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杯ノ八百三十六

 言い切ったものの…やや思うところがあってか、口を噤む。そして数秒足らずで、可笑しさを我慢できずに、静馬は吹き出した。

 「いや、誰かに自慢しようとか、話して聞かせようとしなかった。…母さんにも言わなかった事を思うと、ほとんど疑ってかかっていたのかも知れない。子供心に、『吸血鬼なんて居る訳ない』と…親父を馬鹿にしていたのかもな。けど、それならそれで…あの頃の俺にとっては、それで…良かったんだろ。」

「吸血鬼なんて…私なんて居なくても、勇雄(いさお)と男同士、父子で、他の誰も知らない秘密を共有できるなら…。そう考えると、むしろ、私は存在しない方が良かったのかしらね。だって…二人だけの秘密を…吸血鬼は存在する事も、その居場所も…私、知っているのだもの。私が居て、さぞがっかりしたでしょう、静馬。」

 話を奪った…もとい、引き取ったかと思えば、そそくさと尋ね、返す。そうして楽しそうに不貞腐れた振りをする月紫(つくし)へ、静馬は短い笑気を漏らしながら、

「いいや…。俺もあの頃からは随分と、大人になった。」

と、そこで少し、相手の期待を(あお)る様に、間を設ける。その(こす)いやり口に、月紫は鼻を鳴らし…だが、鼻息の荒さ、胸のざわつきまでは隠せていない。

 態とらしく深呼吸を一つ。静馬が悠々と、口を開く。

 「けど、どれだけ目線が高く成っても、色褪せないものはある。俺にとってあんたは…今も、親父が話して聞かせた通りの、『宝物』のまま…。思い出の…そのままだよ。」

 その言葉を聞いて、キュッと結ばれていた月紫の唇が(ほど)ける。白い歯をのぞかせた安堵の吐息は、身を固くして堪えていた分だけ、なお一層温かいのだろう。

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