杯ノ七百四十
だから、こうやって右手を開くのは、痛い思いをしながら静馬の気を引くのは、理由が欲しかったから…。それがどんなに些細なものであれ、誰かの為に自分は何かをする…彼の為に自分は目覚めたのだと感じられる…理由を掴まえたかったからなのであろう。
約束した通り、静馬は月紫の呟きには答えなかった。
呟きには答えず、そっと両手で彼女の右手を包み込み…。それからまた、『独り言』を話し始める。
「母さんが俺に手を上げていた訳は…解ってやりたいと、ずっと思いながら…さっきも、解った気に成ったりしたけど…。本当のところは、やっぱり…俺にはよく解らない。けど、初めの事を…最初に手を上げられた…その時の事は、はっきり覚えている。」
一区切りまで言い終えて、苦笑を漏らす、静馬。そこに滲む緊張感、そして虚脱感を聞き取って…彼の両手に包まれた月紫の右手が、ビクリッ、逃げ場を求め跳ねた。
その感触を受け取った静馬は、少し安心した様な笑顔を浮かべる。
「あっ、悪い。こんな話…話して良いのかあんたに、許可を取るのを忘れていたな。」
微かに震える口元。ぎこちなく笑う彼に、思わず、月紫は首を横へ。耳をくすぐる笑い声をさっきよりも、真っ直ぐに聞きながら…。まつ毛を伏せる紫色の瞳。
静馬は咳払いを一つ。空々しい笑いを喉から追い出して、『聞く耳』だけは見せている彼女へ語り掛ける。
「今は、独り言とか、そう言うのなしで良いからさ。…って、確かこれ、俺から言い出した事じゃなかったような。」
またニッコリッ笑ってみるが、一向に優れない月紫の面持ち。彼もややばつの悪そうに目を逸らし、やんわりと、包んだ小さな右手を摩る。




