その8
アン・トレールは、ソアックをかばおうと剣撃の前に身を投げ出した。
剣撃を受け、鮮血が飛び散る。
鮮やかな緑色をした血が。
ロウの剣は、アン・トレールを切り裂いてはいなかった。
竜と化したソアックが、右腕を彼女の前に差し出していた。
腕を切り落とされるところまではいかなかったが、刃が腕の半ばまで埋まってしまっている。
神経を断っていることは確実、そう思えるほどの裂傷であった。
目の前にで噴き出している鮮血、半ばまで断ち割られたソアックの腕。
それらを目にしたアン・トレールの眼は、驚愕に見開かれる。
「姫様……お下がり下さい……!」
竜に姿を変えたソアックが言う。
しかし翼と片方の手のひらを切り落とされ、もう片方の腕からもおびただしい出血をしていた。
すでにまともに戦えるとは思えないほどひどい姿だった。
それでもソアックはロウを睨みつけて立ち上がり、轟々とした咆哮をあげた。
アン・トレールは腰が抜けてしまったのか、それとも傷ついたソアックの姿に衝撃を受けてしまったのか、
歩くことはおろか立ち上がることも出来ない様子であった。
そんなアン・トレールを痛む右手で抱え、そっと部屋の隅へ下ろす。
ロウはその隙に斬りかかるそぶりを見せたが、
(万が一にも王女様を傷つけるわけにはいかん)
と思ったのであろうか、構えた剣を一度下ろした。
そして、さらに龍殺しの液体を剣に振りかける。
ソアックの目は血走っていた。
それが、痛みによるものなのか、怒りによるものなのかは解らない。
その血走った目でロウを一睨みし、その後にアン・トレールに向き直り、言う。
「姫。このような賊、このソアックが直ぐに打ち倒してみせます。
どうかお下がりを」
アン・トレールは手だけで後ろへと這い下がる。
ソアックはロウの方へ向き直り、その血走った目を向ける。
よほど龍殺しの液体が応えたのだろうか、その声には喘鳴が混ざっていた。
「貴様は要らぬ! 姫も、誰も、この世で誰も貴様を必要となどしておらぬ!
せめてここで死んで、消えてしまうがいい!」
「何をバカな。王女様の帰りを待っている人がいないとでも?
王女様の帰りを待っている人がいる限り、俺は必要なのだ!!」
「待っている者などおらぬ! 私は人に姿を変え、貴様の王国を何度も訪れた!
ほんとうに姫様が必要とされているのならば、姫様を帰しても良いと思ってもいた!
しかし! 新たな王子が、王女が産まれ、もはや姫様の居場所など無い!
今さら帰った所で厄介者よ! 下手をすれば命を狙われる危険まである!
そんな所に姫様を帰せるか! 姫様が幸せであるためには、ここにいるのが一番なのだ!!」
「詭弁を! 元はと言えば貴様が王女様を拐かしたのが原因ではないか!
それを棚にあげて、“ここにいるのが一番”だと!? バカを言うな!
あるべき人があるべき所に戻ることの、何が悪いと言うのだ!」
「姫様自身が、ここにいる事を望まれたのだ!!」
ロウが。
アン・トレールが。
その言葉にびくりと怯んだ。
「何度となく姫様を返そうと思った!
しかし、姫様は我等になくてはならない存在となっていた!
そこで、私は考えたのだ。姫様自身に決めてもらおうと!
姫様が15になられた時、私は聞いた。帰りたいかどうかを。
そこで姫様は言われた。『私は、ここにいたい』と! それが全てだ!」
ロウの表情が憤怒に歪む。
「違う。貴様は、姫様に“そう言わせた”んだ!
15年もこんな場所で、両親の優しさも知らず、異形共に囲まれた、歪んだ生活!
おまけに貴様たちは王女様に術をかけ、理性を失わせている!」
そんなことはしていない、とソアックが言うがロウは意に介さない。
「歪ませた言葉を、ほんとうの言葉だと思い込んでいる愚かな竜め!
王女様を返してもらうぞ!」
ロウは剣を上段に構え、間合いを詰める。
防御を捨て、攻撃に全てを賭ける意思表示とも言える上段構え。
ロウの気迫を伝えるのに十分な構えであった。
対するソアックは不規則な呼吸を整えながら、ロウから視線を外さない。
竜と人。常識的に考えれば圧倒的に竜が有利であろう。
しかし、ソアックは四本の翼を全て切り落とされ、左手のひらから先が無く、右腕も半ばまで断ち割られている。
しかも龍殺しの液体により耐え難いような苦痛がソアックを襲っていた。
対するロウは軽傷。しかも十八年間、竜を殺すことだけを考えて来た男である。
どちらが有利なのかは全くわからなくなっていた。




