杯ノ七百三十五
「手は二つ付いているだから、使えば良いだろ。左手を…。どうしてそう、意地を張ってんだか…。」
「手だったら静馬にも、二つ付いているでしょう。」
たちまち返ってきた月紫の声に、目を丸くする、静馬。しかし、クスリッともせず鼻を鳴らすとまた、瞼を半分下ろした。
そんな反応にも、不思議と、素直な笑い声を零して…。月紫は、彼よりもなお瞼を落とし、紫色の瞳を細める。
「『意地を張って』…そうね、私は意地でも、自分の左手は使わないわ。だから見ていられなければ、静馬、手伝ってくれても結構よ。」
まさか、このタイミングで、こんな下らない事で、駆け引きを迫ってくるとはな。『考えもしなかった』と、大きく見開かれた静馬の眼が物語っている。
今までは、『意地を張って』などと言われたら、根負けして、目を剥いていたのは月紫の方だった。…それを思えば…この駆け引きは彼女が瞳を細めた時点で、一定の成果を上げたのであろう。そして…。
駆け引きに勝利しよう。彼を思い通りに操ろう。月紫の頭に、そうした考えの欠片もないその時点で…彼女の負けはありえない。
長いまつ毛。その奥に隠された紫色の瞳、思いを覗き込み、静馬が尋ねかける。
「あくまでも、『俺の方から』、『望んで』、あんたの右手の指を引っこ抜くと…。そういう態でないと成らない訳だな。」
「私は何も、無理に、手を貸してもらおうとは思っていないわ。だから、かわせるものなら、かわせばいい…。かわせるものならね。」
自信たっぷりに微笑む、月紫。
彼の遣り口…もとい、心の強さから学び取った答え。それは、かわされるのを怯えるより、かわせないよう、相手へと手を差し出すこと。




