杯ノ八百三十一
向きになって否定したところで、月紫を喜ばせるだけ…。いや、喜ばれたからと言って静馬に、何の不都合もありはしないのだが…とにかく、話を進める上でも、彼の気分の上でも、このままにしておくのは体裁が悪い。…しかし、そうなると…。
(こいつの思い込みを逸らす為の、『代案』が必要になるか…。はぁっ、あんまり言いたくはなかったんだけどなぁ。親父の元カノ相手に、こんなこと…。)
胸中で苦虫を噛む度、静馬の背中を下りていく、ヌルリッとした感触。色々な意味で痺れを切らした彼にはもう、それが冷や汗なのかすら定かではない。
唯一つだけ解っているのは、頭の中で『こんなこと』を思い描いた時点で…最早、言おうが言うまいが、具合の悪い感触を取り去る事は不可能。この感触を取り去るには…口に出すのも憚られる…恐らくは甘ったるい台詞を吐き出して…思いっ切り恥をかくしかないのだ。そう結局は、月紫を更に調子づかせるしかないないのである。
(面白くはない…面白くはないが、止むなしだな。気分の事を言えば、俺はこいつに『最悪の目覚め』させてしまっているし…それに…。)
と、静馬はまた少し、麻痺した彼女の手首から力を抜いて、
(俺だけ恥をかく方が、二人して『痛い思い』を味わい続けるより、何倍もマシだ。…おっと、こう言う事を口に出すから、『素っ気ない』とか不評を買うんだった。よしっ、恥をかくからには気合いを入れて…こいつの機嫌を損なわないよう、まずは…結論からいくか。)
静馬は意を決し、半目に成っていた瞼を見開く。前方には…ニヘラニヘラッ…絶え間なく笑顔を振りまく、月紫。その菩薩様の如くありがたいお顔へ、狙いを付け、言葉を投げる。




