杯ノ八百二十九
こうなると処置なしというか…『蝙蝠なんかよりずっと可愛い』、『端正な顔立ちをしている』と、百万回言わされかねない。
静馬がまた少し、彼女の細い手首を握る力を緩める。それから、その柔らかい感情が溢れ出した様な口元で、笑う。
「こんな事、出会って間もなしにする話じゃないが…。」
飛び出したのは、存外に魅力的な誘い文句。しかしながら月紫は、『もう話のすり替えには騙されないぞ』と臨戦態勢に入りつつ…小首を傾げて耳を澄ます。
斜に構えた彼女を向こうへ回し、強張った肩を動かし、解し。静馬は話を進め始める。
「棺桶を開けて、最初にあんたを見た時は驚いたよ。」
「…蝙蝠みたいな顔していたから…でしょう。」
と、突っついてくる声に、頷くともなく、笑みを零して、
「親父が惚れ込んだのは、これだったんだなって…そう思った。」
彼は何も意外な発言をしていない。だが、それだけ…その言葉が率直だっただけ…深く、月紫の心に突き刺さる。
錆びついた人形の様に、震えながら頭を起こす姿。蒼白の表情へ静馬は、また、真っ直ぐに語りかける。
「寝ているあんたを見下ろしながら、ぼんやり、思い出したんだ。あんたの話を…いいや、吸血鬼のお伽話をする親父の、あの嬉しそうな目を…楽しそうな顔を…。吸血鬼って言うのは余程、魅力的なものなんだろう。子供心にそう思ったよ。…あんた、ちょっと前、自分が親父に愛されて、それで、『俺に寂しい思いをさせた』と言っていたよな。」
紫色の瞳が探るかの如く、天井を向く。確か、彼女にそう言われ、静馬はそれを否定していた。…だがしかし…。
こんどは様子が違う。月紫は肩を落とす。




