杯ノ八百十一
言い終えて静馬は、待つ事はせず苦笑を漏らす。何を『待つ事はせず』か、それは当然…、
「まっ、待ちなさいよ、静馬。『病んでいる』と言ったのは、言葉の綾で…本当は、そんな積りじゃなかったの。勢いで…そう、勢いで、思ってもない言葉を口走っただけ…。だいたい、私が、『静馬が病んでいる』なんて思ったりするはずないじゃない。」
と、必死に成って前言を撤回する真ん丸い紫色の瞳。しかしながら…なっ。
月紫の話を聞いていると、『静馬が病んでいるかどうか』より、むしろ、『静馬が病んでいるなんて、自分は思っていない』事を強調している節がある。いや、まぁ、そう言うタイプの女性なのは、知れていた事ではあるが…。
血溜まりに落とした眼差しを、やや白けた様に半目にする。そうして視界の端から、ちょっとだけ彼女の姿を追い出して置いて…もう一度、苦笑い。静馬は空っ惚けた声で、問い返す。
「そうかな。」
「えっ、それは、当たり前…。あの、えっと…『私が思っていない』事に対する、『そうかな』…で、良いのよね。」
あーあっ、流石に、これは頂けない。これでは、『何を聞かれても否定しない』腹だったのが丸解りだ。
静馬も呆れた様子で瞼を閉じて…しかし、考えあっての事か…また空っ惚け、話を続ける。
「あんたに保障してもらえたなら、心強いよ。」
「う、うん…。」
「嫌みじゃなく、本気でそう思っている。何しろ、あんた…生まれついての『王子様』だったかと錯覚するくらいに、俺の事を憐れんでくれている…その張本人だもんな。そんなあんたが…そんな念の入ったあんたが、『私は思っていない』とか、下手な嘘を吐くはずないって…。」
血溜まりの表面が凍った様に張り詰めた。




