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ふたつの願い

作者: 水聖


☆プロローグ 2011 冬


紅葉って、あっという間に終わってしまうんだよな・・・。

11月の終わり、ついこの間まで、美しい紅葉に彩られていたケヤキ並木はもうすっかり葉を落とし、カラカラに乾いて茶色く変色した落ち葉が北風に巻き上げられている。

もう冬なんだ、道理で寒いはずだ。


商店街に入るとこの時期のお約束ともいうべきBGM「ジングル・ベル」が鳴り響いていた。

いつも通りの風景。ふだんだったら何とも思わないことだ。

けれど・・・。

今のオレにはこの浮かれきった街の喧騒がこの上もなくウザったらしく、吐きそうになるくらい不愉快だった。


足早に商店街を抜け、アパートへと向かう。

くそ、寒いな。早く帰ってストーブ点けて、あ、いや・・・。

灯油、切れているんだっけ。でも、これから節約していかないと厳しいし我慢するか。

畜生、体も心も寒すぎる。


こんな世の中、全部潰れてしまえばいいのにな。

このオレも含めて、なんの価値もありゃしない。


思わずそんな自嘲気味のつぶやきが出てしまう。


この日、オレは仕事と恋人を一度に失った。


ホントにさ、


こんな世の中、全部潰れてしまえばいいのにな・・・。



☆登校日 2011年 8月25日 朝


夏休みもあと一週間となったこの日の朝、あたし、朝倉楓あさくら かえでは幼なじみの棚橋賢吾たなはし けんごと公園の中を歩いていた。

とはいっても断じてデートとかそんなもんではなく、単に学校に行くために普通に通学路を通るよりもずっと近道だからだ。

なんで夏休みなのに学校に向っているかっていうと。


「うう、このクソ暑いのに登校日ってダルいな」


賢吾が面倒くさそうに欠伸をしながら言った。


「だよね、しかも夏休み終わるまでまだ一週間あるのに今日宿題提出しろとかほんとイミわかんない」

「でもって、必死こいて宿題片付けて、あと一週間、心置きなく遊べるかっつうと、全然そんなことなくてさ、二学期始まったらすぐに実力テストだろ。切ねえよなあ、中学生って」


あたしと賢吾は同い年の中学2年生。

まだどっぷりコドモの小学生、ほとんどオトナの高校生。そのちょうどど真ん中、コドモでもなくオトナでもない、一番中途半端な時期だ。


でも。

あたしが思うに、てか多分一般論でもそうだと思うけど、この時期の男子と女子を比べると、明らかに男子のほうがコドモっぽい。

賢吾だってそうだ、この前なんか学校の帰り、熱心にこの公園の池を覗き込んでいるから何事かと思ったら、いきなり「スルメないか?」とか聞かれてドン引きした。「な、なんでスルメ?」って聞き返したら「いやザリガニがいたからさ」・・・って、いいトシしてザリガニ釣りがしたかったのかよ、アンタは幼稚園児か!!当然ガン無視してやった。


はあー、同じクラスの女子の中には高校生と付き合っていて、キスの経験もある子もいるっていうのに。

あ、いや、別に賢吾とキスしたいとか、そんなふうに思ってるわけじゃないけどさ。それはまだあたし的にはちょっと早いと思うし、でも賢吾がしたいならいいかな、とか。やだ、あたしったらナニ考えてるの?!


「なあ、楓」

「な、なに、賢吾」


賢吾があたしのほうをじっと見つめている。え、なにこの展開。ひょっとして・・・。


「何か聞こえないか?あっちのほうで」


賢吾はそう言って、遊歩道のそばにある木立の奥を指さした。

うっ、期待したあたしがバカだった。やっぱこいつはまだコドモだ。どうせまた虫とかカエルとか変なもの見つけるんだろう。あたしはもうオトナに近い中学生だ、コドモの遊びに付き合ってられるかい!と思ったんだけど。


「・・・けて。お願い、助けてください」


賢吾が指さしたあたりから、はっきりとした声が聞こえてきて、あたしは腰が抜けそうになった。え、い、今の声なんなの。それに「助けて」って、この平和な町で、まさか犯罪?!


「様子見にいこうぜ」

「や、やめようよ、賢吾。危ないよ」

「大丈夫だって、ちょっと覗くだけだから」


もう、オトコってどうしてこう無謀なの?!で、でも賢吾に何かあったらと思うと放ってもおけなくて、あたしはおそるおそる賢吾の後ろから木立の奥へと入っていった。

そこであたしたちが見たものは。

まさに「ありえないもの」だった。



☆転落の始まり、10年前


人生なんてもんは一度躓くと、急坂を転がり落ちるように、どんどん悪いほうへと進んでいってしまう。


オレ、水城謙悟みずき けんごの転落の始まりは中二の秋だった。

それまで、可もなく不可もなく、ごく普通の生徒だったオレがいきなりいじめのターゲットにされた。

いじめが始まったきっかけが何だったかは覚えていない。

いや、きっかけなんて何でもよかったんだ。


思春期ってやつはなかなか厄介なシロモンだ。

心も体も中途半端で不安定。その上周りの評価もくるくる変わる。「もう子供じゃないんだから」と言われた直後に「まだ子供のくせに」と言われたりする、どっちなんだよ、一体。

アンディティが保てない、不安と苛立ち。それはいつもマグマのように裡に溜まり、ほんのわずかなきっかけで吹き出してしまう。

そう、そこには捌け口というものが必要だ。

そこにたまたま通りかかった、たとえばたったそれだけのことに過ぎなくても「なんとなくムカついた」ということになり、陰湿ないじめが開始される。

所謂「スケープゴート」ってやつだ。


たったひとり、そいつさえ犠牲になれば、自分がいじめられることはない。

誰だって一番可愛いのは自分だ、だから、自分を守るために、皆必死になってターゲットを攻撃し始める。

そいつが壊れて、不登校になるか、最悪自殺するか。そこまでやめようとはしない。

そういうものだ。

今のオレにはそれがわかる、わかったからってどうってことないが。

でも、当時14になったばかりのオレにそんなことがわかるはずもなかった。


上履きを隠され、体操着を破かれ、教科書に落書きをされる。

机にはバターが塗られ、ノートには墨汁をぶちまけられ、トイレに閉じ込められる。

だけど、殴る蹴るの暴行を受けたり、金を取られたりすることはなかった。そのあたり、いじめる側もよくわかっていて、そこまでやってしまうと「暴行」や「恐喝」という犯罪になってしまい、言い訳ができなくなる。それに、標的には出来るだけ長く耐えてもらう必要がある。そいつが耐えられなくなっていなくなってしまったら、次の標的は自分かもしれない、その恐怖から逃れるためにギリギリの状態でターゲットを生かしておく。

表沙汰になっても「ごめんなさい、ふざけてただけで悪気はなかったんです」そう言えば、ちょっと説教されるだけで済んでしまう。教師だって表沙汰にはしたくないことだから「これからは気をつけろ」程度で、見て見ぬ振りを決め込む。

ほんと、ゴミみたいなところだ、学校なんて。


オレはそんな状態を2ヶ月ほど耐えた。

でも、それが限界だった。


冬休みが開け、始業式の日。オレの机には赤のマジックで大きく「死ね!」と書かれていた。もう、それを消す気力は残っていなかった。

呆然とするオレをニヤニヤと眺めているクラスメイトに背を向け、オレは教室を出た。

そしてそれきり二度とそこに戻らなかった。

死ぬことはなかったけれど、学校には行けなくなった。

そんなオレを親父は「甘ったれるな!」と叱責し、お袋は「世間体が悪い」と言って泣いた。

学校も家族も誰もオレを守ってくれなかった。



☆きっかけ 2011年8月25日 朝


「なんだよ、あれ・・・」


賢吾が指さした方向、その先には、大きなクモの巣があった。いや、べつにクモの巣自体は別に珍しくもなんともないんだけど。

ありえないのは、それに引っかかってもがいているものだった。


ええと、パッと見はでっかいクモの巣に大きめの緑色のトンボが引っかかっているって感じなんだけど。よーく見るとそれはトンボじゃなくて、人間そっくりの体にトンボのような感じの透明な羽が生えている、そんな感じのモノだった。


「虫、かな。しっかし、マジキモいな」


そう言ったのは賢吾だ。「キモい」はあんまりな台詞だけど、あたしにも賢吾の気持ちはわかった。

うーん、その。

人間の体に羽が生えているといえば、ピーターパンに出てくる妖精のティンカーベルとかの西洋人の可愛い女の子を想像するんだけど、これは。

そのあたりにいる日本人の小5くらいの男子が緑色の全身タイツ履いて背中に羽つけてます、って感じのシロモノだった。

お世辞にも可愛いとは言えない、てか、確かにキモい。

ほんと、なんなの、これ。


「お、お願いです、助けてください。お礼はします」


あたしたちが見ている間にも、大きなクモはじりじりと「それ」に向って近づいてきていた。「それ」は真っ青な顔でガタガタ震えている。さ、さすがにちょっと可哀想かな。


「どーする、楓」

「どーするっ、て」


確かに可哀想な気もするけど、こんな不気味なものと関わり合いになるのもどうなんだろう、と思わないでもないし。


「食物連鎖は自然の摂理だしなあ。クモにだって生きる権利はあるわな。引っかかってしまったのはこいつの自己責任だし、放っとくか」

「そ、そんなぁー」


賢吾の冷たい言葉に「それ」は情けない声をあげた。


「賢吾、助けてあげてよ」


ちょっとだけ考えてから、あたしはそう言った。


「えー、なんで?」

「だって、なんか後味悪いじゃん。変に人間に似てるからこれが食われるとこ想像したら、すごいスプラッタで、トラウマになりそう」

「変な想像するなよ、オレまでヤな気分になってきた。しょーがないな、ま、楓がそう言うなら」


賢吾はいかにも渋々と、という感じでクモの巣に近づき、「それ」を外した。クモさん、ごめんね。


「どうもありがとうございます。おかげで助かりました」


「それ」は賢吾に体を掴まれたまま、あたしに向って礼を言った。間近で見ると、思った以上に「可愛い」とは程遠い。目が小さくて、鼻が平べったくて、口がでかくて下膨れのおたふく顔。ごめん、容姿で差別してはいけないことは重々わかっているつもりなんだけど、やっぱキモいわ。賢吾の気持ちがよくわかる。


「なーんで楓にばっか礼言うんだよ、助けたのはオレだぞ」

「あなたはボクを見殺しにしようとしたじゃないですか、なんでお礼なんか言う必要があるんですか」


「それ」は怒ったように言った。げ、見かけだけじゃなくて性格も悪い、やっぱ助けなくてもよかったかな。


「ちょっと、キミ、それはないんじゃない。確かに頼んだのはあたしだけど、助けたのは賢吾だよ。ちゃんと賢吾にお礼言いなさい」

「まあ、あなたがそう言うなら」


「それ」は渋々賢吾のほうを向くと


「ありがとうございました」


と、いかにも気のなさそうな感じの声で言った。


うう、朝から気分悪!ただでさえ登校日で憂鬱なのに。

って、やばい!!


「賢吾、こんなのほっといて早く学校行かないと、遅刻しちゃう!」

「げ、ほんとだ!行くぞ楓。学校までダッシュだ!」


賢吾はあわてて「それ」を離すとあたしの手を引っ張った。

え、これって「手つなぎ」ってやつ?

まあでも賢吾のことだから深い意味はないんだろうなあ。


「ちょっと待ってくださいよぉー、まだお礼が!」


「それ」が後ろで叫んでいるのが聞こえたけど、あたしにとっては「キモい妖精もどき」なんかより、遅刻するかどうかのほうがずっと重要だ。

それに、賢吾と手をつなげたことで頭も胸もいっぱいで。

全然そいつの言うことなんて聞いてなかった。



まさか、この事件がのちに地球全体を揺るがす大騒動のきっかけになるなんて。

このとき、あたしも賢吾も全然想像していなかった。



☆微かな光 9年前


中学2年の3学期から、オレは不登校児になったわけだけど、所謂「引きこもり」は長く続かなかった。

あの学校に行くのはもう耐えられなかったが、家もまたオレにとって決して居心地のよい場所ではなかった。

両親と二つ上の兄。家族がオレを見る眼差しは「不気味なもの」「見たくないもの」を恐れと嫌悪を持ってこわごわと眺めている、そんな感じだった。

自分たちのまわりになぜこんな異質なモノが入り込んでいるんだ、その目は無言でオレにそう訴えていた。


学校にも家にもオレの居場所などない、けれど14のガキが家出したところで、生きていくことは出来ない。いっそオレなんか死んだほうが世の中のためなのかもしれない。

幾度となくそう思った。自分というものにこれっぽっちも価値なんか感じられなかったし、実際、自殺も考えた。

でも、出来なかった。


なんでかって?だってあまりにも理不尽じゃないか。

オレが一体何をした?何もしちゃいない。なのにこんなに追い詰められて死を考えるようになっている。


もし、オレが死んだら。


オレを虐めたクラスの奴らは嘲笑し、両親と兄は気味の悪い異物を排除できて安堵するだろう。なんでオレが自分の命を賭けてまであいつらを喜ばせてやらなくちゃならないんだ。

オレはいいよ、死んだって。

こんな奴、生きていたって仕方ないもんな。

でも、オマエたちを喜ばせるために死ぬなんてまっぴらだ。

死ぬのなら、みんな巻き添えにしてやるよ。でも、それが出来ないのなら、生きてやる。それがオレにできる精一杯の復讐だから。

不登校になってから数ヶ月、オレはひたすらそう思いながら生きてきた。

その間、何度か担任やら校長やらが家に来て、親と何やら熱心に相談していた。

オレはそこに同席しなかったから親と教師がどんな会話をしていたのかは知らない。

そして、ある日。オレは親父に居間に呼び出された。

何事かと身構えるオレに親父はひとつの案を提示した。


オレは中学には戻らず、全寮制のフリースクールに転校する。だが、中学に籍は残しておく。そしてフリースクールの出席の実績を在籍する中学の出席に振り替える。

苦肉の策だが、これでなんとか中学を卒業できるし、家族もオレという存在を「なかったこと」にできる。

オレはその案を受け入れ、フリースクールに転校した。

格別居心地のよいところではなかったが、みな不登校児ばかりで大概無気力だったから、いじめる奴もいなかった。

周りはみな空気。いることはわかっているが、干渉などしてこない。

だから楽ではあった。楽しくはなかったけれど。


次の年の3月半ば、在籍していた中学から、卒業証書とアルバムが届いた。アルバムにはオレも載っていると校長の添え書きがあったが、それを開く気には到底なれなかった。

オレは卒業証書とアルバム、教科書の類をまとめて家に送った。家に戻るつもりはなかったから、アパートを借りたいと教師に申し出た。15なので自分名義では無理だったが両親が保証人になって契約は成立し、ボストンバックひとつだけを下げて、オレは寮から今住んでいる1DKに移り住んだ。


高校は単位制学校にした。単位を取っていれば、通学を強要されない。そのことが何よりありがたかった。そう、オレはようやく自由を手にした。

闇の時代を抜けて、ようやく光が差し始めた。そんな気がしていた。



☆切なる願い  2011年 8月25日 昼


その日のお昼ごろ、あたしと賢吾は下校途中にまた昼間の公園にさしかかっていた。


この公園は物心つく前から遊びに来ていた、あたしと賢吾にとって思い出のいっぱい詰まった場所だ。どのくらい前からかというと、賢吾とあたしのいわゆる「公園デビュー」の日からだ。当然、あたしも賢吾も全く覚えていない。

あたしのお母さんと賢吾のお母さんが初めて赤ん坊のあたしたちを抱いて公園にやってきた日。それがたまたま同じだったらしい。

あたしには2つ上にお兄ちゃんがいるけど、ちょうどあたしが生まれる少し前に、社宅になっていたアパートから今の家に引越したから、近所に誰も知り合いがいなかった。賢吾のお母さんは賢吾が初めての子供だった。

そんなこんなで、公園に来てはみたものの楽しそうに話している他のお母さんたちの輪に入って行けず、お互い途方に暮れてため息をついたとき、目が合ったんだそうだ。

お母さんたちはあっという間に仲良くなり、あたしと賢吾はそれ以来の付き合いだ。つまり「幼なじみ」ってやつ。


近くにいすぎるから、なかなかいいムードにならない。いや、賢吾があたしに関心ないだけかもしれないな。

うちには結構よく遊びにくるけど、それはお兄ちゃんとカードゲームするのが目当てなんだし。

このままあたしは「幼なじみ」のまんまで、そのうち賢吾に彼女が出来たりするのかな。うう、なんか切ない。だったら賢吾はガキのままでいてくれたほうがいいな。


なんてことを思いながら歩いていたとき、


「やっと見つけたー。楓さん、待ってたんですよ」


いきなり耳元で声がした。え、だ、だれ?!


「置いていっちゃうなんてひどいじゃないですか。お礼するって言ったでしょ」


あたしの目の前に飛んできて、そう言ったのは、今朝の「キモい妖精もどき」だった。


うわー、完全に忘れてたよ。担任に「今度の実力テストは第1回の志望校判定の基準になるからしっかり勉強しろ」とか、さんざん発破かけられて、今朝の事件のことなんか頭の中から飛んでたし。それにはっきり言ってキモチワルイから、もう出てこないでほしいってのが本音だったりする。


「いや、お礼とかいいよ。助かってよかったね」


一応、そう言ってにこっと笑っておいた。うん、マジでお礼とかいいから早く消えてね。


「ああ、なんて優しいひとなんだ。ダメです。お礼をしなければボクは主人のところに帰れません」


知らんがなそんなこと。あーやっぱり賢吾の言う通り放っておいたほうがよかったかも。


「あのさあ、さっきから思い切り無視してくれてるけど、オマエを助けたのオレだぜ」

「今朝もそう言いましたね。自己主張の激しい人だなあ」

「なっ、オマエなあ。楓とオレで態度違い過ぎ。なんなら今からでも昇天させてやろうか」

「きゃあ、暴力反対!」


「妖精もどき」は慌ててあたしの後ろに隠れた。なんかあらゆる面で気に入らないんだけど。でも。


「やめなよ、賢吾。あたしグロは苦手なの、お礼すれば満足するんだよね、キミ」

「はい!」

「だったら100円ちょうだい」


適当なことを言ったのは一刻も早くこいつに消えてもらいたかったからだ。でも・・・。


「なんですって!失礼な!!」


「妖精もどき」あーメンドーだ。もう「キモピクシー」でいいや。とにかく、そいつはいきなり怒り出した。えー、なんで?


「あなたはボクに、正確にはボクの主人ですが、どれだけの力があるか全然わかってないですね」


わかるわけないっしょ。もう。だから早く消えろって。

あたしはげんなりしたけど、そんなあたしの様子に気づくことなく、そいつは胸を張って言葉を続けた。


「ボクの主人は全能です、どんなことでもできるのですよ。例えば楓さん、あなたを世界の王にすることだってできるのです」

「はあ・・・」


いや、そんな面倒なものになりたくないし。それになんでそんなにドヤ顔なの?あんたの主人がどれだけエライかしらないけど、あんた自身はクモの巣に引っかかっても自力で逃げられないくらい情けない存在でしょ。そういうの「虎の威を借る狐」って言うんだよ。いやいや、そんなこと言ったら狐さんに申し訳ないよね。


「とにかく、そんな願いは受け入れられません、そんな願いではエナジーが・・・」

「えなじい?」

「いえ、こっちの話です」


うう、やっかいなことになっちゃたなあ。あたしは思わず隣の賢吾の顔を見た。

賢吾は難しい顔をして考え込んでいる。ホント、変なことに巻き込んでゴメンね。


「楓の願いのほかにオレの願いも叶えてくれるのか?不本意ながらオマエを助けたってことならオレも同等だろ」


キモピクシーは「ふふん」と鼻を鳴らした。もう、つくづく気に食わない奴。


「残念ですが、一回の善行につき、願いごとはひとつだけです」

「オレとしちゃ、オマエを助けたことが善行にあたるかどうか、甚だ疑問に思うが」

「じゃあ、あたしじゃなくて賢吾のお願いでもいいんじゃない?あたしはいいから、賢吾の願いを叶えてあげてよ!」


あたしがそう言うと、「妖精もどき」は実にイヤそうな顔をした。こいつ、賢吾に恨みでもあるのかな、態度悪すぎ。


「まあ、たしかにそうですが。そっちのアナタ、何かありますか」

「あくまでもオレの願いは叶えたくないって態度だな。でも、楓は格別叶えてほしい願い事はなさそうだぞ」


賢吾がちらっとあたしを見た。あたしは強く頷く。賢吾を変な事件に巻き込んでしまったのはあたしの責任だし、せめて賢吾のお願いが叶ったらお詫びのしるしになる、かな。

でも「◯組の◯◯さんと両思いになりたい」とかだったら切ないなあ。


「とはいえ、改めて言われてみるとオレも格別ないんだな、これが。200円くれ、じゃダメか?楓と二人で分けるから」


はあ、なんかほっとした。でも、賢吾の発想ってあたしと同じなんだ。ちょっと笑える。


「ダメに決まってるでしょう!もう、あなたたちはどこまでボクをバカにしたら気が済むんです。いいです、すぐには決められないということであれば、これを差し上げます」


キモピクシーがそう言うと同時にあたしの手の上に、5センチ四方くらいのちいさな箱が現れた。


「これ、なに?」

「こう見えて、ボクも結構忙しい身ですので、あなたたちのことばかりにかまけているわけにはいきません。それは、いわば通信装置です。その蓋を開けば、いつでもボクとつながります。願い事はひとつだけですが、相談はいつでも承りますよ。頑張ってできるだけ大きなエナジーが得られる願いを考えてくださいね、楓さん、では」


そう言うとキモピクシーは消えた。

あたしと賢吾は顔を見合わせた。ふたりして真っ昼間から夢を見ていたわけではないだろう。そもそも同じ夢を見るなんてあり得ないし、そして。

何よりあたしの掌に残された箱の存在が、今あったことが決して夢ではないことを知らしめていた。


「最後まで、オレのことは無視だったな、楓さん楓さんって、イヤな奴だ」

「ほんとだよね、でも、これどうしよう」

「試しに開けてみろよ」

「えーっ!」


それはちょっと怖いっていうか、あんまやりたくないなあ、なによりやっとアイツから開放されてほっとしてるのに。


「ちょっと気になることがあるんだよ。それにオレが一緒のときのほうがいいだろ、てか、一人のときに開けるなよ、心配だから」


え、心配してくれるんだ、えへへ、ちょっとうれしい。

賢吾のひとことに気を良くしたあたしは箱の蓋を開けた。すると。


「何ですか、もう決まったんですか」


さっき消えたアイツが現れた。うーん、何度見てもキモいなあ。


「いや、相談はOKって言っただろ、さっき」

「はあ・・・」

「大きなエナジーがどうかとか言ってたけど、どんな願いなら満足なんだ、そもそもエナジーって一体なんだ?」

「そうですねえ」


キモピクシーは勿体ぶって腕組みをしている。なんとなーく意地悪そうな表情で賢吾を見ているのが気に入らない。あ、もしかして、賢吾が男だからイヤなのかな、よし、だったら・・・。


「ねえ、お願い、妖精さん」


あたしは目を潤ませてできるだけ可愛らしい表情をつくり、甘ったるい声でそいつに話しかけてみた。


「なんでしょう楓さん、何でも聞いてください!!」


さっきとは打って変わった嬉しそうな声。そうかあ、やっぱりね。


「あたしもそのことが知りたいって思ってたの。でないとどんなお願いなら妖精さんの気に入るかわからないでしょ」


とどめに上目使い。我ながらキモチワルイけど、背に腹は代えられない。


「楓さんがそこまでおっしゃるならある程度のことはお教えしましょう。エナジーとはその願いに込められた活力と言いますか、切実度です。切実な願いほど大きなエナジーを持つ良質な願いだというわけですね」


ふうん、切実な願いねえ。うーん、そう言われるとますますわかんないなあ。あたしにとって今一番切実な願いは「賢吾と両思いになりたい」ってことなんだけど、そんな願い、叶えてもらったって「賢吾はほんとはあたしのこと好きでもなんでもないのに変な妖精のせいであたしを好きだと思い込んでいるんだ」って事実はずっとついて回るわけで、そんなの賢吾に申し訳ないし、なによりあたしだってすごくヤだ。


「あたしは今のとこ思いつかないなあ、賢吾は?」

「オレも。叶えられる願いなら自分で叶えたいしな」


あ、賢吾なんかカッコいい。惚れ直しそう。


「だったらそうしたらどうですか?」


あんたはカッコよくないけどね、キモピクシー。


「いつまでに決めればいいの?」


あたしがにっこり笑って聞くと、奴は揉み手をしそうなほどの愛想の良さで


「それはもう、楓さんさえよければ、いつまでもお待ちしますよ」


と答えた。なるほど、いいこと聞いた。だったらこのまんまこいつのことは忘れた振りして一生過ごしてもいいってことだ。あたしと賢吾が年をとって死んでしまったら願い事は無効化されるわけだし。


「ああ、ただし」

「ただし?」

「願い事を抱えたままで一生を終わると呪いがかかりますから、そのつもりで」

「の、呪いってなに?」

「いくら楓さんでも、こればかりは申し上げられません」

「こんなに頼んでも?」


あたしはもう一度、上目遣いをして、精一杯可愛らしく言ってみたけど・・・。


「ダ、ダメですよ。そんな可愛い声出したって。ボクにだって立場ってものがあるんですから、じゃあ」


そう言うとキモピクシーは箱の中に入りパタンと蓋を閉じてしまった。


はあー、ほんと面倒なことになっちゃったなあ。今日はあたしの人生で最悪の厄日だ。あたしだけじゃなく賢吾にまでメーワクかけちゃったし。賢吾、怒ってないかな。

そう思って恐る恐る賢吾のほうを見ると、ものすごーく不機嫌な顔の賢吾と目が合ってしまった。やばい、やっぱり怒ってる。


「おい、楓。さっきのあれ、なんだよ」

「あれって?」

「おねがーい、とか。甘ったるい声出してさ、普段と全然違うじゃんか。似合わねえよ、あんなの!」

「に、似合わなくて悪かったわね。エナジーって何なのか、賢吾が知りたがってるのにあいつが意地悪して教えようとしないから、あたしが頑張って情報引き出してあげたのに。もう、賢吾なんか知らない!!」


ああ、もうあたしったら何売り言葉を思い切り買っちゃってんだろ。いくら可愛い声が似合わないって言われたからって。だけど、もう悲しくて情けなくて、涙が出てきてしまいそうだった。


「ちょ、怒るなよ。ごめんって。楓はさ、普段通りのほうがいいって言いたかっただけだし。お礼とお詫びに“スイーツライフ”のアイス奢るから。ラズベリーなんとかってやつ」

「ラズベリーチーズケーキ!ついでにシナモンアップルパイもつけて」


食べ物で懐柔されるなんて、とも思ったけど、こうでも言わないと引っ込みがつかない。


「うー、欲張りなやつ。わーったよ。両方買ってやる。そのかわり、お前のやつ半分食わせろよ」

「えー、どっち?どっちも食べたいのに!」

「オレもどっちも食べたいけど4個買う金はないからどっちも半分ずつな」


え、そ、それってひとつのアイスを二人で食べあうってこと?い、いいのかな。関節ナントカにならないの?


「よし、そうと決まったらアイス屋までダッシュだ!」


そう言うと賢吾はあたしの手をとって走りだした。わ、本日二度目の手つなぎ。

も、もしかして人生最良の日なのかも。


そう、このときあたしの頭の中はつないでいる手とアイス屋さんでのプチデートっぽいイベントのことでもういっぱいになっていて。

キモピクシーの言ったことなんて全然気にしていなかった。


「切なる願い」その言葉の意味の重さなんて、たった14年、たいした苦労もなく生きてきたあたしにはまるでわかっていなかった。わかるはずもなかった。


そしてそれは賢吾だって同じ。

オトナぶってったって、あたしたちはまだ周りに守られてぬくぬくと育てられているヒナ鳥にすぎなかったのだ。



☆悪夢の再来 2011年 初冬


高校時代はオレにとって、なんとか「世間」とか「日常」に復帰するためのいわばリハビリのような期間だった。

一日一日、様子を見ながら学校に行く。1時間で帰ってしまうときもあれば、1日が終わるまでいる日もある。勿論全く行かない日もあった。

だけど少しずつ、学校に行ける日が増えてきて、成績も上がってきた。そうすると周りの評価も上がり、やる気も出てくる。


入学当初は卒業まで何年かかるか、そもそも卒業できるかどうかも危ういと思っていたのだが、気づけば、出席日数は楽々クリアし、成績も上位をキープ出来るようになっていた。まあ、もともと学力レベルの高い学校ではなかったということもあったけれど。

友達も出来た。でもここの高校を選ぶということ自体「訳あり」であることが多いから、一定以上に親しいという友人はいなかったけれど、人間関係に臆病になっていたオレにはかえって気楽だった。


カラオケやボウリングに行ったり、バイトをしたり、世間一般の高校生らしいことも普通に出来るようになり、3年生の秋には、就職も決まった。

大企業とはいかなかったけれど、それなりの規模の運送会社。夏休みのうちに普通免許を取っていたこともあり、「即戦力で働けるね、よろしくお願いするよ」と社長に言われた。生まれて初めて他人に認めてもらえた、そう思えた。


ひとつひとつ、「生きてゆく」ためのスキルが手に入ってくる。それがとても嬉しかった。

そしてその年の冬、バイト先で知り合った3つ年上の女の子と親しくなって、付き合うようになった。


もう大丈夫だ、あの悪夢からは完全に逃れられた。


オレはこれから、自分の力で生きてゆく。そして、出来るだけ早く金を貯めて、彼女、茉奈と幸せな家庭を築きたい。

その目標を達成するため、オレは頑張って働いた。

入社してから数年は業績も順調だったから、その日は遠からず訪れるだろう、そう思っていた、そう、信じていた。


だけど。

現実はそううまくはいかなかった。


遠い国で、とある証券会社が破綻した。オレにとっては、行ったこともない国の全く知らない会社だ、当然、オレに直接の関係はない。

けれど、オレなんかにはどういう仕組みなのか全然わからない事情で日本を含む世界中の株が暴落したらしく、取引先のしかもかなり大口の会社がいくつか倒産してしまった。

当然、うちの会社の仕事は減り、順調だった業績は急激に落ち込んだ。オレの給料もボーナスもカットされたけれど、会社はなんとか持ちこたえた。

ちょっと、いやかなり凹んだけれど、人生にはそういうときもある。あの地獄のようだった中学時代に比べればはるかにマシだ。それに、オレには茉奈がいる。それがオレにとっては何よりの支えとなっていた。

そのうちにきっと、事態は好転する。そうしたら・・・。


けれど、その期待は裏切られた。

今度は別の国の国家財政が破綻した。するとまたどういうカラクリか、急激な円高が起こり、また取引先が減った。前のときはなんとか従業員の雇用は守ってくれた会社も、今度はもう無理だった。

従業員のほぼ半数がいわゆる「リストラ」の対象となった。

そしてオレもそのうちの一人だった。

「なんとか少しでも退職金が出せるうちに辞めてくれ」と言われて、オレは何も言い返すことができなかった。

オレの全くあずかり知らぬところで世界は大きく動き、そのあおりで、オレは職を失う。オレの存在意義って何なんだろうな。何もない、のかな。オレは誰にとっても「要らない」存在なのかもしれない。


いや、そんなことはない。そう、オレには茉奈がいる。せめて茉奈だけは。

茉奈はオレの最後の希望、いわば命綱だった。

オレは命綱に縋ろうとした。そして、茉奈の携帯番号を押した。

だけど電話は繋がらなかった。何度かけても留守電、イヤな予感がよぎる。


もしかしたら・・・。

オレは頭を振った。大丈夫、きっと忙しくて電話に出られないだけだ。

そう自分に言い聞かせてみても不安は拭えなくて。

オレはコンビニの前の公衆電話から、茉奈の携帯にかけてみた。


数回のコールのあと、

“はい、もしもし、どなたですか?”

茉奈の声で応答があった

「茉奈、なんで電話出ないんだ。何か怒ってるのか?」


最近、会社が大変だったから、しばらく連絡をとっていなかった、それを怒っているんだろうか。

受話器からは何も聞こえてこない。けれど、まだ電話は繋がっている。オレは言葉を続けた。

「どうして黙ってるんだ、オレがわからないのか?!」

“わかるよ、謙悟”

ようやく返事があった、けれど、茉奈の次の言葉はオレを打ちのめした。

“ずっと言わなくちゃと思ってた。でも勇気がなくて逃げてた。あのね、謙悟、もう別れよう”


全身の血が引いていくような感じがした。言葉の意味はわかるのに、その意味を理解することをオレの心が拒否していて、“どういう意味だ”という思いだけが胸の内に

渦巻いている。

「どうして・・・?」

搾り出すようにそう言った。他に言葉が見つからなかった。


“親がね、そろそろ婚活しろって。あたし、謙悟より3つ年上でしょ。来年はもう27なの、やっぱり30すぎると価値が下がるから今のうちに相手だけでも見つけておきたいの。だから、身辺整理をしておかないと、ね、わかるでしょ”

わかるわけない、わかりたくなんかない。


「オレじゃダメなのか。オレのこと嫌いになったのかよ!」

“謙悟のことは嫌いじゃないよ。一緒にいて楽しいし。でもね、結婚となると話は別なの。あたし、さしてキャリアがあるわけじゃないし、謙悟の人生まで背負えない。会社、危ないんでしょ”

「知ってたのか」

“ずるいって言われるかもしれないけど、結婚相手にふさわしいかどうかと、心や体の相性がいいかとは別物なの。好きってだけじゃ生きていけないのよ。謙悟はまだ若いからわからないかもしれないけど”


好きってだけじゃ生きていけない。茉奈の言葉が突き刺さった。確かにそうなのかもしれない。オレはその事実を直視するのが怖くてずっと目を逸らしてきたのかもしれない。


“謙悟とのこと、あたしずっと親に反対されてきたの。もっとまともな学校出ている男にしろとか、もっといい会社に勤めてる奴はいなかったのかとか、もう疲れちゃった”


頭の中でいろんな思いがぐるぐると回っていた。オレの出た学校は世間じゃマトモでないと思われているんだな、とか。結局でかい会社に入ったヤツ以外は負け組なんだなとか。

でも、何も言うことが出来ず、オレは押し黙っているしかなかった。


“じゃあね、さよなら謙悟、もう電話してこないで”


電話は切れた。

オレは無音の受話器を握りしめたまま、しばらく動けなかった。


世界のすべてがオレに背を向けた。

もう、オレには何もない。



オレはコンビニを出てふらふらと歩き出した。

何のあてもないけれど。



☆邂逅 2011年 11月25日



小さな石油ストーブに入れる灯油すら買うことをためらわなければならない。

ジングルベルの陽気なメロディを忌々しく思いながら、オレは交差点に差し掛かった。

信号待ちをしていると、隣に中学生のカップルがやってきた。

ガキのくせに生意気な、そう思いながらふと見ると、奴等の制服はオレの出身中学のものだった。胸元にはⅡ-Aのバッジ。中二か、オレはこの時期壮絶なイジメにあっていたってのに、彼女まで作りやがって、ムカつく奴だ。

オレは心の中で、隣の中二男子に毒づいた。


と、

「ねえ、賢吾。今日うち来るんでしょ」

女の方が男に話しかけた。

一瞬、息が止まる。「けんご」どんな字を書くのかはわからないが、オレと同じ名前だ。

男のほうは女の問いに何か答えていたが、オレは聞いていなかった。

同じ名前なのに、なんて境遇の違いだろう。

見ればいかにも女が好みそうな細身だが適度な筋肉のついているイケメンだ。一緒にいる女の子も可愛い。まさに正のオーラに包まれている感じだ。こいつには「イジメ」なんて言葉は一生無縁なんだろう。


信号が変わり、二人は歩き出した。

オレはその姿を見送り、逆方向へと歩き出す。あいつと同じ場所にはいたくなかった。いたたまれなかった。


公園の傍を通りかかったとき、何か声が聞こえた。

普段だったら無視していたと思う、けれど、今日はあまりにいろんなことがありすぎて。毒を食らわば皿まで、という気分になっていた。

その声は公園の茂みの中から聞こえていた。


その声は。


ずっと世界に裏切られ続けてきたオレにチャンスを与えてくれるものだった。



☆危機到来 2011年 11月26日


「こんにちはー、賢吾です!」


11月も終わりに近づいてきた土曜日の昼過ぎ、賢吾がうちに遊びにきた。


「あら、賢吾くんいらっしゃい。期末の勉強?」

「あ、はい。直樹さんにわからないところ教えて貰おうと思って」

「まあ感心ねえ。楓にも見習ってほしいわあ、直樹―!賢吾くんよ」


ふーんだ、何が期末の勉強だ、大嘘つきめ!!


賢吾はこのごろ結構よくうちにやってくる。

賢吾のお母さんはフルタイムで働いていて、小さい頃はよくうちで預かっていたけど、小学生になってからはあまり来ることもなかった。

では、なぜ最近よく来るのか。それはもちろんあたしが目当て、なーんてことは全然なくて、賢吾の目当てはあたしのお兄ちゃんのほうだ。

そう、さっきお母さんが呼んでた「直樹」っていうのがあたしのお兄ちゃん。ふたつ年上で、あたし同様、賢吾のことは赤ちゃんのときからよく知っている。


で、賢吾の本当の目的はお兄ちゃんに勉強を教えてもらうためじゃなくて、ふたりでカードゲームをするためなのだ。

えーと、なんて言ったっけ?たしかマジックなんたらとかいうゲームで何がどうオモシロイのか知らないけど、放っとくと何時間でもやってる。「どこが面白いの?」って聞いてみたこともあったけど、モンスターの効果がどうとかトラップがどうとか、あたしには全く理解不能のことをアツク語られて、全然ついていけなかったので、もう諦めた。


でも、そんな難しいゲームなのに、日本だけじゃなくて世界中で人気があるとかで、この間「これが英語版のカード、手に入れるの苦労したんだぜ」って言いながら、賢吾が英語がいっぱい書いてあるカードを見せてくれた。「すごーい、意味わかるの?」と思わず尊敬したら、「いや、わかんねーけど、使い方は日本語版と同じだから。絵を見れば同じカードってわかるし」だって。なーんだ。賢吾は数学と理科は得意だけど英語の成績はあたしのほうが上だからこんなムズカシイ英語がわかるなんて変だとは思ったんだ。

で、それはともかく、今日も賢吾はうちにやってくるなり、お兄ちゃんの部屋に篭ってしまった。


「楓、あなたはいいの?」


ってお母さんが話しかけてきたけど


「いいの、どうせあたしにはわからないもん」


あたしは不貞腐れてそう答えるしかなかった。


「困ったわねえ、そんなんじゃ賢吾くんと同じ高校に行けないわよ」


お母さん、だから賢吾がやってるのは勉強じゃなくてカードゲームです。って、言ってやろうかと思ったけど、やっぱり黙っておくあたり、あたしもつくづく賢吾に甘いよなあ。


「べつに一緒の高校に行かなくたっていいもん!」

「意地っ張りねえ」


言いながらお母さんはアイロンをかけに上の寝室に行ってしまった。

賢吾とお兄ちゃんにはすぐ騙されるくせになんで娘のことになると鋭いかな、やっぱり女同士だから?


だけどほんと、そろそろ志望校絞りこまなきゃな、賢吾はどこの高校行くつもりなんだろう。

手持ち無沙汰になったあたしは何気なくテレビをつけた。どうでもいいアニメ番組をやっている、あーあ、せっかく賢吾が来てるのになんであたしは一人寂しくアニメ見ていなくちゃならないの?


ぼんやり眺めていると、アニメでは、ヒロインがあこがれの人にいよいよ告白する、というシーンになった。アニメはいいなあ、絶対両思いになることが約束されてて。現実はそうはいかない、あたし、賢吾に告白とかとても怖くてできないもん。

そう思いながらも、ついヒロインに感情移入してしまう。

ヒロインが手作りのケーキを手に彼に会いに行く、というベタベタの展開となったところで、突然映像が変わった。


それはニュースのスタジオみたいなところで、なんだか戸惑っているような表情の若い男性アナウンサーが映っている。え、何だろう。番組を中断してまでニュースを挟むってよほどのことだよね。どこかで戦争でも起こったの?それとも大地震かなにか?

あたしは緊張してテレビ画面を見つめた。

こういう映像って、たまに流れるけど、すぐにどんなニュースなのかわかるはず、なのに。アナウンサーは周りを見回すばかりでなかなか何があったのか言わない。

アナウンサーだけじゃなくて、スタッフの人たちが全員ワタワタしている感じ。なんかちょっと怖い、もう、どうしてこんなときに限ってひとりきりなの、心細いよう。

そう思っていたとき。


「かえでー、喉乾いた。何か飲み物ある?」


呑気そうにそう言いながら賢吾が上から降りてきた。よ、よかった。あたしが安堵感のあまり危うく賢吾に抱きつきそうになったそのとき。

アナウンサーが口を開いた。


「番組の途中ですが、臨時ニュースを申し上げます。たった今入ってきたばかりの情報ですが、巨大な隕石が地球に向ってきているとのことです。この隕石は全く違う軌道を取っていたのですが、さきほど突然軌道を変え、地球の方向に向かってきたということです。軌道が変わった原因については他の隕石との衝突ではないかと思われていますが、詳しい原因は調査中です。また新しい情報が入り次第お伝えします。皆さんは落ち着いて行動してください。では、このことについて東応大学の・・・・」


アナウンサーがどこかの大学のセンセイらしき人に話を聞いていたけど。そのセンセイも「わかりません、原因は調査を待つしか」

なんて言うばかりでちっとも要領を得なかった。


「マジかよ・・・」


後ろで賢吾の声がした。

振り返ると呆然とした表情の賢吾と目が合った。賢吾が無言であたしの隣に座る。いつもならドキドキするところだけど、さすがに今はそんな気分になれなかった。でも、隣に賢吾がいるだけで一人よりも何倍も心強い。


テレビ画面では、スタッフの人がアナウンサーに原稿を手渡している。そんなところは本当は映しちゃいけないんだろうけど、それも構っていられないほど動揺しているのだろう。


「新しい情報が入りました。隕石の大きさは直径15㎞と推定されます。落下地点によってはかなりの被害が出ると予測されます。ですが、実際衝突するかどうかはまだ不明です。また、衝突が起こるまでは約1ヶ月ほどかかります、それまで全力で回避の対策を講じますので、どうか皆さんは落ち着いて行動してください」


落ち着けって言われても、ニュース読んでる人からして落ち着いてない、え、直径15キロの隕石ってそんな大事なの?地球は大きいんだからそのくらいだったら大丈夫なんじゃないのかな?


「ねえ、賢吾。直径15キロの隕石ってどんな感じなのかな、地球の大きさからしたら大したことないよね。人のいないところに落ちればいいけど、あ、でも動物には気の毒だね」


そう賢吾に話しかけてみたけど、賢吾はなんだかぼうっとしていた。


「ねえ、賢吾ったら!」

「あ?」

「あ、じゃないよ、どうしたの。大変なことだけどそのうち避難指示も出るだろうし、大丈夫だよ」

「あのな、楓。6500万年前にユカタン半島に落下した隕石の大きさ知ってるか?」

「へ?ユカタン半島?あ、でも6500万年前って恐竜が絶滅した頃だよね、て、えええええ!!!」

「そう、それだ。その隕石の大きさが直径約10㎞。今回はその1.5倍だ」


ようやく、理科オンチのあたしにもことの重大さが飲み込めてきた。


「それで、それが衝突するとどうなるの?」

「地球上の生物のほとんどが絶滅するだろうな。ひょっとすると全滅するかもしれない」


そ、それって地球滅亡、ってこと?

う、うそぉぉぉぉー!!



☆救世主 2011年 11月26日



それから賢吾はあたしに「直径15㎞の隕石が地球に衝突するとどんなことが起こるのか」を詳しく説明してくれた。

ものすごく気が滅入るから詳しいことは割愛するけど。とにかく全地球規模の大災害が何十年も続いて、地球上のどこにいようが到底人類は生き延びることができないってこと。

でも、あまりにことが大きすぎて現実感がない。

あたし、あとひと月で死んじゃうの?お父さんもお母さんもお兄ちゃんも友達も、そして賢吾も。そんなの、そんなのイヤだ。何とかならないの?


「ねえ、何とかならないの、映画とかではアメリカの軍隊とかが宇宙空間で隕石破壊したりするじゃん」

「まず無理だろうな。宇宙飛行士はそんな訓練は受けていないだろうし、ロケットは車と違って、倉庫に入っていたのを出してきてすぐ飛ばすってわけにはいかない。それに今アメリカは有人宇宙飛行の出来る船を持っていないから、まずロシアに協力を要請することから始めなきゃならない。遠隔操作って手もあるかもしれないけど、宇宙区間にミサイルぶっ放すなんてものすごい巨大プロジェクトだし、失敗して大気圏を出る前に爆発したりすれば大災害だ。いずれにしてもひと月でなんとか出来るようなものじゃない」

「そんなー、何冷静にネガティブなこと言ってるのよ。賢吾はあたしが死んじゃってもいいの?!」


あたし何言ってるんだろ、こんなときに。賢吾はあたしのことなんか何とも思ってないのに、バカみたい。

そう思っていたら、賢吾に思い切り強く肩を掴まれた。


「いいわけないだろーが。楓が死ぬなんて考えたくもない。でも、オレたちに何が出来るっていうんだ。何も出来ないだろ!」


うう、あたしったらこんなときに賢吾の台詞に感動してしまってる。死ぬのなんてイヤ!あたしも賢吾も他のみんなも何とかして生き延びたい。ほんとに何ともならないのかな。

何とかしたい、何とか。

あたしは考えた。どんなテストのときよりも。これまでで一番真剣に考えた。

考えて、考えて。

あれ?

解決方法あるじゃん。


「賢吾!」

「なんだよ」

「あるよ、地球を隕石の衝突から救う方法」

「なんだって?そんなバカな」


うん、バカみたいな思いつきかもしれない、でもやってみる価値はある。ダメでもともとなんだし。


「願い事、まだしてなかったよね」

「願い事?」

「ほら、夏休み。登校日に変な妖精みたいなの助けたでしょ。そのとき助けてもらったお礼に願いを叶えてくれるって」

「ああ、あれか。すっかり忘れてた。でも、あんなのアテになるのか?」

「なるかならないか、やってみなけりゃわからないじゃない。とりあえず他にいい方法とかないんだし」

「あいつ虫が好かないんだけどな。でもそんなこと言ってる場合じゃないか」

「うん、とりあえずあたしの部屋行こ。例の箱置いてあるから」


あたしは賢吾の手を引っ張った。

死ぬなんてまっぴら、あたしは生き抜いてみせる、賢吾と一緒に。




家にはしょっちゅう来てるけど、賢吾があたしの部屋に来るのは本当に久しぶりだ。小さい頃はここでよく一緒に遊んだけど、小学校高学年くらいから賢吾はリビングかお兄ちゃんの部屋にしか来なくなった。もうあたしと遊んでもつまんなくなったんだろうな、と思って少し寂しかったのを覚えている。


「ここ来るの久しぶりだな、なんか可愛くなったな、部屋が」


わざわざ「部屋が」ってつけるな。あたしは賢吾の言葉を無視して机の引き出しから例の箱を取り出した。


「いい、開けるよ」

「ああ」


蓋を開けた途端


「楓さん、お久しぶりです!」


喜色満面のキモピクシーが飛び出してきた。


「あれから全然呼んでくれなくてもうボクのことは忘れてしまったのかと思ってましたよ、会えてうれしいです」

「あ、うん。あたしもうれしいよ」


本当はさっきまで忘れてたんだけど、あたしも一応そう言った。


「御託はいいから、はやく願いを叶えろ」


不機嫌そのものの声で賢吾が言う。


「いたんですか」


キモピクシーのほうも不機嫌マックス状態って感じ。ほんとこのふたり、って言っていいのかわかんないけど、相性悪いなあ。


「あ、あのね、妖精さん」

「はい、なんでしょう、楓さん!」


横で賢吾が「妖精ってガラかよ」って呟いたのに肘鉄食らわせて、あたしは言葉を続けた。


「なんだかね、ものすごく大きい隕石が地球に衝突しそうなんだって。お願い、衝突を止めて、なんでもお願い叶えてくれるんでしょ。もう、これ以上はない切実なお願いなの」


あたしはまたキモチワルさに耐えて精一杯可愛らしくお願いしてみた。でも、こないだはすごく愛想のよかったキモピクシーはムズカシイ顔をして黙ってしまった。

やっぱり無理だったのかな、それともあたしの魅力が足りないの?



☆ふたつの世界


「せっかくの楓さんのお願いですが、それは無理ですね」

「何が無理だと、この役立たずが!」

間髪を入れず、賢吾が突っ込んだ、うん、あたしもそう言いたい。


「役立たずとはなんですか、失礼な。願い事はなんでもOKなのですが、ひとつだけ例外があります。それは他の願いを打ち消す願いです。2011年12月24日に地球に巨大な隕石が落ちてきて地球が滅亡する、これはある方の願いです。これを打ち消すと願いが叶えられなくなることになるので、楓さんのお願いを叶えるわけにはいかないのです」


うそ、地球滅亡が誰かの願い事だなんて。なんでそんなことを願ったりするんだろう。でも、あたしの願いを聞けばその人の願いが叶えられないってのは一種のパラドックスなわけで、ルール上は分かる気がする、わかりたくなんかないけど。


「おい、お前。お前もしかしてまたクモの巣に引っかかったのかよ」

「はい、で、助けていただいたお礼に地球滅亡の願いを叶えることになったのです」

「へええ、お前、よほどドジなんだな。って言いたいところだがな」


賢吾の声が低くなる、本気で怒っているときの声だ。


「そんな話信じるとでも思うのか、オレを舐めるなよ。わざとだろ、お前の狙いは願い事だ、それも出来るだけ大きな。言え、何が目的なんだ」

「それは願い事ですか。そうでなければ申し上げられません」

「いや、違うね。これは願いじゃなくて脅しだ。言わないのならそれでもいいぜ。今とっておきの方法を思いついたからさ」


賢吾がニヤリと笑う。え、なに、何を思いついたの?


「お前がクモの巣に引っかかったときに時間を戻す。そしてお前を見殺しにする。お前は助からないから次の願いをする奴も現れない」

「なんてこと思いつくんですか。ダメですよ、ボクはまた生まれ変わりますから」


そう強気なことを言いながらキモピクシーはガタガタ震えている。


「へえ、そのわりに顔色悪いな。どうしてもダメってんならここでお前を絞め殺すってのはどうだ。願いは叶えられないけど、ちょっとは溜飲が下がる。いいよな、どうせお前は生まれ変わるんだし」

「や、やめてください。生まれ変わるとはいっても死ぬときは死ぬほど痛いんですから」


死ぬときは死ぬほど痛いって変な論理だけど、やっぱり痛いのか。賢吾の気持ちはすごくよく分かるけど、それはちょっとだけ気の毒な気がする。

それに、なんだかモヤモヤするっていうか、もう少しでこのパラドックスが解消しそうな気がするんだ、そのために気分悪いけどこのピクシーはキーアイテムだ。

考えろ、頑張れあたし。どこかに突破口はあるはずなんだ、きっと。


「ねえ、妖精さん。あなたの目的教えてくれない?でないと賢吾ほんとにさっきのこと実行に移しそうだよ、それはイヤでしょ」

「わかりました。お話します。この世界はあなたがたの生きているこの現実世界のほかに、精神世界というものがあるんです。これは人の精神が創りだした世界で、ボクたちはそこの住人なのです。そしてボクたちはその思念エナジーにより生きています。でも、ここ最近、文明の発展とともに人間たちはボクたちのことを思い出さなくなり、思念エナジーが枯渇しかかってきているのです。で、エナジーを集めるために主人たちは人間の願い事を叶えることにしたのです。人の願いには通常の思念の何百倍もの思念エナジーが込められています。そして願いが切実であればあるほど膨大なエナジーが得られるんです、今回、地球滅亡を願った方のエナジーは凄まじい量でした。これでかなりエナジーが溜まったはずです」


なんとなく得意そうなのが気に入らない。精神世界がどうとかどうでもいいけど、巻き添えを食うあたしたちの身にもなってほしい。


「おい、ちょっとまて。お前の世界は人間の思念で成り立っているんだよな」

「ええ、そうですけど」

「だったら地球滅亡なんて願いを叶えたら、その願いが達成された以降は思念エナジーがゼロになって、お前たちの世界も滅びるんじゃないのか?」


賢吾の言葉を聞いたとたん、キモピクシーは真っ青になった。これこそ最大のパラドックスな訳だけど、どうやら全然そのことは考えていなかったらしい。見かけも中身もつくづく残念な奴。


「どどどど、どうしましょう」

「どうしましょうじゃねえよ、自分が撒いた種だろうが。いますぐその傍迷惑な願いを叶えるのをやめろ」

「それは無理です、もう願いは発動済みなので、12月24日に地球が滅亡することは決定事項です、願いの変更はできません」

「そんな馬鹿な、くそ、攻撃したいのにトラップで身動きとれなくなった気分だぜ」


ん?トラップってどっかで聞いたような。あ、賢吾がやってるカードゲームだ。トラップは英語で日本語にすると罠。


その時、いつか賢吾が見せてくれた英語版のカードのことを思い出した。どんな種類のカードだったか詳しいことは忘れたけど、カード名を見て、直訳じゃないんだなと思ったりして、あっ!


「賢吾!英語で地球のことなんて言うんだっけ?!」

「Earthだろ」

「他に言い方あったでしょ、globeともいうよね」

「そういやこないだ習ったような、だから何なんだよ」

「globeには地球儀って意味もあるでしょ、だったらさっきの願いは地球儀が壊れるって解釈にならないかな」

「え、それは確かに。でも実際隕石はもう地球に向かってきてるんだぜ。願いの変更はできないって、さっきこいつが」


賢吾がキモピクシーを指さした。


「いえ、できますよ。願いの変更はできませんが解釈を変えてでもそれが叶えば矛盾は起こりません」

「ホントに?」

「はい、これで楓さんの世界もボクたちの世界も救われます。楓さんは天使です」

「お世辞はいいから、早く隕石なんとかして、ほんとに心からのお願いよ」

「わかりました!」




かくして、突然出現した隕石は再び他の隕石と衝突して軌道を大きく変え、地球と衝突する危険はなくなった。ただ、その時の衝突によって砕けて散った隕石のかけらのうちのいくつかが燃え尽きずに降ってくるかもしれないので注意が必要とのこと。

TVや新聞は奇跡だって大騒ぎだったけど、この大騒動の裏にふたつの切なる願いがあったこと、そして、この世界の他にもう一つの世界も滅亡を免れたこと。これは賢吾とあたしだけしか知らない、ふたりだけの秘密。




☆エピローグ 2011年 12月24日


クリスマスイブ、あたしは賢吾とふたりでいつもの公園に来ていた。

ひと月まえのあの大騒動のあと、願いを叶えるとキモピクシーはすぐに消え、貰った箱も跡形もなく消えてしまっていた。

だからなんだかほんとにあったことなのか信じられないような気分なんだけど、今日もあたしたちは生きている、これはまぎれもない事実。

こんな当たり前のことが、今はすごく有難い。後悔しないように生きないとな、あの事件のあと、あたしは心から思った。

だから、クリスマスイブの今日、玉砕覚悟で賢吾に告白しようって決めた。そしたらなんと賢吾のほうからここに誘ってくれた。

どんな用かはわからないけど、イブに一緒にいてくれるってだけで、すっごく勇気をもらえた気がして、あたしはバッグの中に賢吾へのプレゼントを忍ばせてきた。


でも、どうやって切りだそう、そう思っていたとき、

「昔からここにはよく来たよな」

賢吾が話しかけてきた。


「うん、そうだね、赤ちゃんのときから」

「幼稚園のときの遠足もここでさ、ザリガニ釣ったの覚えてるか?」

「えーと、そうだっけ。そういえばそうだったような」

「覚えてないのかよ!」


賢吾は呆れたような顔であたしを見つめた。そんなこと言われたって幼稚園の遠足なんて遥か昔のことだし、忘れてても無理ないと思うんだけど。


「あのときオレは6匹釣ったけど、お前は1匹も釣れなくてさ、ベソかいてたからオレの半分やろうかと思ったんだけど、同じ組のヤローがニヤニヤして見てたから、なんかその恥ずかしくて出来なかった。そしたら後でそいつがお前にザリガニ分けてやってて、すげえ腹立ったな」


ふうん、あたしは全然覚えてないんだけど、そんなことが。あ・・・。

唐突に登校日の賢吾の言動を思い出した。あのとき、賢吾はザリガニを釣ろうとしてた。なんてガキっぽい奴だって呆れ果ててあたしは無視してしまったんだけど。あれってひょっとしてあたしのためだったの?

ごめん、賢吾。賢吾はガキなんかじゃなかった。むしろガキっぽく拗ねてたのはあたしのほうだ。


「賢吾、ベンチに座ろ。話したいことあるし」

「あ、うん。オレも」


あたしと賢吾は池のそばのベンチに並んで腰掛けた。いよいよだ、どうしよう、ものすごく緊張する。あたしはバッグをぎゅっと握りしめた。


「賢吾も話があるんだったら賢吾から言って」


ここまできて意気地がないけど、やっぱりちょっと怖い。


「うん。まずはこれ」


賢吾はそう言いながら、可愛らしくラッピングされた小さな袋を取り出した。


「なに、それ?」

「なにってお前なあ、今日はイブだぞ。プレゼントに決まってるだろうが!」


え、ええ、うそぉ。


「だ、だって今までそんなのくれたことないじゃん、なんで今年に限って」

「それはその、今回大変だったろ。で、もっと日々を大切に生きないとな、とか改めて思ったわけで」

「うん、それはあたしも。で、なんでいきなりプレゼント?」

「おま、いい加減判れ!」

「何を?」

「何をって、つまり、もう幼稚園のときのような思いはしたくないからさ。楓にプレゼントするのはオレの役目。誰にも譲りたくない」


あ、あの、それってもしかして。


「あの、開けていい?」

「ああ」


袋を開けると小さなハート型のネックレスが出てきた。全体がシルバーで、ひとつだけラインストーンがついてる、可愛らしいデザインだ。

よく見ると端のほうに切れ込みが入っている、これなんだろ?


「どうもありがとう、すごく可愛い」

「今はザリガニいないからな」

「もうザリガニはいいって。ところでこの端っこの切れ込みなに?」

「ああ、それは」


言いながら賢吾はポケットを探った。出てきたのは鍵の形のネックレス。


「ちょっと貸して」


賢吾はあたしのネックレスと鍵のネックレスを掌に並べた。そしてハートの切れ込み部分に鍵を合わせる。と、2つはぴったりと合わさった。

これ、ペアなんだ・・・。

ハートの鍵、開けられるのは賢吾だけ。

うわー、どうしよう。嬉しすぎてどうしたらいいかわからないよ。


「どうもありがと、すごい嬉しい」


もう、それだけ言うのがやっとだった。


「ああ、そうだ。あたしからもプレゼント」


あたしは赤と緑でラッピングされた袋を賢吾に手渡した。中を見た賢吾がうれしそうに笑う。


「デッキケースだ。サンキュ、あれ、でもお前カードゲーム嫌いじゃなかったっけ?」

「それは、賢吾がカードにばっか夢中で構ってくれないから。でも今回はそれに救われたわけだしね」

「カードに救われた?」

「うん、あのね。前に賢吾が英語と日本語のカード並べて見せてくれたでしょ。どんな種類のカードだったかは忘れたけど、男の子と女の子が手を合わせてる絵だったの。で、日本語のカード名が“望み”で英語のが“We will”ってなっていて。“Hope”じゃないんだってちょっと不思議だった、それで、英語と日本語は必ずしも一致しないってことに気づいたの」

「そっか、“hope”は希望だけど“will”は意思だもんな、“そうする”っていう。で、話なんだけど」

「うん」

「オレは楓を彼女にする!って意思を持ってる」


うわ、うわ、うわぁぁぁーーー!

神様、これは夢ですか。そうじゃないよね。


「で、楓はどうなんだ?」


あたしは、もうひとつ持ってきていた包みを賢吾に渡した。

中に入っているのはマフラーとクリスマスカード。


「これ、オレに?暖かそうだな、ん、これ」


賢吾があたしの首元をまじまじと見つめる。


「ペア?」

「うん。カードもみて」


ツリーの形をしたクリスマスカード。そこにかかれているのは。


“メリークリスマス、賢吾大好き 楓より”


「かえで・・・」

「あ、あたしの意思は、賢吾とずっと一緒にいる!ってこと」


今年のクリスマスは今までのあたしの人生で一番幸せなクリスマスになった。


ふと、思う。

地球の滅亡を願った人は、どうしてそんなことを願ったのだろう。

地球が滅びれば自分だって死んでしまうのに。自分ごと全てを消してしまいたいほど辛い思いをしたんだろうか。

そんな願いは許せないとも思うけど、あたしも賢吾もそのおかげで一歩踏み出せたし、何気ない日常のかけがえのなさも知ることができた。

だから、その人のところにも幸せがやってきますように。



もう二度と、悲しい願いをしなくても済むように。





☆エピローグ2 2012年 12月24日



「謙悟さん、お弁当持ってきたよ!」


事務所で経理業務をやっていたら、明るい声とともにドアが勢い良く開いた。


「梨花、家でゆっくりしてろって言ったろ」

「だって、一人でうちにいてもつまらないんだもん。大丈夫、病気じゃないんだし、健康なんだから動いたほうがいいの。謙悟さんとお父さんだけにしとくと、すぐ部屋の中汚くなるし」


そう言いながら、梨花はてきぱきと散らかった部屋の整理を始めた。有難いけど、心配で仕方がない。


「でもまだ安定期じゃないからおとなしくしていたほうが」

「心配性ねえ、大丈夫だって言ってるでしょ、なにもマラソンするってわけじゃないんだから。悪阻も全然ないし、食欲もあるから動かないと太りすぎてかえって難産になっちゃう」


梨花は半年前に結婚したオレの妻だ。働き者で可愛くて気立てもいい。そして、今は妊娠4ヶ月。来年にはもうひとり家族が増える。

そしてそんなオレたちのことをにこにこしながら見守ってくれているのは、社長。梨花の父親でオレにとっては義父になる。

こんな日がやってこようとはつい1年前までは、想像することすらできなかった。


去年の11月の終わり、オレは不況で勤め先を解雇され、長く付き合ってきた恋人に別れを告げられた。

苛めが原因の不登校からようやく立ち直り、人生のやり直しができそうだと思っていたときだっただけに、ショックは大きかった。

自暴自棄になり、自殺も考えていたとき、オレはたまたま変な生物を助けた。

そいつは「お礼にひとつだけ願いを叶える」と言った。

その時、オレを苛め抜いた中学時代のクラスメイトや、オレのことを異物でも見るような目でみた家族、そしてオレのもとを去っていった恋人の姿がフラッシュバックした。

この世界のすべてはオレの敵だ、そう思った。

変な生物が得意満面で「どんな願いでも叶える」とか言うものだから、ついマイナスの感情の赴くまま「だったら、隕石でも地球にぶつけて、人類を滅亡させてみろよ。クリスマスイブがいいな、浮かれてる連中に天誅を下すってわけ、愉快じゃないか」と言ってしまった。冗談だったとは言わない、幾分かは本気だった。そのくらい気持ちが荒れていた。それに、こんな不細工でおかしな生き物に、そんなことが出来るはずはないと高をくくっていた。


だから、次の日ニュースを見て、大騒ぎになっているのを知って仰天した。あれがオレのせいだなんて考えられなかった、考えたくもなかった。

ただの偶然だと思い込もうとしたけど、滅亡の方法も時期も一致している以上、オレが勢いで言ってしまった願いが叶ってしまったのだとしか思えない。なんであんなことを口にしてしまったのだろう。

後悔したってどうしようもない、だけどどうしたらいいのかわからなかった。

オレは決して善人じゃない。けれど、「悪」になりきれる強さなんてこれっぽっちも持ちあわせていない凡人だ。世界の滅亡を前にして不敵に笑ってなどいられるはずがない。ただ、自分のしでかしてしまったことの重大さに膝を抱えて震えているしかなかった。

これは悪い夢だ、早く覚めてくれ。と虚しく願うことしかできなかった。


それから1時間か、いやもっと短い時間だったかもしれない。突然悪夢は終わった。

まっすぐに地球に向っていた巨大な隕石は、他の隕石との衝突によって軌道を変え、地球は滅亡の危機を免れた。


偶然?奇跡?

いずれにしてもオレは地球滅亡の首謀者からただの失業者に戻った。この社会の中で最も情けない存在ではあるけれど、オレはそのことに心から感謝した。

神がいるのかいないかなんてオレにはわからない。けれども、オレはあのとき確かに救われたんだ。本当に神はいるのかもしれない。



そして、去年のクリスマスイブの早朝、オレはものすごい破裂音で目を覚ました。

吹きこんでくる風と部屋中に散らばったガラスの破片。

音の正体は外からぶつかってきた石のようなもので窓ガラスが割れたからだということがわかった。


それから、壊れたものがもうひとつ。

それは窓辺に置いてあった地球儀だった。どうもガラスを貫通した石がこれを直撃したらしく、太平洋の真ん中に大きな穴が開き、よく見ると直径3センチほどの黒っぽい石が中に入り込んでいた。

この石、どんな勢いで飛び込んできたんだ。あり得ないだろう。そう思ったのだが、もしかしたら。

あの地球を直撃するはずだった巨大隕石のかけらだとか、まさかね。

だけど、まるで地球の身代わりになったように大穴の開いた地球儀を見るにつけ、あながち外れてもいないような気がしてきたのだった。


去年のクリスマス前後は日本列島に大寒波が襲来し、平地でも雪がちらつくところが多くみられた。そんな時期に部屋のガラスが割れてしまったのは大災難だったが、この災難がオレに今の幸福を運んできてくれたのだから人生はわからない。


イブの土曜日に来てくれるところなんてあるかな、と思いながらガラス店に電話してみたのだが、幸い1軒目で「すぐに行きます」と言ってくれるところが見つかった。

30分ほどで現れた初老の男性はどうやら少し脚が不自由らしく、左の脚を少し引きずっていた。その体で重いガラスを運ぶのはとても大変そうだったので、「お客さんにそんなことはさせられない」というその人に「やらせてください」と半ば頼むような状態でオレはガラスの取り換え作業を手伝った。

もともと体を動かすことは好きなほうで、今思えばだから長いこと家に引きこもってはいられなかったわけだけど、高校時代はいろんなバイトをしてたから、すぐに要領を覚えた。

作業しながら、その人といろんな話をしているうちにすっかり気に入られたオレは、ちょうど人を探していたというその人の店で働くことにした。

そして、そこで事務を担当していたのが、今のオレの妻、ガラス店の主人の娘の梨花だったのだ。

一目見て「可愛い子だな」と思った。

そして一緒に仕事をしていくうちに、しっかりしていて気立てもいいことに気づいた。中学生のときに母親を事故で亡くしていて、家事を担当する傍ら、商業高校で簿記や経理を学び、卒業と同時に父親の手伝いをするようになった。

苦労しているのにいつも明るくて、ほんとにいい子だ、こんな子が奥さんだったら幸せだろうな、いつしかオレはそう思うようになっていた。

そして、梨花のほうもオレのことを憎からず思ってくれていたらしく、ほどなくオレたちは付き合うようになり、半年後には結婚した。

梨花はもちろん恋人としても最高だったけれど、それよりも梨花と家族になりたいと思った。どん底のオレを救ってくれた優しい社長のこともオレは大好きで、社長のことを父親のように思っていたというのもある。

14で家族に見放されたオレは15で家族を捨てた。

それ以来、ずっと一人で生きてきたけど、心の中ではきっと家族を求めていたのだろう。


そして、今。


「じゃあ、謙悟さん、あたし帰るけど、謙悟さんもお父さんも早く帰ってきてね。今夜はイブだからみんなでお祝いしたいし」

「わかってる、3人で迎える初めてのクリスマスだから、仕事は早めに切り上げて帰るよ」

「3人じゃないよ」


そう言うと梨花はまだほとんど膨らんでいないお腹にオレの手をそっと当てた。

ああ、そうだ、ここにはもう新しい命がいる。


「そうだね、4人だ」

「うん、じゃあ、うちで待ってるね」


手を振りながら出てゆく梨花の姿を見送ると幸福な思いが満ちてくる。

あのとき、隕石が地球に衝突していたら。

そのことを考えるとゾッとする。

オレは自分のやり場のない苛立ちを解消するために、梨花や義父、その他たくさんの優しい人達の命を理不尽に奪ってしまうところだった。そして、そんなことになっていたら、梨花の中に新しい命が芽生えることもなかった。

地球が滅びなくて本当によかった。

今オレは心から思う。


今夜はクリスマスイブ。


メリークリスマス

この星に生を享けたすべての命に祝福を。


      END


読んでくださってありがとうございます。


「地球をすくう」とか、らしくないことに取り組んでしまい、大丈夫かな、と思いましたが、なんとか完成しました。

とはいえ、私の書くものですからほとんどが日常話ですが。


楓と賢吾のカップルはいつもの水聖という感じですが、もう一方の主人公謙悟には苦労させられました、なにせほとんど全編真っ暗なので。

ここまでシリアスな主人公は初めてでした。彼だけだと書くのがしんどかったのですが、バカップルのパートで気分を盛り上げながらどうにか完成までもっていったという感じです。

まったく接点のない二組の話を同時進行しながら全体の話を作っていくという手法は初めてでなかなかに新鮮でした。


企画に誘ってくださったいき♂さん、主催のそうじたかひろさん、なーこさん、ありがとうございました。

とても楽しかったです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 感想遅くなってしまい申し訳ありません。 執筆お疲れ様でした。 「ふたつの願い」拝読させて頂きました。 英語の解釈がとても面白かったです。 あれには舌を巻かされました。 気になった点を一つ…
[一言] 企画への参加、ありがとうございました! こうして水聖さんの実力を他の方に紹介できて、我が事のように鼻高々です^^ ふたつの視点を交差させる手法、地球を滅亡から救う手段、いずれもお見事でした…
[一言] 企画参加者の霧友です。 キモピクシー、いい味出してますね! 願い事の解釈を変えることで……というのも秀逸なアイデアでした。ただ、謙悟は「人類滅ぼせ」とまで言ってますよね、これはどう回避した…
2011/12/31 22:38 退会済み
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