杯ノ八十一
後一寸、もう後一寸で、遺恨の詰まったこの杭を吸血鬼の眠りの内へと埋葬する事が出来る。その時に…童女のなだらかな胸元…失礼、言いなおそう…幼さ残る胸元に注がれるべきはずの青年の視線は…彼自身にも定かではない力に引きつけられる様に、小さな顎の下、童女の喉元を見つめていた。
あるいは…それこそが、青年に危険を知らせるべく、身体の全細胞が悲鳴を上げた瞬間だったのであろうか…。
童女の胸元に、もう後一寸の所まで右手を近づけておきながら…どうしても、杭から指が離れない…。
そして、戦慄と言う外ない怖気に纏わりつかれながら、瞬きを忘れた青年の瞳は見た。更には、彼の耳は疑いようも無く、聞いたのだ。
童女の首の皮が、微かに、頭の方へと向けてうねり…それから、ゴクリッと、『何か』を飲み込む音がしたのを…。
青年の身体から命が…熱の塊が抜け出してしまったかの如く、血の気が失せていく。
チクチクと渇きを訴える目を瞬かせ…視線は頭を俯かせるに任せて、小指から順に痺れていく右手へと移り行く。
青年の真っ赤に染まった人差し指からは、依然として、音も無く血が抜け出していた。
その血が木目の波間を滑り下り、杭の先端からポタッ、ポタッと…恰も、壊れた万年筆の様に…童女の鳩尾の辺りへ、拭い切れない深紅のインクを滴り落とす。
そんな得も言われぬ無力感、虚脱感に苛まれながら…青年は、血と一緒に流れ消えた、脳裏に掛った赤い帳の向こうを見つめる…。
(今…こいつが飲み込んだのは…飲んだのは…俺の血か…。)
青年の脳は残酷にも、彼に再び、走馬灯の様なイメージとしてその瞬間を…童女が彼の血を嚥下する光景を見せつけた。
杯ノ八十一を読んでやって下さり、ありがとうございました(^v^)
前に目にした、海外の作家のコメント。『小説のストーリや、文章を、一番思いつくのは執筆している当の時間。それと言うのも、この時が、最も深く創作に集中しているから…。』
今回の本文を書き上げた後に、ふと、そんな言葉を思い出しました。いやぁ、本当に、書いてみると、意外にどうにかなっちゃうものですなぁ。…と言いつつ、梟小路の小説は、そんな『意外に』と、『伏線』の連続だった気もしたり…。
それでは、また、『意外』で、『伏線』たっぷりな、次回の梟小路の綴る文章でお会いいたしましょう。




