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杯ノ八百十二

 足元を染める(しずか)さ、固さは、張り裂けんばかりに見開かれた紫色の瞳から伝播したもの。対照的に結んだ小さな唇は…目の錯覚だろうか…口元を汚した赤の中、蜃気楼の如く、一際揺らめいて見える。

 月紫(つくし)はそうして、(こら)えながら、努めながら…。細い指を戦慄(わなな)かせ、ポッカリッと開いた穴を探る様に…左手をシャツの胸元へ引き寄せた。

 「指輪。」

 …『手を伸ばした時、最初に触れるのが中指。それに一番長く触れて、それを手元へ寄せるのも中指。だからそれに触れる時、自然と、中指には力が籠る』。何気なくそう、彼女に話して聞かせたのは静馬(しずま)だった。

 シャツの白に吸い込まれそうだった手を止める、月紫。はっきりとした感情が、意思が、働いた訳ではない。ただ、彼が自分に話して聞かせた事を思い出した…ただ、思い出した途端に手が止まった…ただ、

(この中指に、指輪をしてもらう。)

 そう心に決めた時の感触を覚えていただけ…。

 心なしか安らいだ眼差し。そんな彼女に対して…まったく、小憎らしい事だ。静馬は相変わらず、俯いたまま、血溜まりに映った面影以外を見もしない。彼女の面影のみ真っ直ぐに見つめ、もう一言、呟く。

 「王冠。」

 唇を結んだ彼女の息苦しさが乗り移ったかの様に、静馬の語気は重い。次の言葉が圧し掛かり彼の唇まで、なかなか、発声しようとする形に定まらず…。

 しかしながら、偶然か、故意にか…ポタリッ。沈黙を破ったのを、吐き出してしまえと背中を押したのは、やっぱり、月紫の指。小さくて、力強い中指の先から落ちた一滴の鮮血であった。

 耳の奥へ()み込む水音。血の水面に広がる波紋が、あどけない口元を微笑ませる。

 

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