杯ノ百六十八
弾けもせず、紅い王冠を作って飛散する事もなく、まるで本物のルビーがビロードの絨毯の上へ落ちたかの様に、血の一粒はその威容を保持している。
それは…それだけで充分に不自然、かつ常人の予想の範疇を逸脱した出来事。
もしも、これと同じ状況に千人の人間が放り込まれたなら…まず間違いなく、九百九十九人の人間はその奇妙奇天烈さに驚愕し…そして、ある意味では満足し…その先を考えようなどと言う気には成らないであろう。…当然だ。結果を決めつけるのを保留する事、判断を先延ばしにする事は、安定を好む者にとっては当たり前の発想なのだから…。
つまるところ、生きる為の最善策を模索する九百九十九人の選に漏れた誰かさんと言うのは、生きる為の気力をまったく別のところに注ぎ込んでいる一人だけ…そう、今の青年の様な人物だけなのであろう。 そしてその青年が、ここまで…何とかして右手を石舞台の表面から引き離そうとしているのを見れば、彼があの一粒の怪異に死ぬよりも恐ろしい何かを連想している事は、容易に窺い知れるのだ。
そんな風に青年が己の手際の悪さと格闘している最中、無情にも、彼が怖れた怪異は動き出し始める。…ちなみに、これは比喩では無い。
虫が這いずるのに似た動きで、童女の血の一粒は石舞台の表面を移動し始めたのだ。それも、一直線に青年へと向って…。
どうしても離れない右手の指先に、掌を石舞台に付けたり、離したりしていた青年も…いよいよ加速しだした怪異に気付いて…しかしながら成す術もなく、喉から漏れる息を噛み切った。
そうして遂に、平伏して血の進撃をしのごうという彼の右手を、童女の一粒が乗り越えて行く。
杯ノ百六十八を読んでやって下さり、ありがとうございました(^v^)
『好きこそものの上手なれ』というは、皆様にも耳慣れた格言でしょう。
しかし、梟小路は以前に、これとは反対の意見の書かれた本を読んだ事があります。
つまりは、『好きな事をやるのは楽しいばかりで、楽しいのだから、その状態をどうこうしようという気にはならない。その為、好きな事を仕事にしている人には、一流が少ない。逆に、大して面白くも無い事を続けなければならない場合には、少しでも簡略化しよう、少しでも早く終わらせられる様にしようと、能率を上げる工夫をする事に成る。それだから案外と、嫌々で作業をやり続けている人には、一流は少なくない。』っと、そういう事らしいですね。
んで、この意見を思い出した梟小路は…ふと、思いました。
(自分の小説の技量に関しては…脇に置くとして…。そう言えば自分は、小説の執筆を効率化させる事に対して、場合によっては執筆そのものよりも熱心だったりするけど…もしかして梟小路は、自分で思う程には、文章を書くのが好きではないのでは…。)
まぁ、自分の性分を思えば、嫌いならやってはないと思うのですがね。これって結構、由々しき問題なのでは…うーむ(^v^)以上、暇人の入浴中に考えている事でした。お粗末さまですm(__)m
それでは、また、次回の梟小路の綴る文章でお会いいたしましょう。