杯ノ八百二十七
そうして彼女の気分が良ければ、静馬も満足。…とは、流石に、いかない。子供染みていると知りつつも、捨て置けない事が、調子づかせたままでは男の沽券に係わる事がある。
静馬は聞えよがしに、大きな溜息を一つ。それから、唐突に、喋り出す。
「そうは言うけどさ…確かに、あんたは愛らしい。蝙蝠と比べたら、それは…まっ、見ようによっては、蝙蝠だって可愛いところはあるかも知れないが…そりゃあ、あんたとは似ても似つかないだろ。」
予告なくすり替わった話題に、月紫は片方の目だけを細め、皮肉っぽく、
「ふぅんっ、お優しいこと。」
さも残念そうに言いうと、先を促すかの如く…コクリッ。面持ちを柔らかくして、小さく頷く。
「静馬が『私にだけ優しい』訳じゃないのは、よく解ったわ。ふぅっ…。」
と、さっきの彼の溜息を当てこする様な、短い吐息。そして、
「…で、私から楽しみを取り上げた次は…どうやって私を、毛むくじゃらな蝙蝠と一緒くたにするのかしら。」
そんな風に誘って…月紫としては、彼のどの様な発言でも受けて立つ腹積り。しかしながら、そこに心の隙が生じた。
虎視眈々(こしたんたん)と、会話のイニシアチブを奪うべく狙っていた、静馬。月紫の言葉へ、まず、苦笑を返す。そうしてから、満を持して、声を弾ませ…、
「何のかんの言っても、そうやって誘い文句をくれるんだからな。やっぱり、俺なんかより…。あんたの方こそ、優しい子…いや、優しいご婦人だよ。」
…これは完全にしてやられた。
まさか、言葉の粗を付くのではなく、会話の内容そのものを引っ繰り返してくるとは…。面喰って、息を飲んで、月紫も答えに詰まっている。




