を開いた。
「謝ってもらう必要はない。…と、言いたいところなんだが…今度ばかりは、謝って頂こうかな。」




