その7
声が響いた。
その声は、ロウの剣を阻むのに十分な声であった。
思わず、振り下ろそうとした手を止めるロウ。
怪訝な表情を浮かべ、声の主を見る。
「もうやめて下さい……お願いです……ソアックが死んでしまいます!」
ロウはソアックに視線を戻し、言った。
「王女様……お下がり下さい、ここは危険です!!」
ソアックは呻きながら変身を続けている。
その背中からは四本の翼が生えようとしていた。
肉が蠢き、骨が皮膚を突き破る。
その骨をなぞるように、翼膜が形成されていく。
「いえ、このアン・トレール、ソアックが傷付くのを黙って見ているわけにはまいりません」
(今の王女様は、アン・トレールという名前で呼ばれているのか)
ロウは一瞬だけ視線を姫に向けるが、また剣を構え直す。
緊張を解かないようにしながら、声をかける。
「王女様。あなたは騙されているのです。この異形に何を吹きこまれたのは知りませんが、
あなたは、本当は十八年前にさらわれたデバル王国の王女なのです。こんな所にいるべき御方ではございません」
ロウとしては隠された事実を伝えたつもりであった。
しかし予想に反して、姫(ここから彼女をアン・トレールと表記することにする)に、ロウが読み取れるほどの感情の変化は無かった。
むしろ、これからアン・トレールの発する言葉が、ロウの感情を揺さぶることになるのであった。
「知っています」
「わたしが、王国の姫であったことを」
「わたしをさらったのが、ソアックだということも」
「それでも、わたしはここにいたいのです」
「どうか放っておいて下さい、お願いします」
ロウの顔色が変わった。
まず青く、次第に赤く。
ロウの表情が変わった。
まず驚愕し、そして憤怒した。
彼はうつむき、搾り出すような声で言った。
「そうですか……そこまで……」
うつむいているため、アン・トレールからロウの表情はうかがい知れない。
(そうですか、そこまで)
アン・トレールはその言葉を了承と受け取ったのか、顔を上げ、次の言葉を待った。
しかし次の瞬間、今度こそアン・トレールの感情は揺さぶられることになる。
ロウは無言で剣を振り払った。
一度、二度、三度、四度。
刃が閃くたび、ソアックの翼がひとつずつ切り飛ばされて行く。
アン・トレールは、目の前のことが信じられないといったような表情を浮かべた。
「おいたわしや、王女様。そういうふうに育てられてしまったのですね。
隔離された環境で異形と暮らし……まともな判断が出来なくなっているのですか?
いや、異形の中には催眠術を用いた洗脳を得意とする者もいると聞く……。
そうだとしたら……一刻も早く術士を探し出し、倒さなくては!!」
必殺の一撃をソアックに向けて放つ。
ソアックも必死にかわそうとするが、首元を狙ったその一撃は、正確に体幹を捉えていた。
(仕留めた!!)
ロウはそう思い、剣を振り切った。
しかしその剣が切り落としたのは、ソアックの首ではなく手先であった。
ソアックは、致命の一撃だけは避けようと、硬質化した左手でロウの一撃を振り払ったのだった。
首に斬撃を受けることだけは免れたものの、ソアックの手のひらは半ばから切断され、
血飛沫を上げていた。
龍殺しの液体を振りかけた剣で斬りつけたため、その傷口からは毒が廻る。
竜としての雄叫びなのか、耐えがたい痛みへの叫びなのか、どちらなのかわからないような凄まじい咆哮があがる。
ロウは剣を構え直そうとする。が、痛みが走った。右肩の異変に気付く。
切り飛ばしたソアックの左手先は、ロウの肩口に突き刺さっていた。
竜の鎧すら切り裂くその爪は、肩当てを貫通し、その神経を傷つけていた。
左手で突き刺さったそれを引き抜き、投げ捨てる。
「変身し切る前に、貴様を倒す!!」
ソアックの体表を、徐々に鱗が覆いつつあった。
口は裂け、骨格が人のものから竜のそれに変わっていく。
それを見ながら、ロウは上段に振りかぶった剣を斬り下ろす。
痛みに呻くソアックがそれをかわすことは不可能に見えた……が、次の瞬間、影が奔る。
「それ以上は……だめ!!」




