最後のわがまま
昔、電撃hpのショートショート企画に応募した作品です。
三題噺で、「突然、危険地帯、親友」がお題でした。
夜が更けてきた。私は覚悟を決めて、兄の部屋のドアをノックする。
ドアが開き、いつも通りのぼおっとしたさえない風貌が出迎えた。休暇にぶらりとどこかへ出かけるくらいしか趣味のない地味な兄。
「どうした? 結婚式の準備とかで忙しいんじゃないのか?」
私が黙っていると、能天気な口調でしゃべり続ける。
「あ、のろけにでも来たのか? まあ、あいつと一緒になるんなら俺も安心だよ。ガキの頃からの大親友だし、本当にいいやつだし。あんまり出世はしそうにないけどな、はは」
「お兄ちゃん!」
いきなりの大声にビックリする兄に、私はさらに言葉をぶつける。
「私、もらわれっ子なのに、すごく良くしてくれたよね。父さんたちが死んじゃってからは働いて面倒を見てくれて、私が就職してからは、仕事のノルマが達成できるように力をかしてくれて。本当にずっと見守ってくれて、私、迷惑かけてばかりで」
「俺は別に、迷惑なんて思っていないぞ」
「ありがとう……。だったら、私の最後のわがままをきいて」
沈黙が流れる。私は大きく深呼吸を一つ。そして言葉を発した。
「私を連れて逃げて。知っている人が誰もいないところへ」
再び訪れる沈黙。兄は口をあけてパクパクさせた後、上ずった声でまくしたて始めた。
「な、何言ってるんだ? 冗談、だよな? おい。そんなことしたら、あいつを裏切ることになるんだぞ。あいつと何かあったのか? あいつの何がふまんなんだ?」
「あいつ、あいつって! お兄ちゃんはどうなの? 私をどう思ってるの?」
そう、いつからか気づいていた。
兄が私を見る目が、家族に対するものではなく、1人の異性に対するものに変わってきたことを。そして兄自身がそれに戸惑い、罪悪感にさいなまれ、自分の親友との縁談を積極的に進めてきたことを。
押し黙った兄の胸に、私は飛び込んだ。
「ね、行こう? 誰かに見つからないように、夜が明ける前に、ね?」
ややあって、返事が来た。
「俺はお前の幸せだけを願ってきた。それがお前の望みなら」
兄の腕がおずおずと私を包みこみ、そして強い抱擁に変わる。
「おおい、起きてくれ、大変だ! おおい!」
早朝、玄関ドアをせわしくノックする音と、悲鳴に近い呼び声にせかされ、私は部屋を出た。身づくろいもそこそこにドアを開ける。
牛乳配達のおじさんと、騒ぎを聞きつけた近所の人たちがいた。おじさんは
「たたた、大変だ、おちついて、は、早く、きてくれ」
とひどく混乱し興奮した様子で、私たちを先導して小走りに移動していく。私も他の人たちもそのあとを追った。
行先は街外れにある、谷間の河原だった。一面の砂利の中を浅い川が流れている。
そこにいくつかの木材の破片とロープが散らかり、そして潰れて変わり果てた兄の姿があった。と思うと、いつの間にかそばに来ていた婚約者に強引に抱き寄せられた。
「見るな! ……見ない方が、いい……」
彼自身、親友の死に驚き、震えていた。集まってきた人たちが騒ぎ立てている。
「かわいそうに」
「放浪癖があったからな。またどこかへ行くつもりだったんだろう」
「谷のボロ橋が落ちたんだな」
「けど、『危険 立ち入り禁止』の札が出てたはずだぞ。誰か外したのか?」
私は思い出す。本当に簡単だった。暗い中、先を歩く兄が橋に足をかけたところでほんの一押し。それで事足りた。
これで、多額の生命保険金が転がり込んでくる。兄が私のノルマ達成のために加入していてくれたものだ。
もちろん、しばらくは保険金のことなど口に出してはいけない。悲しみに打ちひしがれて何も考えられないようにふるまうべきだろう。だが焦ることはない。上手くいったのだから。
(これで、この人の稼ぎが良くなくても、お金には困らないわ。私、幸せになるからね、お兄ちゃんの望み通りに。喜んでくれるよね、お兄ちゃん?)
彼の胸に顔を押し付けながら、私はそっとほほ笑んだ。




