杯ノ七百六十六
不意打ちの問い掛けに、話の流れを、彼女の右手を引っ繰り返そうとする静馬の、動きが止まった。
「『王冠』ね。リボンから随分と、格調高くなったな。」
月紫の右掌が上向いている事から、おそらく、物も言わずに、食い込んだ指を引っこ抜いてやる積りだったのだろう。…では何故、手を止めたのか。返事をしたのか。
理由は、そして全ては、彼女の笑顔にある。
優しく、穏やか、それでいて…『今だったら、質問の答え以外、聞かなかった事にしてあげる』…と、わずかに、ピリピリしている頬っぺた。その搗き立ての餅の様な柔らかさに、静馬は甘えた訳だ。
そもそも、浮ついた月紫の『気持ち』を叩き直す…いや、搗き直すにしろ、賭けの要素が大き過ぎた。…静馬自身、そう思えばこそ、愛想良く問い掛けに応じてみせたのだろう。
固くなった餅は、蒸篭で蒸してから搗き直すもの。しかしながら、初めから柔らかい吸血鬼の頬っぺたは、加熱厳禁。こちらには牙もある。うっかり手を出せば…もとい、手を引っ込めれば、火傷では済まない。静馬には良い教訓となったな。
まっ、それもこれも…。『この程度の威嚇に屈して、彼は見る目を変えたりしない』。月紫がそう信じればこその、甘えで、教訓で、静馬の苦笑いなのだが…何とも、お熱いことで…。
彼の口の端が緩んだのを見て、まずは、『何をヘラヘラ笑っているの』と目を尖らす、月紫。今は『王冠が似合うかどうか』の話をしている最中。甘やかしながらも、威厳は保たれなくてはならないのだ。
そんな厳しい瞳を受けて、静馬はまた目線を逸らし…だが、口元は一向に引き締まらない。まっ、従僕なんて柄でもないからな。




