杯ノ千三十五
目の前にある『仕切り』の存在が、子供っぽく、勿体ぶらせたのだろう。静馬は細長い吐息を漏らして、語り始める。
「話した通り、逆上がりの一つも出来ないと、子供ながらに…いいや、子供だからこそ、恥をかく羽目になる。それが解っているから、腕に覚えのない奴は自主的に練習する訳だ。大抵は、親の…父親の手を借りてな…。」
「静馬…ちょっと、待ちなさい。」
こういう類の話に、月紫が待ったを掛けるのも珍しい。余程、聞き捨てならないニュアンスが、彼の言葉の端っこにあったか…。
静馬にもそんな彼女の意図は読み切れぬまま、しかしながら、緩んだ笑みを浮かべて、
「あんたを責めようなんて気はないさ。俺と親父の間に、スキンシップが足りていなかった事は…『鉄棒』にぶつかる前から、解っていた話だ。ただそれでも…。」
「…そうじゃなくて、さっきの…『腕に覚えのない』ってその、物言いよ。静馬、もしかして…妙だとは思っていたのよ。どうしていきなり、『鉄棒』なんて…どこからそんな思い出が引っ張りだされたのかって…。」
「あっ、気付かれたか。」
やはり、不穏なニュアンスは読み取られて様だ。まぁ、静馬の、そして、著者の予想とは、少し違ったが…。
ヘラヘラと笑う彼の喉笛に、冷たくて、細い鉄棒…もとい、二の腕を押し付ける、月紫。
「もしかして…私のこの腕を、鉄棒なんかに見立ててくれていたのかしら。ううん、『もしかして』じゃなく、絶対、そうようね。」
問い詰める紫色の瞳に、静馬は笑顔のままで、ペロリッ。舌を覗かせて、おどけて見せる。
「ガキの頃の思い出に、見事、割り込まれてしまったな。」
「それで…そんな言い草で、私が喜ぶとでも…。」




