杯ノ七百四十四
上目遣いで、小刻みに肩を震わせ、唇は不安の思いを綻ばせる。静馬は一度だけ頷いて見せると、引っ込めかけた指を細い手首へ伸ばす。
「そうまで、熱心に言われたら…。」
と、得心がいったとばかり苦笑を漏らし、
「『注射を待つ心境も共感できない』なんて考えは、なるほど、馬鹿にしていたな。…じゃあ、埋め合わせ…だと、表現からして、今のあんたには縁起でもないか。まっ、お詫びで…。仰る通り、あんたの右手に縋らせてもらうとするよ。こうなったら、ついでに、指も抜いて差し上げましょうか。」
この申し出を月紫が断るはずない。そう解りきっている静馬が、彼女の手首を返そうと…しかしながら…。
「やっ、止めて。」
思いがけぬ取り乱した声。何か間違いでもあったのかと彼が、また、右手を離そうとすれば…それも、
「待って。は、離さないでってお願いしたでしょう。」
決め付ける様な口調で、月紫が制止する。…どうしろっていうんだ。
そんな途方にくれた静馬の様子を察して、俯きながら、息を荒げながら、月紫は…まず息を呑む。そうして、か細い呟きを零す。
「あの…ね。さっきから、右手を開こうって…指を掌から引っ張り出そうと、頑張って…頑張っている内に…ね。解らなくなっちゃたの…どうやったら手を握れるのか…どうやって手を握っていたのか、忘れちゃったのよ。だから…私の右手、馬鹿に成っているから…抑えておいて…。」
「はぁっ。」
静馬がそう言うのは仕方あるまい。『手の握り方を忘れた』って、幾ら指が掌に深く潜り込んでいる状態とは言え…いや、言っても始まらない事か。
「どうしよう…指、千切れちゃう…。」




