5.ドルミーレ王国で最も尊い人物
大神官様がヴァーシヴル公爵家にやって来たのは、わたくしが大神官様に『女神様と黒衣の三騎士』の本を預けた翌朝のことだった。
わたくしは発熱していたけれど、すぐに着替えて、お化粧なんてほとんどしないで城門前に行った。
大神官様はたくさんの神官様を引き連れて、出迎えたわたくしと奥方様の前で、神官用の白い馬車を背にして石畳にひざまずかれた。
この神官用馬車が白いのは、女神シャンタル様がケルベロスに生贄として差し出された時に乗って行った婚礼馬車に由来しているらしいわ。
「女神シャンタル様より御言葉を授かりし大聖女様、お目にかかれて光栄に存じます」
大神官様がご挨拶をされて、神官様たちが唱和した。
「大聖女様! ああ、たしかに大聖女様だわ!」
奥方様がはっとした表情をされて、すぐに大神官様の横に並んでひざまずかれた。
「え……?」
わたくしは発熱していて、すぐには動けなかった。それに、なにが起きているのか、よくわからなかったのよ。
「大聖女様のおかげで、我らはついに、女神シャンタル様とケルベロスたる三騎士全員が、幸福に結ばれる結末へと至りました」
大神官様が、わたくしの書いた『女神様と黒衣の三騎士』を両手で押し戴いた。
なにかの冗談かと思ったんだけど、大神官様は真剣な顔をしている。
「えっと……。これは、どういう……?」
「大聖女様は、『女神シャンタル様こそが、勇猛で、英知に富み、博愛の心を持っていた』と、そうおっしゃりたかったのですよね!」
大神官様が叫んだ。わたくしの本の内容についてなんだろうけど、そんなことは書いてなかったんじゃない……?
「ええ、ええ、そうですよ! そんなシャンタル様だからこそ、三騎士はシャンタル様のために何度も命を賭けたのですよね!」
奥方様が何度もうなずいている。奥方様の目の下には、寝不足による隈ができていた。もしかして、徹夜で『女神様と黒衣の三騎士』を読んでくださったの!? そんな無理をしなくてもよかったのに……。
「ええ、そうですね。そうに違いありません」
大神官様が奥方様に同意している。そのまま大神官様と奥方様は、あの場面が良かったとか、どこが泣けたとか、ひざまずいたまましばらく語り合っていた。
「あの……、立たれた方がよいのでは……?」
わたくしは遠慮がちに訊いてみた。そうしたら、大神官様と奥方様、神官様たちは、わたくしにお礼を言いながら立ち上がった。
「大聖女様、我らに立つお許しをくださり感謝いたします!」
なんて言われたのよ。
もしかして、ずっとわたくしの許可を待っていたの!? そんなことってある!?
わたくしは驚きすぎて、きっとおかしな表情になっていたわ。
「大聖女様、私はこの新たなる聖典と出会い、ついに悟ったのです! 我らに足りなかったのは、友情、努力、勝利なのだと!」
大神官様は、なんだかどこかで聞いたことがある言葉を言い出したわ。それは、サラリーマンが異界で読んでいたという漫画雑誌なるもののキャッチコピーではなかったかしら!?
「我ら神官は、この大聖女様の教えを国中に広めます! お任せください!」
教えってなんだろう……? 友情、努力、勝利のこと……?
わたくしは発熱しているせいで、悪い夢でも見ているの……?
「ケルベロスは、頭が三つあってこそケルベロス! 大聖女様がおっしゃりたいのは、ケルベロスの三つの頭は、永遠に女神シャンタル様の僕ということですよね!」
それってもしかして、シャンタル様が騎士の一人を選ぶのではなく、三人とも王配にして逆ハーレムにしたことを言ってる!? 三つの頭ってそいういうことよね!?
「わたくしとしては、シャンタル様と一人が婚姻して、残りの騎士二人が愛しあうことも、甘く切なくて好きでしたが……」
奥方様が、少し申し訳なさそうに大神官様とわたくしを見た。大神官様は顔をしかめる。その残りの騎士二人が愛しあう物語は、一部の女性たちの間だけでこっそり流通している。大神官様の前で、大っぴらに話して良いものではないと思うの……。
「ですが、シャンタル様が三人の騎士からひたすら愛を捧げられる! 星空の下でダンスをしたり、髪に野の花を飾られて『可憐な花がよく似合う』なんて言ってもらったり、街で見つけた美しい宝石のペンダントを贈られたり……! たまりませんよ!」
奥方様が、鼻息荒く語られた。そのあたりは、乙女の夢のシチュエーションを自分なりに入れ込んだ部分ね。好評みたいで良かったわ。
「現実世界で逆ハーレムを形成したら、子供の父親が誰かわからなくなって困ることになるでしょうけれど、これは神話ですもの! 好みの騎士たち三人から愛されたって、跡継ぎ問題なんて起きませんわ! ひたすら甘く美しい夢を見ていればいいのですよね!」
まあね……、物語と現実はたしかに違うからね……。『逆ハー』様にでも呪われなければ、三人の美男を侍らせるなんて、普通はできないわよ。男たちの間で、普通に揉め事が起きると思うわ。男の嫉妬は怖いのよ。わたくしは父も兄も騎士団所属の騎士だから、男の嫉妬の恐ろしさなら聞いている。
「そうです! あれだけの忠義を尽くした騎士たちが報われないなど、女神シャンタル様はそのような世界をお作りにはなりません! これこそが、我らが待ち望んでいた聖典なのです!」
わたくしは物語を書いて、神官様のご許可をいただくのは、これが初めてだ。だから、神官様のご許可というものが、これほど熱意あふれる言葉でいただけるものだとは知らなかった。なんだか恐ろしいくらいで、ちょっと引いてしまったわ……。
「これまでにも、素晴らしい物語で我らを導く聖女様は何人か現れましたが……。私はサンドリーヌ様こそ、当代の大聖女様であると確信いたしました……!」
大神官様はハンカチで目元を拭った。泣くほど!? 泣くほどなの!? あの物語は、そんなに良かった!? 逆ハーレム物なんですけど!? 本気で言ってる!?
「私はこれから王宮に向かいます。大神官として、大聖女様が現れたことを王家にお伝えし、任命書の授与式を盛大に執り行えるよう、国王陛下と王妃殿下にご助力をお願いして参ります」
なにそれ、本気で言ってる!? わたくしは自分が『大聖女様』なんて呼ばれたくて、物語を書いたわけじゃないわよ!? おかしなことになってきちゃったわ……!
「わたくしもご一緒しましょう。国王陛下と王妃殿下にも、この聖典の素晴らしさをお伝えしなければ!」
それは布教というやつですよね!? 女神信仰だから宗教なんだし、布教であっているとは思うけど、あっているはずなんだけど……! なんかちょっと違くない!?
「これは心強い! ヴァーシヴル公爵夫人、私の馬車にお乗りください。聖典について語り合いながら、共に王宮へと向かいましょう!」
それって『推し語り』というものでは……!? 女神様と三騎士のお話がしたいだけじゃないの!? みんな大好きだもんね、女神様と三騎士のこと!
わたくしは熱のせいもあって、その場でよろめいた。すぐに侍女たちが両脇から支えてくれる。
「大聖女様はご執筆を終えられたばかりでお疲れなのです! どうぞお休みになってください!」
「大聖女様、それはいけません! 尊いお身体です! ご回復にお勤めください!」
奥方様と大神官様が心配そうにわたくしを見た。
この時のわたくしは、熱でだいぶぼんやりしていたのね……。
この国の大神官様と、この国に三つしかない公爵家の公爵夫人が、わたくしに敬語を使っていることも、あまり気にしていなかったの。
◇
この事態は、わたくしの意向なんてガン無視して、どんどん進んでいった。
大神官様が訪ねて来られてから数日後。
わたくしが解熱剤を飲んで寝室で休んでいたら、国王陛下と王妃殿下までが、ヴァーシヴル公爵家までご挨拶に来てくださった。
国王陛下と王妃殿下も『女神様と黒衣の三騎士』を読んで、大変感銘を受けたそうだった。
「国王の名に懸けて、サンドリーヌ様のご体調が戻り次第、大聖女任命式を必ず執り行います!」
「サンドリーヌ様、ご安心くださいね!」
お二人は、一方的に力強く約束して帰っていかれた。
フィデリス砦への出兵の準備はどうなっているんだろう……。
国王陛下におかれましては、大聖女任命式なんかより、出兵をしてほしいわ……。
わたくしが物語を書いたのは、御三家と元寄子たちが一丸となって、フィデリス砦で戦っているジャコブ様を助けに行ってくれるようにするためだった。
本当にそれだけだったの。
◇
なのに、今……。
大神官様が訪ねて来られてから半月ほどが経った今……。
大聖堂では、わたくしとジャコブ様の結婚式などの比ではない熱狂の中で、わたくしの大聖女任命式が執り行われていた。
今のわたくしは、水色のドレスを着ていた。女神シャンタル様が約束の地ドラスに降り立たれた時に着ていたのが、『楚々とした水色のドレス』だと伝えられているからよ。
どうしてこうなった……。
いやいや、こうはならないでしょ……。
大聖女には、大聖女冠という冠まであるのよ。知ってた!? 知らないよね!? なんで冠があるかというと、女神シャンタル様にも等しい存在である証らしいのよ。
わたくしが女神シャンタル様にも等しい存在とか、有り得なくない!? 『ほぼ平民』の子爵令嬢だったのよ!? 父なんて、人生の大半は平民の出の騎士だったのよ!? 母に至っては、生まれてから死ぬまでずっと平民だったわ。そのわたくしが、女神シャンタル様にも等しい存在!?
有り得ないわよ!
この国、そんなことしてる場合なのかよ、って思ったわ。
そんなことよりジャコブ様を助けに行けよ。
ジャコブ様が死んじゃったらどうするのよ!?
だけど、そう思うと同時に、わたくしは自分の願いが叶えられていっているのではないかとも考えていた。
だって、みんなが熱狂しているのは、『三騎士が一丸となって女神シャンタル様のために戦う物語』と、その作者たる大聖女になんですもの。
わたくしは大神官様の前でひざまずき、大聖女冠を頭に載せられた。わたくしは一体なにをしているんだろう……。
「女神シャンタル様の代理人、大聖女サンドリーヌ様、お初にお目にかかります!」
大神官様が叫び、国王陛下と王妃殿下を含めた列席者の皆様が唱和した。彼らは今ここで初めて『大聖女サンドリーヌ様』と会ったから、この挨拶であるらしい。
大神官様がひざまずき、その後ろで国王陛下と王妃殿下を含めた列席者の皆様が後に続く。
わたくしは目を剥いたわ。大聖女ってそんなに偉いものなの!? 国王陛下と王妃殿下がひざまずくほど!? 女神様の代理人って、そこまで偉いの!?
「皆の者、立つがよい」
わたくしが許可すると、ひざまずいていた人々が立ち上がった。
わたくしは礼拝室に集う人々を見まわした。千人を超える人々がいるというのに、誰一人として口を開こうとしない。
彼らは、大聖女の言葉を待っているのだ。
「わたくしは女神様からの啓示を受け、『女神様と黒衣の三騎士』を執筆するに至った。これは、この国の民が女神シャンタル様の下、一頭のケルベロスとなりて、『競い合うばかりでなく、お互いに力を合わせ、共に困難に立ち向かうように』との、女神シャンタル様の思し召しである」
わたくしが語り終えると、列席者たちの間から、凄まじい叫び声が上がった。
「そうだ! 我らは共に困難に立ち向かわねばならぬ!」
国王陛下が叫ぶと、列席者たちは「うおおお!」などと雄叫びを上げた。
「わたくしたちは、一頭のケルベロスとなるのよ!」
王妃殿下が拳をふり上げた。そんな方でしたか!? 王妃殿下のまわりの女性たちが、同じように拳をふり上げている。高位貴族のご夫人やご令嬢がやるポーズではないと思う……。
さらに、御三家の公爵と元寄子の侯爵たちが、わたくしの前に並んでひざまずいた。
「我らは女神シャンタル様の僕たるケルベロスの末裔。大聖女様の教えに従い、黒衣をまといて、エッセレ王国を退けに参ります」
公爵三人が声をそろえて宣言した。そして、三人は素早く立ち上がる。後ろに控えていた侯爵三人が、公爵たちにこの国の国旗を渡した。公爵たちは国旗を広げて、マントのように羽織る。
この国の国旗には、女神シャンタル様の髪の色である淡い桜色の生地に、王冠を戴く黒いケルベロスの頭が描かれているの。
――ああ、公爵たちも、わたくしの書いた物語を読んでくれたんだぁ……。
今のって、最終決戦に向かう黒衣の三騎士が、王女旗をマントの代わりに羽織るシーンの再現だよね……。
公爵たちは三人とも頬を赤らめて、ものすごく嬉しそうな顔をしている。
公爵たち、あの物語にどハマりしてるよね……。
「エドガー様!」
「ガストン様!」
「バティスト様!」
あちらこちらで三騎士の名前が叫ばれる。
なんで公爵たちが、気分良さそうに手をふって応えているの……? 公爵たちの誰一人として、そんな名前じゃなかったよね!?
公爵たちは列席者たちに手をふりつつ、礼拝室を出ていった。
大神官がわたくしの横に並び、大聖女任命式の終わりを告げた。
こうして、わたくしはこのドルミーレ王国で最も尊い人物になってしまったのだった。




