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婚約破棄を告げられた瞬間、会場中が拍手しました

婚約破棄を告げられた瞬間、会場中が拍手しました。私以外の全員、この日を待っていたそうです

掲載日:2026/10/05

★連載版はじめました! 三百四十二通の手紙に返事を書きに行く、リゼットとディートリヒのその後を毎日19時更新中です。(作品ページ下のリンクから読めます)


【連載スタートしてます!】



「リゼット・オルフェ。君との婚約は、今夜をもって破棄する」


夜会の大広間に、レオンハルト殿下の声が響いた。


楽団の演奏が止まる。シャンデリアの光の下で、グラスを持った招待客たちが、波が引くように私たちの周りから離れていった。


私はドレスの裾を握らないよう、指に力を込めた。


──ああ、やっぱり。


この三年間、いつかこの日が来ると思っていた。


「理由を、うかがってもよろしいでしょうか」

「分かりきっているだろう」


殿下は、腕にしがみついた桃色のドレスの令嬢を見下ろした。男爵令嬢セシリア・ブラン。小さく震えて、私と目を合わせようとしない。


「セシリアから聞いた。君は茶会で彼女を無視し、わざと冷たい言葉を浴びせ、居場所を奪おうとしたそうだな」

「…………」

「君は昔からそうだ。愛想がなく、誰にも心を開かず、他人を寄せつけない。そんな冷たい女が、王子妃にふさわしいはずがない」


否定の言葉は、喉まで出かかって、消えた。


だって、「嫌われている」ということだけは、本当だから。


三年間、私に話しかけてくれる人はほとんどいなかった。


茶会へ行けば、私が席につくと同時に会話が途切れる。廊下ですれ違えば、誰もが目を逸らして足を速める。手紙を書いても、返事は一通も来ない。たった一人の友人だったクララでさえ、三年前から、挨拶を返してくれなくなった。


味方は、侍女のミナと、弟のルークだけ。


先月の茶会でも、そうだった。


空いていた席に腰を下ろすと、隣の夫人が弾かれたように立ち上がり、反対側の端まで移ってしまった。向かいの令嬢たちは、一斉にカップへ視線を落とす。誰も、私の顔を見ようとしない。


いたたまれなくなって、私は早めに席を立った。


そのとき、背中のほうで、小さな声が聞こえた気がした。


『……ごめんなさい』


気のせいだろう。そう思って、振り返らなかった。


殿下はよく言っていた。


『君は人に好かれない性質なんだ。名前を出せば反発を受ける。だから、君の仕事は僕の名前で発表する。君のためでもあるんだぞ』


そうなのだと思った。実際、そうだったのだから。


三年前、王都を襲った灰熱病。眠らずに書いた隔離と水の煮沸の計画書も、毎月の孤児院への支援も、北区の水路の改修図面も。広場で発表されるたび、拍手を浴びるのは殿下だった。私は群衆のいちばん後ろで、その音を聞いていた。


私の名前は、どこにも残らなかった。


今でも覚えている。灰熱病が広がった、最初の冬の夜のことを。


蝋燭の灯りの下で、私は二日目の徹夜をしていた。患者を分ける手順、使う水の煮沸の時間、病人の世話をする者が守るべき決まり。頭の中にある限りを、一枚ずつ紙に起こしていく。


「お嬢様、少しだけでもお休みください」


ミナが温かいスープを置いてくれた。湯気の向こうで、彼女が心配そうに眉を下げている。


「あと少しなの。これが間に合えば、北区の人たちは助かるかもしれないから」


そこへ、殿下が入ってきた。書き上げたばかりの束を、ぱらぱらとめくる。


「いい出来だな。これは僕の名前で出そう」

「……え?」

「君が出したら、誰も読まない。冷たい女の言うことなど、民は聞かないからね。僕の名前なら、皆が従う。人が助かるのが一番だろう?」


言い返せなかった。人が助かるのが一番だ、というのは、本当だったから。


だから私は、頷いた。


あの夜から三年、ずっと。


それでも、人の役に立てたのなら構わない。そう自分に言い聞かせてきた。


それに──婚約者である間、王家の内情を外に漏らせば不敬罪になる。そう殿下に言われていたから、私は誰にも、何も言えなかった。


「承知いたしました」


私が頭を下げると、殿下は拍子抜けした顔をした。


「それだけか。弁解もないのか」

「ございません」

「ならば、さっさと去れ。君の顔を見ていると、セシリアが怯える」


終わったのだ、と思った。


背を向けようとした、そのときだった。


パン、と、乾いた音がした。


壁際で、侍女のミナが手を叩いていた。


パン、パン。


次の音は、弟のルークだった。それから、近くにいた伯爵令嬢が。壮年の貴族が。給仕の青年が。


一人、二人、十人、百人。


気づけば、大広間の全員が、私に向かって手を叩いていた。


「……え?」


殿下の間の抜けた声が、拍手に呑まれる。


私は、凍りついたまま立っていた。


──嘲笑だ。


そう思った。冷たい女が、ようやく追い出される。ざまあみろ、と。三年分の「いい気味だ」が、一斉に降ってきたのだ。


そっと視線を上げて、周りを見る。


誰もが私を見て、手を叩いている。目を赤くしている人もいる。口元を押さえて、肩を震わせている人もいる。


──笑いをこらえているのだ。


そう、解釈した。そう解釈するしかなかった。三年間、そういう目で見られてきたのだから。


顔が熱くなる。唇を噛んだ。


最後まで、泣かない。泣いたら、本当に「かわいそうな女」になってしまう。


うつむいたまま、足を踏み出そうとした私の視界に、黒い騎士の長靴が入ってきた。


足音が、目の前で止まる。


顔を上げると、騎士団長ディートリヒ・アークが、私の前で片膝をついていた。


「リゼット嬢」


低く、静かな声だった。


「ずっと、この日を待っていました」

「……え?」

「あなたに、礼を言える日を」


意味が分からなかった。


礼? 誰が、誰に?


「ディートリヒ! 無礼だぞ!」


殿下が叫ぶ。団長は立ち上がり、殿下を真っ直ぐに見た。


「殿下。婚約者である間、リゼット嬢が王家の内情を口にすれば不敬罪に問う。そう仰ったのは、あなたです。だから皆、待っていた。彼女が、自由になる日を」

「な……何を言っている」

「証拠は、すべて揃っています」


団長が振り返ると、人垣の中から、一人の令嬢が進み出た。


「リゼット」


クララ・ベルモント。私が唯一「友人だった」と思っていた人。三年前から、何も返してくれなくなった人だ。


「ごめんなさい。あなたを避けていたのは、わざとなの。殿下の取り巻きが、私たちを見張っていたから。あなたと親しくしたら、あなたの立場がもっと悪くなると思って」

「…………」

「あなたの悪評を流していたのは、殿下よ。『リゼットは冷たい』『近づくな』って。みんな、本当は信じていなかったわ。信じたふりをして、あなたを守っていたの」


クララは、少しだけ笑った。


「毎年、あなたの誕生日に、白い花が届いていたでしょう? 差出人のない」

「……あの花は」

「私よ。名前を書けないから、せめて花だけでもって」


声が出なかった。


毎年、誰かは分からないけれど、誰かが覚えていてくれると思っていた。それだけを支えに、誕生日の夜を越えてきたのに。


殿下が、顔色を変えた。


「でたらめだ! 花など、何の証拠にもならない! 僕はこの国のために、孤児院にも通っているんだぞ!」

「いいえ」


人垣が割れた。


灰色の修道服を着た、小柄な老婦人が、杖をつきながら歩いてくる。王都の外れの孤児院の院長、マルタさんだった。


「殿下は、一度もいらしておりません。私が院長になってから、一度も」


殿下の喉が、ひゅっと鳴った。


「毎月、夜遅くにパンと薬を抱えて来てくださったのは、ベールで顔を隠した、背の高い娘さんでした。名前はけっして名乗らず、子どもたちには『ベールのお姉さん』と呼ばれておりました」


マルタさんは、私を見て、くしゃりと顔を崩した。


「リゼット様。ずっと、あなただと分かっておりました」


──顔を、見せたくなかった。


名前を出せば反発を受けるから、せめて顔だけでも隠して。そうしなければ、子どもたちが怯えてしまうと思ったから。


そんな私を、ずっと知っていてくれた人がいた。


「ぐ……そ、それがどうした。たかが孤児院の老婆の──」

「たかが、ではありません、殿下」


殿下の背後から、側近のブルーノが進み出た。手には、麻紐で束ねた大きな紙の束を抱えている。


「殿下のご命令で、リゼット様宛ての手紙は、すべて私が処分することになっていました。ですが、どうしても捨てられず、保管していました」


束が、私の足元に置かれた。


「三百四十二通あります」


私は、震える手で、一通を拾い上げた。


『北区の水路のおかげで、今年は麦が流されませんでした。ありがとうございます』


別の一通。


『灰熱病で妻を亡くす覚悟をしていました。隔離のおかげで、生きて帰ってきました。あなたが考えてくださったと、人づてに聞きました』


その次も。その次も。


全部、私への手紙だった。


返事が来なかったのではない。


届いていなかったのだ。


「姉上」


弟のルークが、分厚い帳面を抱えて駆け寄ってきた。


「姉上の功績の証拠です。疫病対策の原案、孤児院の支援台帳、水路の図面。全部、姉上の字で、署名入りです。三年かけて、集めました」


十六歳の弟は、泣き笑いの顔をしていた。


「姉上は、冷たい人なんかじゃない。僕が一番知ってる」


ルークが帳面を差し出した先に、いつの間にか、国王陛下が立っていた。


「……レオンハルト」


陛下は、無言のまま帳面をめくり、ゆっくりと息子へ顔を向けた。


「これは、どういうことだ」

「ち、父上、これは捏造で──」

「署名の筆跡は、先代の宰相閣下が検めてくださいました。決裁書の控えも、ここにあります」


ブルーノが、静かに言った。殿下の唇が、色を失っていく。


「お嬢様」


ミナが、いつの間にか隣に立っていた。この三年、一度も私を見捨てなかった侍女は、真っ赤な目で笑っていた。


「三か月前、ブルーノ様が教えてくださったんです。殿下が、近いうちに婚約を破棄するつもりだと。それで、皆で相談しました。破棄されるまでは、お嬢様は殿下の婚約者。何を言っても、お嬢様が不敬に問われてしまう」

「…………」

「でも、拍手なら。拍手なら、誰も咎められないでしょう?」


ミナは、涙をこぼしながら続けた。


「だから、合図を決めました。破棄が告げられたら、私が最初に手を叩く。その音を聞いたら、全員が続く。皆さん、ずっと待っていたんです。お嬢様に、ありがとうって伝えられる日を」


──ああ。


そうだったのか。


あの音は、嘲笑なんかじゃなかった。


三年分の、「ありがとう」だった。


「あの……リゼット様」


おずおずと進み出たのは、先月の茶会で、私の隣から席を移した夫人だった。


「先月は、失礼いたしました。殿下の取り巻きの方が、すぐ後ろの席にいらして……。お声をかければ、あなた様が咎められると思って。あのとき、ごめんなさいと、お伝えしたのですけれど」


──聞こえていた、あの声。


気のせいではなかったのだ。


マルタさんが、懐から、色褪せた紙の束を取り出した。


「子どもたちが、毎月書いていた手紙です。殿下に宛てるよう教えられていましたが、どの子も、宛名だけは守りませんでした」


広げられた紙には、拙い字が並んでいる。


『りぜっとさま ぱんをありがとう。あったかいふくもありがとう。ぼくは おおきくなったら きしになります』


視界が、滲んだ。


気づけば、頬が濡れていた。泣かないと決めていたのに。


私は、嫌われてなどいなかった。


ただ、誰も、私に「ありがとう」を言わせてもらえなかっただけだったのだ。


「そんな……」


かすれた声が、人垣の端から聞こえた。


セシリアが、真っ青な顔で立っていた。殿下の腕から、いつの間にか手が離れている。


「私……殿下から、リゼット様は冷たくて怖い人だと、ずっと聞かされていて……。一度も、確かめなかった」


彼女は、私の前で深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。何も知らずに、あなたを悪者に」

「セシリア! 君は僕を──」

「私が好きになったのは、優しい殿下でした」


セシリアは、顔を上げなかった。


「他人の功績で笑っている殿下では、ありません」


殿下が、膝から崩れ落ちた。


国王陛下の裁定は、その場で下された。


「レオンハルトを廃嫡とする。北の修道領にて、三年の謹慎を命じる」


衛兵に両脇を抱えられて連れ出される殿下は、一度も私を見なかった。


「リゼット・オルフェ」


陛下が、私に向き直る。そして、王冠を戴いたまま、深く頭を下げた。


大広間が、ざわめいた。


「王として、そして一人の親として、詫びる。そなたの三年を、息子が奪った。気づけなかった私にも、咎がある」

「陛下、どうか、お顔を……」

「そなたの功績は、王国の全ての民に公表する。王国功労勲章を授けたい。受けてくれるか」


大広間が、静まり返った。


私は、一度だけ目を閉じて、それから首を横に振った。


「勲章は、結構でございます」

「……何故だ」

「私が欲しかったのは、『ありがとう』の一言でした」


手の中に、三百四十二通の手紙がある。孤児院の子どもたちの、拙い字がある。


「それは、今夜、もういただきましたので」


一拍の沈黙のあと。


大広間は、さっきよりも大きな拍手に包まれた。


*


夜風の吹くバルコニーで、私は手すりにもたれていた。


泣きすぎて、頭がぼんやりしている。拍手の余韻が、まだ耳の奥に残っていた。


「寒くありませんか」


振り向くと、ディートリヒ団長が立っていた。無言で外套を、私の肩にかけてくれる。


「三年前、灰熱病が王都を襲った年」


彼は、夜の庭を見つめたまま話し始めた。


「私の部隊は、あなたの隔離計画のおかげで、一人も欠けませんでした。誰が考えたのかを知ったとき、礼を言いに行こうとしましたが、殿下に止められた。婚約者に近づけば、あなたが不敬に問われる、と」

「……そう、だったのですね」

「だから、待ちました。三年も、遅くなってしまった」


団長は、胸の内ポケットから、小さく畳んだ紙を取り出した。角が擦り切れて、何度も開いては閉じた跡がある。


「これは、あの冬、あなたの計画書の写しを、私が部隊に配るために書き写したものです。この三年、ずっと持っていました。あなたの字の癖まで覚えてしまいました」

「……変な方ですね」

「自覚はあります」


真顔で言うので、思わず吹き出してしまった。


笑ったのは、いつぶりだろう。


団長が、私に向き直る。


「リゼット嬢。あなたは、自分は冷たい人間だと思っているかもしれない。ですが私は、あなたは雪解けの水のような人だと思っています。静かで、澄んでいて、触れると温かい」


心臓が、大きく跳ねた。


「あなたの隣に立つ許しを、いただけますか」


私は、少しだけ笑った。


手に残った手紙の束が、風に揺れる。


「……私、愛想がありませんよ」

「存じています」

「冷たい女だと、言われてきました」

「それは、あなたを知らない人間の言葉です」


団長は、少しだけ照れたように目を伏せた。


「では、これから、知ってください」


大広間の中から、まだ、かすかに拍手が聞こえる。


嘲笑だと思って、怯えた音。


けれど、今は分かる。


拍手というのは、こんなにも温かい音だったのだ。


*


それから、十日が過ぎた。


王都の広場に、私の名前が掲げられた。灰熱病の計画書の写し。孤児院の支援の記録。北区の水路の図面。すべてに、「リゼット・オルフェ」と署名が添えられている。


市場を歩けば、八百屋の主人が帽子を取った。パン屋の女将さんが、焼きたてのパンを袋いっぱいに押し付けてきた。見知らぬ老人が、「あんたのおかげで、孫が生きとる」と、私の手を握って離さなかった。


そのたびに、私は慌てて頭を下げて、うまく返事ができなくて、真っ赤になった。


「お嬢様、お顔が真っ赤です」

「……だって、どう返したらいいのか分からないの」

「簡単ですよ。『どういたしまして』って言えばいいんです」


ミナが、くすくす笑う。


試しに、次に声をかけてくれた小さな男の子に、言ってみた。


「どういたしまして」


男の子は、ぱっと顔を輝かせた。


ああ、こんなに簡単な言葉だったのか。


気がつくと、私の隣には、背の高い影があった。


「顔が緩んでいますよ、リゼット嬢」

「……団長は、見すぎです」

「あなたを見るのが、私の仕事になりましたので」


いつの間にそんな役職ができたのだろう。


でも、悪い気はしなかった。

王都の空は高く、広場には、まだ、ところどころ拍手が起きている。


その音の中で、私は、生まれて初めて、胸を張って笑った。

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連載版、始まってます!!


『婚約破棄を告げられた瞬間、会場中が拍手しました。私以外の全員、この日を待っていたそうです【連載版】』


届かなかった342通の「ありがとう」に、

リゼットが今度は自分の名前で、一通ずつ返事を書きに行くお話です。

真顔の団長も、ずっとそばにいます。


ページ上の「シリーズ」から、すぐに読めます。

ぜひ、続きも読んでください!


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

たくさんの拍手(評価)、本当にうれしいです。


連載版、はじまりました。

レオンハルトとセシリアのその後。リゼットが陰でしてきたこと、そのすべて。

そして、ディートリヒが「隣に立つ」までの話です。


毎日19時に更新しています。

下のリンクから、続きをどうぞ。


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― 新着の感想 ―
よくこんな足らずのゴミ王子が何年ものさばってたもんだわ 王子がカスなら王は能無しか?親子揃って「病死」したらいい
王子に人望なさすぎだし、それに気付かない王も失望されて、支持率下がってるのでは。
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