杯ノ二百八十九
求められているのは、一刻も早い状況の改善。童女とて、それは充分に理解している。…と言うか、充分過ぎる程に理解しているが為に…何かこう、焦燥感が強調され…結果、パニックを起こして、『こっちの状況』と『そっちの状況』が、ごっちゃに成ってしまったのであろう。
まぁ、こんなものは、可愛らしいしくじりの類なのだ。…息さえ詰まってなければな。
更なる圧迫に埋もれ、静馬の右手はしばらく、痺れた様に痙攣していた。
それがまた、俄かに童女の肩をタップし始める。それも、割増気味に強い調子で…。
彼の必死の訴えは、しっかり彼女へと伝わっている。そして、なお一層、彼女をうろたえさせるのだ。
「ま、待って…い、今、続きを…。だからね。『幽鬼』は、吸血鬼の傍でなければ、生きては居られないの。それで、私たち吸血鬼の権勢華やかだった頃は、無理矢理、人間を『幽鬼』に変えていまい、使用人として扱き使うなんて事も…あっ、私は、そんな酷い仕打ちはしませんでしたからね。ちゃんと、人間を下働きに雇って、お給金も出していたし…。静馬君の事だって…それは、いつでも私の傍に居てくれたら…嬉しいと言ってしまうのは恥ずかしいけれど、やっぱり、心強いなって思うわ。でも、静馬君は若いのだから、私みたいな…夜に縛られ、殻の中に閉じ籠もる生き方はしないで欲しいの。貴方にはまだまだ、外の…昼間の世界で見るべきものが、たくさんあるはずだわ。」
童女は鼻息荒く、意気込んで静馬へと語り掛けた。…遂に唾液の話が、彼女の小作りな頭から脱落した模様。まぁ、それ以前に、ポケットを探る右手の動きも、止まって居たりするのだがな…。




