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その1

昔、平和な王国があった、

外敵にさらされることもなく、内政が乱れることもなく、

国民一人一人が幸せに暮らしていた。


しかし、十八年前のことである。

赤ん坊が、産まれたその日にさらわれるという事件が起こった。

その赤ん坊とは、王と王妃の間に産まれた子供……

つまり王女である。


その場にいた乳母の証言によると、さらっていったのは

一筋の光も反射しないほどに黒い鱗と四枚の翼を持ち、人語を話す竜であったと言う。

その竜は、天蓋付きの揺りかごごと王女をくわえていってしまったとのことだ。


それ以来、王女の行方は杳として知れなかった。

竜が王国を襲うこともなく、事件は民衆の中で風化したかのようにも見えた。


しかし、王女の行方を必死に追い続けた戦士がいた。

(名前は残されていないが、ここでは彼を『ロウ』と呼ぶことにする)

王女の誕生日には必ず王と王妃のもとに拝謁し、

王女を探し出せていないことを報告していた。


王と王妃、二人の間には二人の子供が産まれていた。

王子と王女、二人ともすくすくと育ち、愛情を一心に受けて育った。

さらわれた王女を哀れに思ってはいるのであろうが、いま、王と王妃の愛情は

二人の子供にのみ注がれていた。

産まれてすぐさらわれてしまった王女のことは、もう諦めているようなふしまである。


それを感じ取っていたロウは、

(あわれな。かならず、私が本当の王女様を探しだしてみせる!!)

との思いにかられていた。

いや、むしろその思いのみが彼を動かしていた。


ロウはみなし子であった。


物心付く前に両親はいなくなってしまった。

孤児院の院長によると、ある日の朝、名前を書いた札と共に、産着に包まれた赤ん坊が孤児院の前に捨てられていたという。


そういう出自を聞かされれば、やさぐれてしまう者も多い。

犯罪に手を染める者も多いだろう。

しかしそれをさせなかったのは、彼が孤児院で身に付けた剣術であったように思う。

子供時代、他に興味を示さなかった彼が唯一興味を示したのが、剣術だった。

すぐに師を圧倒するまでに腕を上げた彼の修行相手は、自然そのものであった。

自然と、自分と、ただ真っ直ぐにたたかっているうちに心の澱がとれたのだろうか……

彼は、珍しいほど清廉な青年へと成長した。


その腕前を認められ、城の警備兵として取り立てられたのが十八年前のことである。

数年後……事件は起こった。


当時は城の警備兵の半数が交代制で探索にあたっていたが、

年月が経つに連れ、探索に当てられる兵士の数は減っていき……

今では、数人がその任務についているだけである。

それも、体力の落ちた老兵ばかり。

探索とは名ばかりの、老兵をねぎらう長期休暇のようなものである。


しかし、彼だけは違っていた。

自ら探索に志願し、日々の探索を事細かく記して報告する。

それをずっと、十七年間ずっと続けていた。

警備兵の中でも口の悪いものは、

(あいつは、王女の亡霊に憑かれているのさ)

と、陰口をたたいたりしていた。

(もう、後に引けないのだろう)

という意見もあった。


しかし、彼は亡霊に憑かれていたわけでも、意地を張っていたわけでもない。

ただ単に、

(王女様をお救いし、受けられるべき愛情を受けられるようにして差し上げたい!!)

と考えていただけなのである。


なぜ、彼がここまで熱心なのか。

それは彼の感じた寂しさからであるように思う。


警備兵は兵士といえども、庶民がなろうとしてなれるものではない。

それ相応の学校を卒業し、それ相応の家柄がないととてもなるものではないのだ。

しかし彼は警備兵になれた。それはひとえに卓越した剣術の腕と、清廉極まりない人柄のおかげである。


こうなると、出自の差で陰湿ないじめなどがありそうなものだが、彼はそういったものとは無縁の生活を送ることが出来た。

誰も彼に勝てなかったからである。また、彼は自分の打ちのめしたものを労ることを忘れなかった。

その結果、いじめられるどころか信頼され、ゆくゆくは警備長か、と噂されるまでになった。

(探索に出てからの彼を悪く言うのは、彼を知らない若い兵士だけである。そういった噂を耳にすると、年かさの兵士は若者を諌めた)


こう書くと順風満帆に見えるが、彼にも嫌なことがあった。

帰省である。

年に数度は帰省休暇を貰えるのであるが、彼には帰る故郷など無かった。

いや、正確に言えば孤児院へ帰ることは出来た。実際、彼は帰省休暇の時期になると、孤児院へ戻り、

いくばくかの寄付や寄贈を行なっていた。


(孤児院へ帰るのは楽しい。しかし、同僚は皆両親や家族の元へ帰る。私くらいだ……親無しなのは)


そう彼は感じていた。

家柄が良くないと警備兵になれないということは、皆、帰る家(それも立派な)があるということだ。

帰省前や帰省後には、実家の楽しそうな話や、郷土料理などを肴に、話に花を咲かせる。


彼は、それがとても嫌いだった。

両親に愛されなかったことがコンプレックスだったのである。


孤児院の院長は親と変わらぬ愛情を与えてくれた。

しかし、彼はいつしか

「捨てられた」

ことに、たまらなくトラウマを感じるようになってしまっていた。


今まさに王女は、精神的に捨てられようとしている。

いや、もう既に王と王妃の中では無かったことになっているのかもしれない。

それを思うと、彼の心はさざめいた。

捨てられた自分と、無かったことにされそうな王女を重ねているのだろうか……

王女を救い出すことが、自分のコンプレックスを解消することになるかもしれない、と

無意識に考えているのかもしれない。


(王女様をお救いし、王様と王妃様に合わせれば、きっと愛情もお戻りになられるであろう)


そう彼は考えていた。まるで、


(自分も両親に合うことが出来れば、愛してもらえるのではないか……いや、愛してもらえるに決まっている)


とでも言いたいかのように。


そして、彼は探索を続けた。

若かった彼の肉体は陽に灼け、赤銅のような色を湛えるようになった。

指は節くれ立ち、足は歩き通しの旅にも耐えられるように硬く引き締まった。

黒ぐろとした髪は風に梳かされ、古代の戦士たちのような雰囲気まで纏っている。

もはや猛獣でさえも彼を倒すことは出来ないだろう。

兵士というよりは勇者という言葉こそふさわしいような男が、そこには居た。


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