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杯ノ六百三

 何気ない、聞き様によっては素朴とも感じられる一言。しかし…そこはかとなく含むところが…微かな非難の響きがこもって聞こえるのは、気の所為だろうか。

 よく磨かれた石舞台の上へ、引っ繰り返さぬよう慎重にペットボトルを置く、静馬(しずま)

 そう言った冷静さも、こんな場合には気に障るらしい。月紫(つくし)はそっぽ向いて、聞えよがしに短い鼻息をこぼした。

 さて、事ここに及んでは、迅速(じんそく)な対応が要求される事だろう。…でなければ、()ねた彼女が、両手を握り合わせ、手の中の物をこねくり回して、口に放り込みかねないからな。しかもそれが、彼女自身の口とは限らないと来ている。まぁ、最悪の場合…そうなるという話だ。

 静馬はこの切迫した状況を知ってか知らずか、ペットボトルとは反対方向に両腕を伸ばし、ギュッ。タオルを絞った。

 捻り上げられたタオルと、吊り上がった月紫の口の端。果たして、より強張っているのはどちらやら…。

 意地の張り合いをしている積りもない静馬が、あっさりとタオルを広げ、そしてようやく、口を開いた。

 「別に…あんたの旨そうな脚へ(かじ)り付くのには、抵抗ないよ。自分が人間じゃなくなった。自分は『吸血鬼を食べる生き物』になった。…その事実に比べればだけどな。」

 今しがたの愛想笑いとは違う、やんわりと、それでいて悪戯っぽい笑顔。

 月紫はその皮肉な物言いに、唇を真一文字に結んで。だがしかし、どことなく…おそらくは、『抵抗ない』の一言で…安堵した様にも見えた。…吸血鬼という奴は…彼女は…何とも複雑怪奇に出来ている。

 「冷たいのは平気なんだよな。」

と、月紫の赤い膝小僧へ濡れタオルを近付け、静馬が確認する。

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